第177話「だめだこいつら、話通じない」
部屋に入ってきた男は上等な礼装に身を包み、長い髪には白いものが混じり始めている。
一見して年齢はよくわからないが恐らく50代といった所だろうか。
表情は柔和ではあるが何を考えているか分からない目つきをしており、その視線はクレアを見ているようで、何も見ていないようにも感じられてクレアは本能的な恐怖を覚えた。
「お初にお目にかかります聖女様。私は教会の西方管区をまかされております司教のゲアハルトと申します。以後お見知りおきを」
「はぁ、ども」
「聖女様におかれましては、私どものお招きに応じてくださり世俗から離れて我々と共に暮らして頂けるとの事で、無上の喜びでございます」
ゲアハルトと名乗った男が深々と頭を下げるが、拐われてきたクレアとしてはそんな事を言われても困るだけだった。
「いや、あんたらが拉致ってきたんでしょーが」
クレアは抗議するが、司教と名乗った男性は一切気にする様子はない。
それどころか自分が善意でやっているのだから感謝して欲しいと言わんばかりに胸を張っている。
「我々の意思は神の意思のままに。我々の行動は神の意思のままに。ひいては、聖女様の今現在の状況は神の思し召しなのです。どうかお気になさらず」
「いや、気にするわ。何なんその理屈は」
だめだこいつ、イッちゃってて話が通じ無さそう、とクレアは早々に会話を諦めた。
「聖女様におかれましては何も心配なされる事はありません、全て我々にお任せください」
「心配しか無い! まず私の心を真っ先に気遣えよ! どうして拉致ってきたの!」
「聖女様は本日叙爵され、貴族になられるとか」
「あー、何か知らないけどそういう事になってますねー、私の本意じゃないっスけどー」
クレアは本来初対面の相手にはそれなりに丁寧に接するが、
今は状況が状況なだけに投げやりに答えただけなのだが、相手はそう受け取らなかったようだ。
「ほほう、やはり聖女様の御心に沿ったものではなかったのですね。
我々の行動はやはり間違っていなかった」
「いや違げーし」
もはや敬語を使うのすら面倒臭くなってきたのか、かなりクレアの言葉遣いが乱暴になっているのだが司教はまったく気にする素振りが無い。
クレアとしては叙爵を打診された時は正直全く嬉しくもなかったのだが、フェリクスの出自を知ってからは、
『うーん、この先どうなるかはわかんないけど、元王子様と結ばれようと思うなら、
爵位くらいはたしかに持ってた方が良いかもなぁ』
くらいの打算はあった、女子はわりと現実的なのだ。
「ともあれ聖女様はここで我らの神と一つとなっていただきます。それまではどうぞ心安らかに」
「え? ここ、って。そういえばここってどこ?」
「神の家でございます。それ以外には説明は不要でしょう」
そう言うと司教はぞろぞろと皆を連れて部屋を出て行きクレアは一人取り残される。椅子に縛られたままで。
「いやこれ解いてよ!えーとつまり私は教会の人に拉致られてきた、と。
うわー、以前王太子様が言ってた『教会が私を取り込もうとしてる』ってこれかー。
って、物理的に拉致って無理やり勢力に加えようなんて想像できるかー!」
どう考えても普通じゃない。普段慣れ親しんでいる孤児院の教会とは何かが違うとクレアの警戒心が告げていたが、具体的な事は何ひとつ分からない上に椅子に縛られていては何もできない。
「……ん?さっき、『我らの神と一つになってもらう』とか言ってなかった?
マジやべー気しかしない……。
あ、しまった、フェリクス先生どうしたんだろう。聞いておくんだった!」
王都では相変わらずリュドヴィックがクレアの行方を探っていたが、手掛かりは掴めずにいた。
叙爵式への時間も迫っており、多少の時間の融通は何とかなるにしても流石に中止には簡単にできず焦りだけが募っていく。
「大公爵の邸宅を捜索させるか?」
「しかしリュドヴィック様、今回は怪しい、というだけで何も証拠が無い上に関わっている形跡すら無いので厳しいのでは」
焦りからか、無謀な提案をするリュドヴィックをクリストフが諌める。
「大公爵閣下は王都にいくつも家を持っております。それら全てをとなると少々厳しいかと思われますし、場合によってはそれが原因で今後面倒くさい事になりかねません」
「それにあいつが今更フェリクスに興味を持つとも思えんぞ?
留学から帰っても一度も顔を合わせた事が無いだろうしな」
クリストフの指摘に国王も同意する。
ここで大公爵にちょっかいを出して濡れ衣だったとなれば今後に差し支えかねず、
貴族社会や社交界は足の引っ張り合いが常で、些細な事が命取りになる事も珍しくない。
また、大公爵がフェリクスに興味が無さそうというのも客観的な事実だった。
「対してクレア嬢の方を狙う輩は心当たりが多すぎますなぁ、見当の付けようがない」
「うーん、お父様、それではエルドレッド男爵の方を当たってみるのはどうでしょう?」
「ロザリア……、たしかに男爵は貴族階級でも下の方とは言われるが、れっきとした貴族なんだ。
出自が亡命してきたとはいえ、無碍にも扱えないんだよ」
ロザリアの父のマティアス宰相がロザリアの提案をやんわりと却下する。
いくら上下関係が厳格な貴族社会であっても相手が爵位持ちである以上は礼を失する訳にはいかないのだ。下手にそういう事をしてしまうと貴族制度自体が崩壊しかねない。
「失礼いたします王太子様。例の仕立て屋の周辺で聞き込みをさせましたが、
それらしい男女は目撃されていないとの事です」
「わかったご苦労。だが引き続き調査はしてくれ。
今度はもう少し人数も範囲を広げて薄く広くだ。取りこぼしはこの際仕方ない」
「ははっ!」
「手がかり無しか、手詰まり感が凄いな」
リュドヴィックの言葉通り、事態は一向に進展を見せていなかった。
だがアデルは何かに気づいたようで、リュドヴィックに進言を申し出た。
「いえ王太子様。差し出口をお許し下さい。この場合、やはり仕立て屋が怪しいと思い直すべきです。
あの通りは人通りも多く、人目に触れないはずがありません。あの二人がこそこそと、例えば裏口から出なければならない状況も考えにくいと思われます」
「仕立て屋が何か隠しているという事か?何故そのような事を?
あの店は私が紹介したが、有名で歴史もある店だ」
「詳細はわかりませんが、やはりあの店を中心に考えるべきです。
どこにも移動した形跡が無いのなら最初からずっとそこにいるか、もしくはそこにいる誰かが関与したとしか考えられません。
転移門や転移魔法が使われたという可能性もありえますが、店側は『何事もなく帰った』と言っているのでしょう?」
「一理あるな、このまま何もしないよりはマシか……。貴族相手よりはまだやりやすい」
「踏み込みますか?」
「いや待てクリストフ、事を荒立てる前に下調べだ。大至急2人が店を訪れる頃の店の様子を調べてくれ、それと現在の状況もだ」
リュドヴィックの指示に衛兵は敬礼をして部屋を後にした、あまり事を荒立てるとクレアの今後にも差し支える。王家といえども慎重に動かざるを得ないのだ。
「周辺の店に再度聞いたのですがおかしい、と。その時間帯はどこも休憩で職人がいないはずだというのです。打ち合わせをするには変な時間帯ではないか?との事です」
「すると、店の中にはわざわざ居残ろうとしない限りは誰もいなかったはずだと?」
「はっ、それに今日は店員の何名かが突然休暇を取っており、人手が足りなくて困っているとの事でした。理由も病気で亡くなったとの事ですが、一斉に、それも獄炎病でです」
「何?おかしいなそれは。薬もあるだろうしついこの間大規模な治療を施して患者数が激減したはずだぞ」
「はい、ですが教会の埋葬許可証等、きちんと書類がそろっていたので仕方なかったそうです」
王城に近いだけに情報が集まるのは早いのはいいが一度に複数の人間が同時に亡くなるというのは異常だ。リュドヴィックは報告を聞いて顔をしかめた、教会も一枚噛んでいる可能性がある。
「教会、か」
「何だか妙な方向に話が転がりましたね」
「だが状況が見えてきたな。埋葬許可証の方から当たってくれ、どうもそこが怪しい」
リュドヴィックはクリストフに教会への対処を任せると、自らも動き出した。
次回、第178話「外なる神々」
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