第299話「未来ともう一つの世界」
そんなに悪い人生ではない、と自分では思ってた、わりと胸をはって楽しく生きてきた、と思うんだよね。
幼い頃両親を事故で無くしたウチは施設に預けられたんだけど、たまたまなのか、その施設が変わっていたのか、
良く言えば放任主義的な所だったので、暖かく伸び伸びと育ててもらって、
【あ、時間ズレた、ちょっとだけ進めるわね?】
ウチは今まさにトラックに轢かれそうになっているのだ。
下校時にトラックの前に飛び出した子どもを目撃してしまい、鍛え続けた身体と反射神経が良い仕事をして、その子を突き飛ばした結果である。
ブレーキ音の後に衝撃を感じたウチは、気づいたら固い地面の上に横たわって、いた、痛みは感じない。
どうやらうまい事受け身が間に合ったようだ。が、ウチの身体の一部は物凄いダメージを受けていた。
『あ―――!ネイル割れてるー!マジ最悪なんだけどー!
ちょっとトラックのおっさーん!どこ見て運転してんのよ!!』
『何言ってんだ!子供の方が赤信号で飛び出して来たんだよ……、いや、子供を助けてくれたんだよな、お礼を言うのはこっちか。そうだ!あの子は無事か!』
『そういえば!ねぇ大丈夫?』
『痛いー、擦りむいたー!』
『あなたが飛び出すからでしょう!ありがとう、本当にありがとうございます!なんてお礼を言ったらいいか』
その光景が浮かぶ球体は皆の前で幻のように浮かび上がり、消える。他にもいくつもの球体が浮かび上がり、そして消えて行った。
「ロゼ、あれって……」
「ウチの、前世です。ウチ、やっぱり色々と未練があったみたいね。あんな事もありえたんですよ」
リュドヴィック様の言葉にウチはそっと手をかざすと、他にも様々な場面が浮かび上がる。
その中で前世のウチは、成長して大人になり、様々な人と出会い、幸せに生きていた。
それは前世のウチがどんなに望んでも得られなかったもの、人しての平凡でささやかな一生。
ウチは浮かんだ涙をぬぐいながら高く空に手をかざし、さらに球体を創り出していく。ちなみに材料はウチが管理する世界中の魔力だったりする。
緊急手段なので許して欲しい、とはいえ決めるのはウチなので許してもらうも何もないのだが、気分の問題だ。
創り出された球体は寄り集まり、はるか空の向こうに”異世界”を形作って行く。その中で人は生き、出会い、別れ、子を産んでまた子を産み、死んでいく。
「ありえた、ってこれって実際に起こった事じゃないんですか?」
「これは、ウチ達がいた世界じゃなく、過去現在未来前世今世来世において全ての事が”そうあって欲しい”と願う形に収束した、限りなく完璧な”異世界”よ」
「完璧な……?」
クレアさんの言葉でウチがうなずいて指さした先には、とある病院の風景が映っていた。
『退院おめでとう!』
『まさかあの状態から回復するなんて、学会へ報告するレベルの奇跡ですよ』
『おめでとう、本当に良かったね。治療がんばったもんね』
『ありがとう、だって救乙の5が出るんだもの、絶対に死ねなかったもん!』
それは、大勢の医者や看護師に囲まれた女の子が家族と共に祝福に駆けつけている場面だった。
それを見たクレアさんの目にも涙が浮かぶ。
「あれ、私の前世だ……、そっか、治る事もあったんだ。良かったなぁ、良かったなぁ……」
『父上、母上、こちらの事なのですが、』
『リュドヴィック、お前はどうも堅苦しくていかん、せめて父ちゃんとか呼んで欲しいぞ』
『馬鹿な事を言うでないわ、きちんと向かい合って父母と呼んでくれるだけでもありがたいと思え』
こっちはリュドヴィック様の”ありえた光景”らしい、ウチはそっとリュドヴィック様の涙を拭いてあげた。
現実のリュドヴィック様は両親との仲が良好とは言い難く、とはいえ本人も気にはしていたようなので。
「あんな風に、父や母と呼べる事もありえたのか」
「リュドヴィック様なら、今からでもできるではありませんか」
ウチが新しく創り出した”異世界”では、過去・現在・未来・前世・今世・来世・全てにおいて、全てが良い方向に向かっていた。
もちろん天変地異や多少の争いや諍いが無いわけではない。どうにも避けられない戦争というものは存在する。
しかしその世界だけは人々はより良い最適な選択・行動をしていた。
誰一人「何か別の世界線にでも迷い込んだんじゃなかろうか」というような悪夢のような経験をしておらず、
誰にとっても、『まぁ、良いか』と言えるくらい、理不尽も何もない程々に平和で程々に完璧な世界が出現していた。
その場の誰もが涙を流していた、人によっては自らの現実とのあまりの差に絶望するかもしれない、逆に、平和に生きる自分を見て安心するかもしれない。
どんなに望んでも得られない、どうしようもなく焦がれる世界がそこに現出していた。
また、その世界にはファーランド王国のある世界、いわゆる”魔界”も重なるように存在している。
「2つの世界と絶対に相容れない、人が考えうる限り最も良い選択をした世界をここに創り出したの。
2つの世界の誰もが3つ目のこの世界の存在を感じたわ。皆、私達と同じ想いを抱いているはず」
「お嬢様……どうしてそんな事を、人によっては凄い残酷な事にならないでしょうか?」
「そうしなければ止まらなかったのよ、2つの世界が隣り合ってしまって衝突するというなら、
完全に相反するもう1つの世界を側に置けば、3つの世界は三角形の位置関係を保っておそらく半永久的に衝突しなくなるわ」
「強引過ぎる対症療法ですね……」
「まぁ、すぐに夢のようなものだと思って皆忘れるわよ、そして今見たものを胸に、良くも悪くも生きていくの。多分未来はちょっとマシな方向になると思うわよ?」
アデルの言うように、これはかなりというか、物凄い劇薬だ。だが、ウチはどうしてもそうしなければならなかったのだ。
それは全人類に対して歴史という物語のトゥルーエンドをネタバレしたようなものだ。
自分の世界のはるか彼方に理想の世界がある。そこへ近づきたいと思うのか、それとも逆を行きたくなるのか、それはそれぞれが胸に生きていくことだった。
同時に、その行為は今後発生するはずだった数多の世界の可能性を消滅させてもいた。
ほんの少し離れた所では、アデルが一つの光景に魅入られていた。
『ドロレス、もうすぐ時間ですよ、早く用意しなさい』
『んー、アデルねーさま眠いー、服着るの手伝ってー』
その世界では、アデルとドローレムが姉妹だった。面差しがよく似ているから双子かも知れない。
その世界のアデルは妹である”ドロレス”に振り回されているものの、時々幸せそうに笑っていた。
アデルはその世界に向かって手を伸ばすが、それは虚空を掴むだけだった。
「あんな、世界もあったのですね……」
アデルの頬を涙が伝う。ほんの少しだけ姉妹のように暮らした、もう会えない友人が自分と姉妹として生きている世界。残酷にも程があった。
「アデル……」
「以前までの私なら、諦めていたのでしょうね。
お嬢様、申し訳ありません。私は、あの世界を見ただけでは満足できません」
アデルは虚空に伸ばした手に力を込める。その手の先に明らかに異常な量の力が集まり始めていた。
手のひらの先には何かの光が渦巻き、発光や放電が起こっていた。
様々な全ての時間や運命、可能性に満たされているこの世界では意志の力が全てを支配する。
先程見せた”完璧な世界”を見て、さっそく変わろうとした人がここにいた。
「いやいやいや! アデルさん!? 何だかとんでもない始めてません!? 大丈夫なんスかそれ!?」
「よっしゃアデル! やっておしまい! ウチが認める!」
「お姉さま!? いいんスか!? なんかこう、自然の摂理に反するというか!」
「ウチがその摂理よ! ウチが許すんだから何も問題無いわ!」
ウチらがあーだこーだと言っている間にも、アデルが掴んでいた虚空に人の腕が出現する。少しずつ、少しずつ、そして一気にアデルはそれを引きずり出した。
引きずり出した”それ”は、ドローレムだった。が、若干様子が異なる。
髪の色も黒で、肌はアデルと同じようにやや濃く、目の色も普通に白目に碧色だった。しかしその顔はまぎれもなくドローレムだった。
”理想の世界”側のドローレムの存在を複製して強引に引きずり出し、自分の世界のドローレムの存在と混ぜ合わせて再誕させてしまったのだ。
「……え? あれ? アデル? 私、刺されたと思って……。何この身体、魔力がほとんど無い、っていうかここどこ――――!?」
「ドローレム!」
アデルはドローレムを抱きしめ、頬ずりをして涙を流していた。が、死んだ直後から突然この場所に移動してきたに等しいドローレムには何がなんだかわからないようだ。
「ねぇねぇ、アデル? ここどこ? なんで私生きてる?」
「少々強引でしたが、別の世界のあなたがいましたので、複製して混ぜ合わせて復活させました。ちなみに私の双子の妹という事にしてありますからね」
「……いや、何を言ってるか全く意味がわからん」
でしょうねぇ……。あ、リュドヴィック様がドローレムに近づいたので、アデルがかばうように自分の後ろにドローレムを隠した。
そんなに睨まないの、多分リュドヴィック様なら大丈夫よ?
「王太子様、この子は今でも罪に問われるのですか?」
「……いや、一度死んで罪を償ったと見るべきだろう。それにもうそれ程の事もできないのだろう?だったら無罪放免とするしかない」
「と、いう事です。さぁ帰りますよ、ドロレス」
「いや状況が全くつかめないんだけど……、まぁ良いか、アデルがそういうなら帰る。
っていうか何その名前?」
「ドローレム(悲しみ)なんて名乗るものじゃないですよ。それと私が姉ですので」
そこは譲れないらしい。ともあれ、あっちは丸く収まったみたいで良かった良かった。
ウチは、その場から離れた所に断っていたグリセルダに近寄っていった。ここからが本題なのだ。
すると、ゼルダさんやヴィーアルダちゃんも一緒に来てくれた。どうやらいっしょに説得してくれるらしい。だが、グリセルダはその2人を険しい目で見るのだった。
「さて、あとは貴女だけね、グリセルダ王女」
「こんな所に連れてきて、こんなものを見せて、それで解決したつもりか? 私の戦いはまだ終わっていないぞ」
「貴女をこんなにまで争いに駆り立てさせてしまい、こんな所にまで追い詰めてしまったのは申し訳無く思うわ。でも今ならやり直せる」
「やり直す? ふざけるな! 私の国は荒らされ、民は殺され、妹も殺された! 父も死んだ! 今更どうやり直せると言うんだ! そこにいるのはもう私達の残骸みたいなものだろうが!」
グリセルダの言葉にゼルダさんやヴィーアルダちゃんも目を伏せる。だが、ウチはそれでも彼女の目を真っすぐ見て告げる。
「あれを」
『ヴィーアルダ、またこんな所で、午後の授業は終わったの?』
『ええー? あの先生厳しいんだもの』
『そんな事を言わないの、私もあの先生に教えていただいたのよ? あなたの為を思って厳しく言ってらっしゃるのだから』
『えーだってさー』
『そんな話し方をするものではありません、また街に出たのね……」
そこには、グリセルダが生きていたファーランド王国の光景が映し出されていた。まだ戦乱は起こってはおらず、姉妹も仲睦まじく暮らしている。
だが、グリセルダはその光景を見て、さらに表情を険しくするのだった。
「何だ……これは! こんなものを見せて! 私を侮辱するのか!」
「先程も見たでしょう? 今この場では全ての時間や空間や可能性が同時に存在しているの。
意思の力を持ってすれば、どんな事だって叶うわ。死んだ人間を別の形に生まれ変わらせる事も、過去のあなたの国に戻る事だって」
「かえ……れる? 元の世界に? 時代に?」
「正確には、あの世界の貴女と存在を重ね合わせ、一体化させるのだけどね。入れ替えるわけにはいかないから。
しばらくは魔力が大幅に上昇してしまうだろうけど、抑え込めば何とかなるわ」
「だが、戻っても結局お前の世界からやってくる侵略は止められないのだろう? 何も変わらんではないか」
彼女の言う侵略は、1000年前のウチの世界にあったテネブラエ神聖王国によるものだろう、そもそもそれが発端なのだ。
「あなたが戻れば、ウチの世界とあなたの世界のつながりは希薄になります。そこを断ち切れば、どのような形でも貴女の世界に影響を及ぼす事は無くなるわ」
「無かった事にするから、許せとでも言うのか、それで私が納得するとでも思うのか」
「虫の良い話とは思うけれど、もうそれしかないのよ。あなたが戻った時点で、その先の未来は全て書き換わるわ。それで許してほしいの」
ウチは頭を下げるしかなかった。もうこれだけは彼女に頼むしかないのだ。
さすがに神であるウチに頭を下げられては何も言えなくなってしまったようで、グリセルダは黙り込んでしまった。そこへ、ヴィーアルダちゃんが寄り添って声をかける。
「姉様、帰りましょう」
「ヴィーアルダ、お前はそれで良いのか? お前も1000年の間……」
「姉様、道草と思えば良いじゃないですか、すごく遠回りしてしまったけど」
「……1000年の道草か、どう言ったら良いんだろうなこういうのは」
グリセルダは困ったように笑い、それを見たヴィーアルダさんもまた笑う。そして2人は私を見た。
彼女達の目にはまだ疑念が残っているが、しかし憑き物が落ちたようにも見える。帰る気になってくれたのだろう。
そこへゼルダさんが二人に言いにくそうに言葉をかけた。
「あー、すまん、私は、この世界に残っても、良いかな? 正直言うと、私はあまりあっちの世界に未練も何も無いんだが」
ゼルダさんを構成してるのはグリセルダがこちらの世界で得た思い出でできている。
いわばこの世界に対するグリセルダの未練そのものと言って良いからそうなるだろう。
もうグリセルダの一部ではなく、ゼルダという独立した存在なのだ。むしろむこうの世界に返すのは難しいので、その方が都合が良かった。
「良いわよ、あなたはゼルダ・ファーハイム子爵令嬢として、そのまま帰ってもらう事にするわ。アデルだってその方が喜ぶもの」
「そうか、良かった。よし、アデル、私はそっちに帰るぞ」
「ゼルダ様……」
「小説を、書き上げないとな。あ、でも今魔法学園は無茶苦茶になってたんでは? 大丈夫かな? あれ」
「心配いらないわ、そのへんも適当に色々とあれしておくから」
「お姉様ー、相変わらずそういう所は適当っスね」
「かなり、強引だけど無理やり何とかしてしまいましたね……」
「これで全てが丸く収まるなら文句を言うような事では無いんだろうな……、
これで終わったのだよな? もう帰るだけだな? ロゼは自分を人間に戻して、それで終わりだよな?」
「いいえ、私は帰れないわ。もうここから動く事はできないの」
クレアさんやアデル、リュドヴィック様には申し訳ないけど、ウチは真実を伝えるしかない。今のウチは〚神界〛に囚われているようなものだ。
「リュドヴィック様、今の私は、創世神であり、調律神であり、破壊神なんです。
私は3つもの世界に対しての無限の因果運命を背負ってしまったわ。だからこの世界を永遠に見守らないといけないのよ。
まぁ見守ると言っても世界1つ分の新神なんですけどね」
「ロゼ、何を……、言って? 冗談、だよな?」
ウチは首を横に振って否定する。それは冗談などではなかった。
ウチは世界を消滅から救う為に世界を創造したが、その影響で消えてしまった未来も多数存在していた。
私利私欲の為に多くを虐殺したに等しい。誰も気づきはしなかっただろうが、ウチは計り知れない業や因果を背負ってしまったのだ。
ゲームでやり直す為にリセットを繰り返したり、ソシャゲでリセマラするのとはわけが違う。世界1つを救うための代償としてはむしろ軽すぎるくらいだろう。
ウチはそっとリュドヴィック様に近づき、思い切り抱きしめてキスをした。ああ、よりによってここでファーストキス使っちゃうのか、もっと早くしておくんだった。
「さよなら、リュドヴィック様……」
ウチは身を引き剥がすようにリュドヴィック様から離れると、皆をそれぞれの世界へと戻していった、徐々に皆の姿が遠くなっていく。
一瞬で返す事もできるのだけど、これも演出だ。
ごめん嘘、やっぱり寂しいから少しでもみんなの、リュドヴィック様の姿を見ていたかった。
「ロゼ!?ロゼ!ロザリアああああああああ!!」
ああ、リュドヴィック様の声が聞こえる、声が遠くなっていく。姿はもう見えない。
最後に見た、リュドヴィックの泣きそうな顔が目に焼き付いている。最後の声が耳から離れない。
ああ、考えないようにしていたのに、涙があふれて止まらない。
もう会えないんだ、大好きだったのに、告白だってまともにしてないし、リュドヴィック様の気持ちもまだ聞いてなかった。
ウチは恥も外聞もなく、子供みたいに泣いた。
「それにしても、ここは何も無いなぁ……。誰も、いないなぁ……」
ウチは、今度こそ、一人ぼっちになったのだ。
次回、最終話「悪役令嬢 ロザリア・ローゼンフェルドの目覚め」
読んでいただいてありがとうございました。
最終話は1/14(日)、夜の5時~6時頃で更新いたします。
あと少しだけ、お付き合い下さい。