第16話「侯爵令嬢ロザリアの毎日」①
「やあロゼ、久しぶりだね」
「久しぶり、と言われましても、前回リュドヴィック様とお会いしたのは一昨日なのですが」
ロザリアの言葉通り、リュドヴィックは最初の来訪の後、すぐにやって来たのだ、
幸い、屋敷はまだそれほど普段通りの状態には戻っていなかったので、受け入れ態勢を整えるのには困らなかった。が、それでも早い、早すぎる。
なので玄関で王太子を迎えるロザリアも、軽く非難と嫌味の意味を込めたセリフになってはいたのだが、言葉に反して心は乱れに乱れまくっていた。
『彼ピがウチに会いに来てくれるなんて! あれ?彼ピ呼びはずうずうしいかな? いやでもウチら、婚約者、だしー? ウチの彼ピ……、なんて良い響き……、あかん! 今日もウチの彼ピがマジ尊くてしんどい! ウチ死ぬの? いやマジ死ぬ! 幸せ過ぎてウチ死ぬの!?』
訂正、浮かれまくっていた。
「さみしい事を言わないで欲しいな、婚約者殿、私はずっとあなたを思い続けて、会いたくて仕方なかったのに」
とリュドヴィックは歯の浮くような甘い言葉を、何のためらいもなくロザリアに言い放ち、そっとロザリアの手を取り、指先に口づける。
美男美女の絵になり過ぎる光景に、『きゃーっ』と年若い侍女たちの中から、声にならない歓声が上がり、侍女長のアレクサンドラがたしなめていた。
いつの時代も女の子達は、コイバナも恋人達を見物するのも大好きなのである。まして王子様と貴族令嬢の恋物語を、特等席で見物できるともなればなおさらである。
「こ……ここで立ち話もなんでしょう? 庭園の東屋までご案内いたしますわ、アデルだけついてきてちょうだい!」
見世物になってはたまらない、と、取り繕うように慌ててリュドヴィックの手を引きその場を立ち去るロザリアだったが、ニヤけているのを隠しきれていない真っ赤な顔だったのと、それを見るリュドヴィックの顔がとろけるような顔だったので、また歓声が上がるのだった。
「で、えっと、ロゼ? 君は、何をしてる、のかな?」
「自習ですわ、本来今日のこの時間は、王太子妃教育で宮廷礼儀作法について教えていただくはずでしたの、せめて予習を、と思いまして」
東屋に着いてお茶の用意をされても、ロザリアはリュドヴィックを前に浮ついた雰囲気になるどころか、持ってきてもらった本を広げ、中に目を通し始めたのだった。
『落ーちー着ーけ―! マイペースだぞー! いくら好きな人が会いに来てくれても、予定は、変えちゃ、ダメなの! 勉強は大事!すごく!福沢諭吉先生もそう言ってた!』
なまじ幼い頃からの恋心に気づいたのが影響して、心にも無い行動をとってしまうのであった。
「……君はつくづく面白いね、私の周りの者はこういう状態になったら、誰も彼もが『私が私が』と自分を売り込みにくるようなのばかりだから、新鮮だよ」
「周りの人に恵まれていらっしゃらないのですねぇ、リュドヴィック様は」
本から目を離さず、最近アデルの皮肉や毒舌がうつり始めた事もあって何気ない言葉で話を合わせるロザリアだったが、それを見るリュドヴィックの顔は、さらに甘くなるばかりだった。
「あ! ちょっと、何をなさいますの!」
す、とロザリアの持つ本を取り上げるリュドヴィックに、思わず非難の声を上げるロザリア。
「私が教えよう、この本は王宮から貸し出されたものだろう? 内容は頭に入っているし、私の復習にもなる」
ロザリアの隣に席を移し、本を広げ、ロザリアと肩を寄せ合うように本をのぞき込む形になり、そのロザリアが慌てる。
『ち……近い近い近い顔近い! 顔が! 至近距離でこのイケメンの顔はヤバいって!』
「いいかい? まずこの部分だけど、本来は目上と目下の関係に対していちいち使い分ける慣例を取り払うものだったんだ、けれど―――」
意外にも真面目に講義を始めるリュドヴィックの横顔につい見とれてしまうロザリア。そして、耳元で聞こえるイケボに意識を飛ばされまいと、必死で耐える。
『はー……、耳が天国……。アイドルとかアニメゲームの推しキャラにのめり込む子の気持ちが今ならわかる! 推しの為なら死ねる! やっぱ、リュドヴィック様の事、しゅきぃ……❤』
その日はリュドヴィックに色々教えてもらうものの、全く頭に入っておらず、後でアデルの記憶を元に、自習しなおす事になったロザリアなのだった。
またとある日のローゼンフェルド家のこと。
「はぁ~~~めっかわ~~~癒される~~」
最近のロザリアは気を抜くとすぐ変な話し方になるが、今までの反動だろうと、あまり誰も気にしなくなっていた。
ロザリアは猫に目がない、今日は王太子の襲来も無く、王太子教育が滞り無く終わり、いつものように東屋でお茶を楽しんでいた所、
屋敷で飼っている猫が机の上に乗ってきて、ごろんと仰向けに寝転がっておなかを見せてきた瞬間、ロザリアは撃沈したのだった。
「ここですかぁ~~? ここが気持ち良いんですか~~?」
お腹を撫でられた猫は気持ちよさそうに目を細め、見事なへそ天で完全に野生をどこかに忘れ去っていた、
よく猫は液体と言われるが、それを愛でるロザリアの顔も猫以上に液体になっており、完全に貴族らしさをどこかに忘れ去っていた。
なぁー、と猫が鳴き、たしたしと前脚で手を叩かれると、ロザリアは「あ、はいはいはい」と又、猫様のおなかを撫でる奉仕活動に戻る、猫は神の使い、いやもはや神、全ての頂点に立つ存在。
「お嬢様は本当にその子を大切になさってますね」
お茶菓子を持ってきた侍女長のアレクサンドラが、若干あきれ気味に、懐かしそうな顔をした。
「そ、そうだったかしら?」
元々屋敷の門の前に、箱に入れられ捨てられていたのを、たまたま帰宅した幼いロザリアが見つけて両親に泣いて頼んだのだった、
箱の中にいた4匹いた猫のうち、1匹は既に死んでおり、残る3匹のうち2匹も衰弱が激しく、空腹には治癒魔法も効かないので必死の世話も届かず次々と死んでゆき、ロザリアは残る1匹を泣きながら世話をした。
その甲斐があって元気になった茶色と白の短毛猫は、ジュエと名付けられ、成長した今では長い尻尾を振り振り元気に屋敷や庭園を自由気ままに歩き回っている。
『そっか、猫好きなのは変わってなかったんだ、リュドヴィック様の事も、ずっと好きだったんだよね、よく頑張ってたよ、ちょっと前の私……』
たまたま前世の記憶を取り戻したから現状があるだけで、自分はずっと自分のままだったわけで、一つ間違えれば『悪役令嬢』となり果てていたのだ。とロザリア己の幸運に感謝する。
いつだって本当に自分自身を認め、許し、褒めてあげられるのは自分だけなのだ。
「可愛い生き物を見ると癒されるね」
「ええ、本当に、……あの、なぜリュドヴィック様がここにいらっしゃるのですか」
ロザリアが猫を愛でていると、当然のように横に座っていたリュドヴィックに、思わずロザリアが突っ込んだ。
「ん? きちんと屋敷の正門から入って庭園を歩いてきて、この東屋にたどり着いて」
「ここに来た経路の事を言ってるのではありません! 先触れも無しに来るなんてどういう事ですか!?」
なおも当然のように話すリュドヴィックに対する突っ込みは止まらない。
「いや? きちんと先触れも送ったし門番にも挨拶したよ? 御者やクリストフは控え部屋でお茶をいただいてるはずだし」
「もはや王太子様は素通りの扱いですね、さすがに少々気安いにも程があるとは思いますが」
「どうなってるのよこの屋敷の人たちは……」
アデルは若干あきれ、ロザリアは屋敷の惨状に頭を抱えるのだった。
次回 第17話「侯爵令嬢ロザリアの毎日」②