恋に死ぬ
好きだった人に振られた。
そう言うとなんてことの無い、ありふれた物語の冒頭だと思う。
でも、これは私にとってはなんてこと無いことでは無いし、ありふれてもいない、とても重大な出来事だった。
正直、母に作ってもらった晩ご飯を食べて、自室のベッドに寝転がっている今でさえ実感が湧かない。
片想い歴二年。
私は二年間この秘めた思いを彼に打ち明けることなく一バイト仲間として接してきた。その一線を超えないように、私の気持ちがバレないように細心の注意を払いながら、接してきた。
客観的に見て、私は美人でも美少女でもない。綺麗であろうと努力はしている。化粧も髪型も服も保湿も、できるだけお金と時間を注いでいる。
それでも道行く人が私に目を奪われることは無いし、これまで誰かに好意を寄せられたことも無い。私の引っ込み思案で卑屈な性格がそういう結果を作ったのだと思う。
そんな私が、先日、思いがけず告白などという分不相応な大それた行為に移った。
仕方なかった。うん。あれは多分、私にはどうしようもなかった。それに、ああするのが私にとって一番よかったと思う。
「俺、バイト辞めるんですよね」
彼の口から聞いたのは、辞める三日前だった。ちょうどお客さんがいない状況で、レジの中で二人して棒立ちしてる時だった。本来は他にも色々やることがあるけれど、その時はたまたま何もすることがなかったのだ。
「へえ。そうなんだ。どうして?」
私はと言うとクールを気取って、冷静なフリをしてしまいました。内心では胸が焼けそうになって、慌てふためいていたというのに。
「んー。ここのバイト、やっぱり俺には合ってないなーと思いまして。今更ですけどね」
彼はそう言って恥ずかしそうに笑った。
実際、今更だった。彼がここのバイトを初めて二年と半年は経っている。とっくに慣れている時期だ。
先輩の私から見ても彼の仕事ぶりは全く問題はなかった。むしろ、私が助けられることがあるほどだ。
「あー。まあ、合わないなら仕方ないか」
コンビニのバイトに合わないもクソもない。きっとそれは建前で、実際は飽きたとかそういう理由だろう。ごめん、これは適当。
「そうなんですよね。南さん、お世話になりました」
彼は軽く頭を下げた。
「なんて言うか、寂しくなるな」
「そんなことないですよ」
あはは、と彼が笑う。
田中さんもいるし、三河の奴もいますし、金田くんとか広田とか西本とか。沢山いるじゃないですか。
そんなこと、あるんだよ。
私はそう言いたいのを堪えて、そうだね、と当たり障りのない返事を返した。
バイト仲間なら、そう返すのが正しいから。
それからはお客さんが来たり、他のバイト仲間とレジを代わったりで彼と話す機会は来なかった。
深夜番の人達が来て、その日のバイトは終わった。
事務室でタイムカードを押して、着替えを済ませて、恒例の雑談タイム。
私と、彼と田中。大体話が盛り上がる組み合わせになるとこうして少し話すことがある。
その日の雑談タイムでは、彼の退職については触れられなかった。
雑談が終わると、私と田中は同じ方向へ、彼は別の方向へ自転車を走らせた。
田中と明日バイトある? とかそう言えば今日変な客きたよとか、話をしている間、私の心はそこになかった。
あの話を聞いてからずっと、バイト中も終わった後の雑談タイム中も彼のことばかりが頭を占めていた。
どうしよう。私はどうすればいいのだろう。もし彼がバイトを辞めたら、もう二度と会えないだろう。私と彼はよく連絡を取り合う中でもないし、プライベートを共にすることもない。
私から連絡するなんて出来ない。もし、気味悪がられたり、嫌がられたりされたら死にたくなってしまう。お出かけの誘いを断られでもしたら、私はスマホを投げ捨てて二度と電源をつけないだろう。
つまり、彼と話すことが出来るのは今日までだ。いや、違うか。
話す機会ならまだある。明後日と明明後日はバイトの時間が被っているし、話すことは出来る。
ただし、それが終われば本当に機会は無くなる。
それでいいのだろうか。
これまで、私は何度か気になった人がいた。同じ部だったり、同じクラスだったり。
その人達にも、私はなんのアプローチもしないまま卒業を迎えた。
したいのではなく、できなかったのだ。ドラマのように恋愛に奔走する自分など気持ち悪くて見てられない。そんなことをするぐらいなら何もしない方がいい。
そう思って大学にも入り、もうすぐ卒業だと言うのに恋愛経験のない女になってしまった。
また、中学や高校の時のように何もしないまま別れるのだろうか。
指を咥えて彼が他の女と仲良くなる姿を眺めているのか。
そんなのは嫌だ。嫌に決まってる。今度ばかりは。
「田中」
「何?」
「ごめん。傘忘れたから先帰って」
「おっけー」
そう言って私は自転車の向きを反対にした。そのまま真っ直ぐ、元来た道を戻った。
ちなみに、田中は私が彼に好意を抱いていることを知らない。田中だけでなく、誰も知らない。
バイト先のコンビニを過ぎて、更に道を進む。以前バイト上がりに家と反対側にある書店による時、彼の家路に付き合ったことがある。だから、詳しい場所までは知らずとも大体の方向は知っている。
その時の記憶を頼りに、私はペダルを回転させる。
普段運動をしないせいで、少し立ち漕ぎをしただけで動悸が激しくなっている。
それがとてもうるさい。体温まで急激に上げてくるのが鬱陶しい。
やがて、彼の後ろ姿が見えた。気だるげに歩いていた。
私は速度を落とし、彼の後ろに着く。
声をかけるべきか迷う。そうしてから、私は何を話すつもりなのだろう。考えていないことに気づいた。
彼は誰かと話しているようだ。
イヤホンの紐が腰の辺りにチラッと見えた。
楽しげだった。
もしかして、彼女だろうか。彼ならいてもおかしくない。人当たりはいいし、優しいし、控えめなのにユーモアもある。
きっと、彼はモテる。
彼と話す機会が無くなると考えたら、そんなことは頭から消えた。
彼女の存在の有無なんて、彼と会話出来るかどうかの前では些細な問題に過ぎない。
やばい。
どうしよう。話しかけよう。いやでも。
そんなことを頭の中で何度も繰り返した。
このままでは不審者に思われるかもしれない。だから話しかけるのは仕方ない、はず。
そんな曖昧な自己弁護の元、決心もつかないまま。
「相馬!」
彼は肩を揺らして、こちらを振り返る。驚き顔でイヤホンを外した。
「あれ? 南さん、どうしました? 家反対ですよね? あ、ごめんちょっと待って」
イヤホンの向こうにいる相手に言ったんだろう。
「うん。まあ、そうなんだけど」
「ビックリしましたよ。帰り道誰かに声かけられたことなんてないですから」
「そりゃそうだよな」
―――。
「どうしました?」
無言になった私に相馬が尋ねる。
私は何か言わなければと、突貫工事のような言葉が口をついて出た。
「その、な。相馬、バイト辞めるって聞いたからさ。えと、それで、すごく寂しいなーって思って」
「そんな、言ってくれれは何時でも遊びますよ」
「いや、でもさ、実際難しいと思うんだ。バイト中に会うのと、プライベートで会うのは違うし」
「うん。まあ、そうかも、ですね」
「だから、ずっと好きだった。って言いに来た」
相馬は一瞬、驚いたように目を見開いた。
それから少し悩んだように俯いた。
顔を上げた。
「はい。ありがとうございます。嬉しいです。すごく」
「うん。なんていうか、それだけ。返事とかは、いいから、別に」
「え、いいんですか?」
「え、あ、じゃあ。いる。欲しい」
「わかりました。それじゃあ今日はこれで。考えておきます」
「うん。いきなり言ってごめんな」
「いえ、南さん気をつけて帰ってくださいね」
「相馬も」
それ以上の言葉はなかった。
私の中に長年秘められ、肥大した好意がこんな言葉で伝わっているだろうか。
恋愛なんて本来疎いハズの私が、勢いだけでした告白がドラマの一面のように綺麗な言葉で表現できるとは思っていなかった。
どうしようもないほどの好きという気持ちを伝えたい。その一心でここまで来たのに、出てきたのは途切れ途切れで支離滅裂な言葉だった。
過ぎた時間は戻らない。
相馬が行ってしまった。二年間で積もった思いを伝える機会はこうして途絶えてしまった。
翌日。
スマホに来ていた通知を一度だけ確認して、それと同時に私の初恋は終わった。
「死にたい」
ベッドの枕にぶつけた言葉はただ私の頭に反響する。
読んでいただいてありがとうございました。今回の話は悲しい恋の話です。叶わない恋愛って辛いですよね。