第228話【地下迷宮『地ヘ落チル塔』】
「迷宮……、って感じじゃないですよね?」
「迷宮と言うより地下へ伸びていく塔だな、『地ヘ落チル塔』なんて呼ばれているよ」
クレア達が見たのは兵士の1人が言うように地下へ伸びる巨大な吹き抜け状の空間だった。
今いる所はそれをぐるりと囲む幅広の回廊になっており、中央の吹き抜けは直径100m以上はある。
同じような階層が地下に向けていくつも層をなし、下へ降りる階段がそれをつないでいる様子が見える。この迷宮はまさに地の底に向かう塔だった。
階層の縁には落ちないようにフェンスや石壁があるが、それも朽ちていたり所々で途切れており、中には階層の一部が崩れ落ちたりと、一歩間違うと奈落の底というかなり危なっかしいものに見える。
それぞれの階層は迷路とは言わないまでも、障害物のように入り組んだ背の低い壁が立ち並んでいた。反面、頭上には天井が無く、吹き抜けの上空はいかなる理屈なのか真っ暗な空間がずっと上に伸びている。
明らかに降りて来た深さよりも高い空間にアデルが違和感を感じる。
これによく似た光景を見た事がある。あれは確か魔法学園中央棟地下の奥深く。”御柱”と呼ばれる構造物がある吹き抜けだった。
それに気づいてしまえば目の前の階層の光景もそれとよく似ていた。石造りの壁に混じるのは何で出来ているかよくわからない大きな一枚ものの壁、時おり明滅する光源は明らかに魔石具の光ではなかった。
「あの、騎士様、あの吹き抜けなのですが中央に巨大な柱が立っていなかったですか?天に向かって光が昇って行くような」
「おお良く知っているな。確かにあったぞ巨大な柱が、でもなぁ、調査をしていたらある日突然消えてしまったんだよ。皆不気味がったけど中に入れるわけでもなかったからな。そうこうしているうちに今回の騒ぎだ」
やはり、あった、御柱が。だが消えてしまったというのはどういう事だ、アデルの脳がフル稼働を始める。
御柱は周囲から吸収した魔力で稼働しているらしい。そして御柱は魔界と呼ばれる世界との文字通り柱となって近づかないよう支える役割をしているはずだ。
それが消滅している。となるとこの地下もしくは上空では支えの無くなった相手の国との距離が近づいている……?
どう考えても悪い予感しかしない、魔学祭の時に見た地面に開いた大穴のようなものがあるのではないか。または魔界そのものへと通じてしまっているのではと危惧せざるを得なかった。
「王太子様!ご注進申し上げます!」
「まずいな、ここにも御柱があったのか。支えを失った2つの世界がどうなっているか見当もつかないな」
「御柱というのは世界中にあるものなのですか?」
王太子がアデルからの報告を受けて困った顔をしている。ロザリアは魔法学園の地下のものしか見た事がなく、そこまで詳しいわけではない。
「柱の大小はあるけどね。ここは魔法学園ほどの規模ではないようだけれど、吹き抜けから見るとそれでもそれなりの大きさのものがあったんだろう」
「消えてしまった、というのがよくわからないんですけど、どこかへ行ってしまったんでしょうか?」
「聞いた事が無いな……」
「……私のせいかもしれない」
「どういう事です?説明して下さい。怒るかどうかは話を聞いてから考えます」
ロザリアとリュドヴィックの会話を聞いていたドローレムがボソリと呟き、それを聞きとがめたアデルが詰め寄る。
こういう時のアデルは絶対に「怒らないから」とは言わない、ドローレムは観念したかのように話し出した。
「以前、クレアを襲った時の事、あのちょっと前に教会の近くで古い設備を破壊した。フレムバインディエンドルクは制御中枢とか言ってた。この地方の魔力供給を制御するとか何とか」
「ここ最近、御柱への魔力供給が不安定になっているのはそのせいですか。魔法学園のは元々最も強力な魔力を供給され続けている所だから影響は少ないが、それでも魔王女の意思の一部が逃げ出すくらいにはあった、ここで御柱が消滅するくらいの影響はあったという事だな……」
ドローレムの証言にマクシミリアンは王立魔法研究所で調べている事と一致していたのか納得した様子で腕を組んだ。その言葉には特にドローレム責める様子は無く、ただ淡々と事実を告げていた。ロザリアはまだ少々困惑している程度だが、事の重要性を認識しているはずのリュドヴィックもまた、ドローレムに対しても困ったような顔をしたままだ。
ドローレムはどうして良いか分からなかった、こういう時アデルなら必ず自分がどういう事をやらかしたのか、何が悪いかを理路整然と説明してくれていたから。
だが、今はそのアデルすらも自分に対して何も言わない、というよりも何も言えない感じだった。
自分なりに考えて、謝るしか無いと覚悟を決めた。
「ごめんなさい、私のせいで」
「怒りたい所だけどね、君は何も知らなかった。そして君を罰しようにも私達は君を罰する力を持っていないんだよ」
だが、リュドヴィックから帰ってきたのは糾弾や詰問ではなく、諦めたような言葉だけだった。
「そんな、私、どうすれば」
その事にドローレムは喜ぶ事なんてできず、むしろきちんと自分を怒ってもらって楽になりたかった。
でなければ、このよくわからない感情に押しつぶされてしまいそうだった。
「ドローレム、罰してもらって楽になろうなんて考えてはだめですよ。人は何か過ちを犯したとき、心に荷物を背負ってしまうのです。それが罪という事です」
アデルのその言葉はまるで自分の心の中を見透かされたような気がしてドローレムはハッと顔を上げる。
だが、そこにあったのはいつもの仏頂面であってもどこか優しげな表情のアデルの顔ではない。
ああ、自分は取り返しのつかない事をしてしまったのか。ドローレムは事の大きさを理解して後悔するしかなかった。
今まで謝ったりしていたのは、ただそうすると気が楽になるというからやっていただけで、本当は何もわかっていなかった。
「アデル、私、わかった。やってはいけないこと、取り返しのつかないこと、でもどうしたらいいの?」
「私にもわかりません。どうしたらいいのか、この先どうなるのかさえわからないのです」
アデルは何も答えてくれなかった、アデルは何でも知っていると思っていたのに、いったい何を頼れば良いのか。
ドローレムは悩み続けるが、誰もそれに答えられなかった。
ともあれ、ここまでの状況から見て最下層もしくはその近くに危険なヒュドラゴンが巣食っているのは間違い無いはずで、一度対象となる魔物を確認するという事で意見は一致した。
そして、できるものなら討伐してしまえば、闇の魔力の影響を最も受けたものであるはずだし、御柱を失った分のバランスは取れるのではないか?
という、楽観論というよりは、そうする事で事態が良くなると信じたいという願望が皆を支配していた。
階層を降りていくにあたり、これまで通りクレアを先頭として地下迷宮を行く事にはなったが、特に魔物は出ないのであちこちにある魔力だまりや結晶化したものを排除しながら進む。
本来この地下迷宮はそれなりに強力な魔物も出てきたが、手に負えない魔物は吹き抜けに追い込んで落とす等の戦法も取れたりする。
なので地下の迷路を行くという感覚はどうも薄く、本当に塔を降りて行っているような状態だ。
それでも全く魔物がいないわけではなく、時おり小型の魔獣を始め、吹き抜けからは羽根を持つワイバーンという前腕の無いドラゴンが襲ってきたりする。
今生き残っているのはヒュドラゴンから逃げ延びたか、それなりに強くて逃げ切るくらいの速さをもつ魔獣がほとんどなのでかなり強力と言って良かった。
だがその魔物も精鋭を集めたという騎士団の前ではあっけなく討伐されていく。
「お姉さま、この人達をぶっ飛ばしたんスよねぇ……」
「お姉さまって、あの赤髪の貴族令嬢……、ロザリア・ローゼンフェルド侯爵令嬢様の事?そんな事したの?」
討伐する間、後方に控えているクレアの呟きにドローレムは思わず聞き返す。いくら何でも貴族令嬢がするような事ではないのはわかるからだ。
「何スかその長い呼び方……。そうっスよ、一度お城に殴り込みに行った事があって、その時にイライラしてたから騎士団をぶっ飛ばした事があったんですよ」
「貴族、よね?あの人。どうして?意味がわからない、どうしてそれで今も普通にしていられるの?」
「あの事件はちょっと色々突っ込み所が多すぎたっスからねぇ……。お姉さまは特に何とも思ってないようっスけど」
「してはいけない事をしたのに、どうして……?」
ドローレムはどう考えてもわからなかった。貴族なのにやりたい放題やってなぜ罪の意識もなく平然としていられるのか。
人というのは罪を犯せば心に罪の意識を抱えて、罰を受けるまでそれが消える事は無いのではないのか。
では自分のこの胸の中の思いはいったい何なのだろうか……。
「あのー、リュドヴィック様?私も魔物討伐に加わったら……、ダメ?」
「ダメだ」
「ダメに決まっているでしょう」
当のロザリアはというと、魔物討伐に混ざろうとしてリュドヴィックとアデルの両方から即座に却下されていた。
『いやだって、わりと弱そうな魔物ばっかなんだもん、いけるっしょ?いけるいける』
「お嬢様が何を考えておられるかはわかりますが、普通の侯爵令嬢は魔物討伐などなさいません」
「そうだそうだ」
「そもそもお嬢様があの魔物たちを弱そうだとか思っているのは、比較する魔獣が神王獣の方々であったり、魔界の真魔獣だったりするわけですが、普通の侯爵令嬢はそういったものを目にしたりしませんからね?」
「そうだそうだ」
アデルがまくし立てるようにロザリアに説教を続けるのをリュドヴィックが横でうんうんとうなずいて同意しているという妙な状態だった。
「あの、ロザリア様が強いのは重々承知しておりますので……、我々も稽古を付けてもらったりしておりますし。ですが、これは本来我々の仕事なのです。できればそれを奪わないでいただければありがたいかと……」
さすがにその状態はちょっとかわいそうではあったので、ロザリアの実力を知っている騎士団の団員が助け舟を出してきた。
ロザリアは劇をしていた時に苦情を言ってきた近衛騎士団第2隊隊長のガルガンチュアを叩きのめした際に、
勢いでそのまま騎士団の根性を叩き直すと詰所に殴り込み返して以来、何度も騎士達と模擬戦と称して剣を交えていた。
最初はローレンツの姿だったが、途中から面倒になったので正体を明かしてロザリアの姿で相手をするようになると、
団員たちも最初は魔力量に任せてのものと侮っていたが、そのうちに騎士達の剣術を物凄い勢いで吸収していって腕を上げて行き、今では隊長クラスでないと剣術だけではまともに相手すらできない域に達していた。
なので騎士団も近衛兵達もロザリアの強さは身にしみてはいるものの、いくら何でも侯爵令嬢に魔獣討伐を手伝ってもらうわけにはいかないのだ。
「またお姉さまも物好きな事を……」
「はっはっは、あのお嬢様の強さは本物ではあるがねぇ、本来貴族令嬢を守るべき我々が自分の仕事を手伝ってもらうわけにはいかんよ」
クレアが呆れた様子でロザリアの方を見ていると、近くに立っていた若い騎士団員の1人が笑いながら話しかけてくる。
ドローレムはというとロザリアがやりたい放題してるのに、相手の騎士は笑っていられる意味がわからなかった。
「ねぇ、あの、ロザリア・ローゼンフェルド侯爵令嬢様に色々勝手な真似されて、どうして怒らないの?」
「怒る……か、確かにちょっと前の我々ならば怒って抗議もしただろうね、しかし今我々を取り巻く環境を見てごらんよ、
少し前にはドラゴンが城を襲ってきたり、……まぁ、あのお嬢様の家が城に殴り込みに来たのは良いとしても、あの姫猫祭の時に現れた女魔族、あいつに我々は手も足も出なかったんだ」
その騎士の言葉にドローレムは背筋が寒くなる思いだった。自分の事だったからだ。あの時はまだ産まれたばかりだったのでほぼ本能にまかせて暴れていたようなものではあったが、だからといって自分がやった事には変わりが無い。
「あの女魔族はとてつもなく強かった。同僚が何人も殺されてしまったし、その中には俺の弟だっていたんだよ」
その言葉を聞いてドローレムは一瞬目の前が暗くなった。自分が眼の前の人の家族を含む誰かを殺してしまった、その事実が重くのしかかってくる。
だからと言ってこの騎士に対して謝罪をできるような状況でもなかった。
「護る力が無いのはみじめなものだよ。もしもあれが魔獣や魔族との戦闘ではなく、例えば隣国との戦争であったなら取り返しのつかない事になるところだった。
だからこそ、我々はあの御令嬢が稽古を付けてくれるというのなら、甘んじて受けようという事になったんだよ。ドラゴンの方はもう安心らしいが、あの女魔族はいつまた襲ってくるかわからないからね」
その言葉でドローレムは自分のフードをできるだけさりげなく直した。この騎士にだけは自分の正体を悟られたくなかったからだ。だが、騎士の方はその仕草を違う事と受け止めたようだ。
「ああ、怖がらせてしまったかな?大丈夫、我々はあなた方のような女性たちを護る為に日々精進しているだけだからね。今度はしくじらないために」
そう言ってきてドローレムの頭を優しく撫でるのだった。だがドローレムにしてみればその優しさこそが痛かった。本当にどうすればいいのか、もう考える事もできなかったのだ。
次回、第229話【最下層】
読んでいただいてありがとうございました。
また、多数のブックマーク誠にありがとうございます。
基本的に月水金、夜の5時~6時頃で更新いたします。
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作中のギャル語・若者語は2015~2018年頃を想定しておりますが、
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