第52話 説得失敗
「俺は、エルドの西側を一旦手放す必要があると思っている」
打ち明けた瞬間、当然、怒り出すだろうと思っていたアリサは、意外にも冷静に自分の話を聞いてくれていた。目を閉じて、暫く黙り込んだ彼女は、小さく息を吐くと、ゆっくりと目線を向けてきた。
「ここを捨てて、逃げろと言うの?」
「そうだ。無謀な戦いは避けるべきだ」
「……それは、ここがあなたの生まれ育った国ではないから出てくる案じゃない?」
確かに彼女の言う通りかも知れない。愛国心の教育など無かった自分ですら、故郷の一部を渡せと言われて承知出来るものだろうか?
「それに、国境だけでなく、西方全てを切り捨てろと?」
「……そうだ。残念だが、今、この国に全てを守る力はない」
分かってるんだろう? と、アリサに目線で問いかけながら、キッパリと言い切ると、彼女は目線を下に落としてしまう。
「……出来る出来ないじゃない。やらなきゃいけないこともあるの」
「それは、命を引き換えにしてもか?」
「……そうよ」
アリサの頑なな態度は崩れない。
当然かもしれない。持ち前の責任感に加え、今、この国の人々に寄添おうとする、唯一の王家の人間なのだから。
「それに、逃げると言っても簡単じゃない。隙を見せれば、兄は躊躇なく攻めてくる。そうなれば、あっという間に……」
そんな時、不意に部屋の扉が開かれた。
「その強情者の説得は、難儀そうだな」
そんな事を言いながら、ラウ・ブルームが部屋の中に入ってきた。
※※※※※※※※※※
「どうして、お前が?」
「俺の役目は王女の監視だぞ? よもや、王女が夜這いかと思ったが……」
「よ、よば?!」
言葉の意味が分からない自分の隣で、真っ赤な顔をするアリサ。
「……? どうゆう意味だ?」
「し、知らなくていいの!!」
先程までの沈んだ雰囲気から打って変わり、取り乱した彼女は大声を上げると、今度は恥ずかしそうに俯いてしまった。
「それで? 盗み聞きとは悪趣味な奴だな」
「フン。折角、人が助け舟を出してやろうと思えば、相変わらずな奴だ」
扉を閉めて、呆れた様子で歩み寄って来るラウに警戒感を持ちながらも、彼からは敵意を感じない。
「……監視役のお前が、なんで助けようとするんだ?」
「まぁ、一種の意趣返しさ。父への嫌がらせには、丁度良い」
「……お前、自分が捨て駒だと気付いていたのか?」
「王女諸共、俺を国境で排除してしまおうとは、父も食えぬ男だ。まぁ、木偶を装っていた、こちらの真意を見破っていたあたりは、流石と言うべきか……」
今までの命令を愚直に守っていた彼の印象からは、大分違った一面を覗かせるラウ。
「なぜ今更、裏切ろうと?」
「別に裏切ってなどいないさ。最初から繋がっていないのだからな。今まで黙っていたのは、お前たちの動向を見定める為だ」
「あ、あなた、貴族派筆頭のご子息でしょう?!」
顔を伏せていたアリサが、ラウに向けて疑いの目を向ける。良いところの出自とは聞いていたが、派閥の頭目の息子だったとは。
「父の野心は底が知れぬ。いつしか、己で国を治める事を夢見られるようになった」
「その息子のお前が、どうしてこんな扱いなんだ?」
「父は己以外の人間を信用しない。たとえ息子と言えど、政敵に見えるのだろうよ。まぁ、実際、その認識は正しいのだが……」
従順な出来損ないを演じなければ、息子と言えども生きては来れなかったと語るラウ。だが、淡々と父親との確執を語る彼からも、物悲しさは感じない。王族といい、貴族といい、この世界の価値観はどこかおかしいと感じてしまう。
「あなたは、これからどうする気?」
今まで疑惑の目を向けていたアリサが、穏やかな口調で問う。権力争いに身を置かれた者同士、何か思うことがあるのかもしれない。
「父は間違っている。あの男をそのままにすれば、遠からずこの国は無くなる。あの男を排除する」
「……他の方法は無いの?」
自らの父親を殺されたアリサからすれば、受け入れ難いのだろう。だが、ラウは首を横に振る。
「選択肢は無い。それに、あの男が担ぎ上げた王子も、このままにはしておけない」
王子と聞いて、思わずアリサの方へ視線を向けると、彼女の表情も固まっていた。
「アイツらは、この国の西方を既に切り捨てたぞ?」
その言葉を聞いて、アリサは目を見開き口を覆った。だが、彼女とは対照的な反応の自分に向けて、ラウは苦笑する。
「知っていたな? いや、予測していたか?」
それを聞いたアリサも、こちらに顔を向けてきた。
「……ああ、気になる噂も流れて来ていたしな」
「なにか知っているの? 教えて。兄様は、何をしようとしているの?」
「……ノルド王子は、国の西側を焦土にすることで、敵の侵攻を阻むつもりだ」
「焦土って、どうゆうこと?」
こちらに掴み掛かる勢いで詰め寄るアリサに、ラウが代わりに答えを口にした。
「食料を根こそぎ奪い取って、村を焼き払っているのさ」
「そんな、そんなことって……」
思わず絶句する彼女を追い打ちするように、ラウは言葉を続ける。
「戦略としては間違っていない。敵の侵攻を遅らせるのであれば、むしろ正しい方法とも言える。だが、それは村の人々を避難させてからの話だ。アイツらは、言葉通りに切り捨てているのさ。この国の人間をな」
アリサは、ラウの話を聞き終えて、今度はこちらを睨みつけ来るように目線を向けてきた。
「……知っていたの?」
「……」
「答えて! 知っていたの?!」
「……ああ」
そう答えた瞬間、頬に鋭い痛みが走った。彼女に平手打ちを食らったのだと気づいた時には、彼女は立ち上がって部屋の外へと出ていってしまっていた。
そんなこちらの様子を見ても、ラウは冷静だった。
「同情はせんぞ。王女が出て行ったから言うが、貴様、この事を知っていてなお、この状況を利用しようとしただろ?」
「……そうだ。お前の言う通り、戦略的には間違っていない」
「殴られて当然だな。その非情な判断は、どうしたら出てくるのだ?」
ラウに問われ、脳裏に一人の少女の影を思い浮かべ、思わず手を強く握りしめながら答える。
「……俺は、力のない自分が許せない。だから、使えるもの、利用出来るものは何でも使う。そう決めたんだ」




