第54話 走為上
呼ばれた声に応えるように、バッと目を見開くと、すぐ目の前にアリサの顔が現れる。
もう少しで顔と顔がくっ付きそうな距離に驚いて、すぐさま起き上がろうとすると、額にそっと手が当てられた。
「大丈夫だから、ジッとしてて」
「大丈夫って……」
後頭部に感じる柔らかな感触に、自分が膝枕をされていることに気付き、顔と耳が熱く真っ赤になっていくのが分かる。
そして、改めてアリサの顔を見れば、暗がりで顔色は分からないが、恥ずかしそうに明後日の方向を向いていた。
そんな気まずい沈黙が流れていた中、突如、顔の上に緑の小動物が飛び乗って来て、思わず悲鳴をあげて飛び起きた。アリサも何が起こったのかと、ビックリした顔でこちらに顔を向けてくる。
「お、お前……」
首の後ろをつままれて、ちょこんとこちらを見ている聖霊と睨み合う。そんな様子を見て、アリサは口元を押さえて、ころころと笑っていた。
「もう、大丈夫そうね」
「ああ」
聖霊をアリサに返しながら、自分は深々と頭を下げた。
「すまなかった。君のためと、あれこれ勝手な事をしておきながら、結局は君の事を見ていなかった」
「……バカ」
小さく聞こえた小言は、怒りからではなく、どこか気恥ずかしさが感じられる。
そして、アリサも小さく息を吐き出すと、
「私の方こそ、あなたに甘えてしまって……」
顔を伏せ、神妙な面持ちのアリサは、どこか思い詰めたように見えた。
「あなたがしてくれている事は、本来、私が……」
「やっぱり、分かってない」
え? と、思わず顔を上げる彼女に、呆れた顔をしながら向かい合う。本当に、彼女は自分から苦難の道を選びたがっているのではなかろうか。
「そうやって、全部を背負おうとして。この意地っ張りめ」
「そ、そんな言い方……」
「少し荷物を降ろしてみろ。君の周りには、一緒に歩いてくれる奴がいくらでもいるだろ?」
その言葉を聞いて目を丸くしたアリサは、目線を少し泳がせてから、躊躇いがちにこちらに視線を戻してきて、
「……あなたも?」
あまりに真剣な顔で当たり前な事を尋ねられ、笑いを抑えることが出来ずに、思わず吹き出してしまった。
「な、なによ! 人が真面目に話してるのに!」
「わ、悪い。あまりに下らない事を聞かれたから、つい」
「く、下らない?! 私は真剣に……」
「一緒に行くよ。約束する」
まるで告白のようで、気恥ずかしさのあまりアリサの方から目線を逸しながら答えると、彼女もまた、俯いてそれに応えてくれた。
それにしても、男というのは意外なほどに単純な生き物だと自分でも思う。
ああだこうだと考えるよりも、守りたいものが目の前に現れてしまえば、自然と覚悟も決まってしまうのだから。
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「……改めて聞くけど、他に手段は無いのね」
「ああ。西方の人たちの為にも、ここは引くべきだ」
当然ながら納得の行かない表情を浮かべるアリサ。だが、ここで引き下がるつもりはない。
「いいか。討ち死にも降伏も、結局はその後は敵の好き勝手にされてしまう、完全な敗北だ」
「……だから、逃げて勝機を待てと?」
「そうだ。特に、この国で君が居なくなれば、エルドは確実に終わる。それは……、それだけは断言できる」
彼女を失うことは、この国にとって、そして自分にとっても、絶対にあってはならないことだ。
真っ直ぐ見つめた視線を一瞬外し、大きく息をついたアリサは、煮え湯を飲まされたような険しい顔をこちらに向けてきた。
「……いい、西方を渡すのは、あくまで一時。必ず取り戻すんだから」
「ああ、それでいい」
心に誓った力強い視線を受けて、これが彼女の強さなのだろうと思う。普通なら、全てを投げ出して逃げてしまってもおかしくはない。
「それで、まずはどこに向かうの?」
方針は決まったが、ここからが問題だった。
ここから先の動き方が、この国の行く末を決めてしまうだろうから。
「それは……」
「それは、無論、王都だろうよ」
質問に答えようとした自分を置き去りにして、いつの間にか現れたラウは、さも当然のようにアリサの質問に答えるのだった。
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「遅い! いつまでも、じっと待っておれんわ」
「……いつから居たんだ?」
「貴様が、ぶっ倒れているくらいからだな」
「な、え、ええっ⁉」
驚いた声を上げるアリサに、ラウは平然とした顔で彼女の方を見ると、
「安心しろ。お前たちの痴話喧嘩なんぞに興味は無い」
そう言われて、またしてもアリサは、真っ赤な顔をしていた。どうも、ラウとは相性が悪いらしい。
「そんなことより、まずは、あの阿呆共を玉座から引きずり下ろすべき、だろ?」
「……言うのは簡単ですけど、そんなに容易なことじゃないでしょ? それに、ここからどうやって脱出するの?」
「それなら、一応、考えがある」
考えがあると聞いて、一斉にこちらを向いてくる二人。特にラウの方は、呆れ顔といった感じだ。
「貴様は、また、こそこそと裏で動いてたわけか?」
「買いかぶりだ。俺に出来ることなんて、旗を集めたり、情報をばら撒いたりが精々だ」
実際、考えた作戦自体も、実行出来るかは分からない。捨て身とも思えるこんな作戦を、果たして許容してくれるのか不安に思いながらも、二人に対して腹案を打ち明けた。
「面白い! 気に入ったぞ!」
「本当に上手くいくの? もし、相手の方が上手だったら……」
乗り気のラウに対して、慎重なアリサ。確かに不確定なことが多すぎる。指示を出す立場から言えば、不安なのは当然だ。
「ここで悩んでいても状況は改善しないのだろ? なら、やるべきだ。それに、連中に一泡吹かせられるかもしれんしな!」
最後はラウに押し切られる格好で、作戦の決行が決定するのだった。
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国境の城塞に掲げられた軍旗を見ながら、テミッドは後ろに控える軍師に胸のうちを口にした。
「正直、感心している。猶予はあと一日。逃げる素振りも見せず、未だに城塞に留まっていようとは」
「……諦めて、ここで果てるつもりなのでしょうか?」
「フン。それならそれで良い。容赦はしないがな」
「攻城兵器も間もなく準備が整います。あのような城、すぐにでも落ちましょう」
そんな話をしている時、もはや聞き慣れた太鼓の音が、城壁の方から聞こえてくる。
「……忌々《いまいま》しい、虚仮威しめ」
太鼓の音を耳にしても、今や兵たちは動じもせず、誰一人として剣を取ろうともしない。
だが、この時は少し様子が違っていた。
普段は何の動きも見せないはずの城門に、動きがあった。巨大な大門ではなく、少人数が行き来する扉のような入口が開かれたのだ。
「いくぞ! 思いっきり、かき回してやれ!」
開かれた扉から、十数騎の騎兵が一斉に飛び出してくる。
全く予想していなかった奇襲に、城を包囲していた兵士たちは混乱に陥った。
剣はおろか、鎧すら付けずに逃げ回る兵士たち。そんな兵たちの間を、騎兵が一気に駆け抜けて行く。
「も、申し上げます! て、敵の奇襲が……」
「見れば分かる。情けのない奴らめ」
報告に駆け込んで来た兵を一蹴し、苛立ったテミッドはジバに指揮を委ねた。
「容赦はいらん。殺せ」
深々と頭を下げたジバは、すぐさま各隊へと指示を出し始める。
「敵は少数です。自暴自棄の突撃でしょう。落ち着いて、一匹ずつ始末しなさい。それから、折角開けてくれた入口です。急ぎ確保を」
ジバの近くにいた兵士たちは、頷いたかと思うと、一斉に散って行った。
「さぁ、楽しませて下さいよ」
舌なめずりをしながら、ジバは静かに興奮していた。
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城壁の向こう側が騒々しくなっていた時、私達は国境線から少し離れた馬上にいた。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「ああ。ラウの奴が無茶しなければ、大丈夫さ」
やけに自信有りげに語る彼を見て、少し複雑な気持ちになる。
男同士の友情なんだろうか?
いつの間にか仲良くなったらしいラウは、確かに悪い人物ではない。ただ、いろいろと弱みを握られてしまった気もして、油断ならない人物でもある。
「急ごう。折角の時間だ。無駄にはしたくない」
「え、ええ。でも、二人だけで王都をどうにかしようなんて……」
そう言って、彼と二人きりの現状を意識してしまう。平静を保っていられるか、気が気でない。
「やっぱり、本当に周りが見えてないんだな」
「え? どうゆうこと?」
「いや、すぐに分かるさ。君は、自分の力を分かってない」
意味深に笑いかけてくる彼の言葉に、全く身に覚えがなく、ただただ首をひねるばかりだった。
「さて、君の兄上に、自分のやったことの代償を払ってもらいに行こうか」
国境線を背に、私達は王都へと歩みを進め始めた。




