They come from beyond darkness .
そろそろ ギアチェンジ
□□□
「誰と会っていたって……
お父様じゃないの?」
「だから、お父さんは下りていってないの。寝室から出てこなかった。
夜、部屋から出て、リビングに行くのはお母さんだけ。
なのにリビングで、お母さんは誰かと体を重ねているの。それを私は何度も見たわ」
「香さんの思い違いじゃないの?」
「違う」
香は間髪を入れずに答えた。
「お父さんが出張で家にいない時にリビングに下りて確認したの。
やっぱり、お母さんは窓際で誰か分からない男とくっついていた。
だから、私は……」
■■■
私は頭に来ていたのだ。
リビングで互いに抱き合う二つの影を見た時、無性に腹立たしくなった。
私の大切な家族を滅茶苦茶にしているものが目の前にいると思うとふつふつと怒りがわいてきた。もう、限界だった。
私はドアを激しく開けるとリビングの灯りをつけた。
謎の闖入者の正体を白日のもとに晒そうとしたのだ。
窓際で慌ててお母さんが露出していた胸を隠した。
「香ちゃん、こんな時間に何してるの?」
お母さんが少しうわづった声で言った。その言葉に私は更に怒りを募らせた。
「それはこっちの台詞よ。
お母さんこそこんなところで何をしてるの?」
「暑くて、なんだか目が覚めちゃったの」
だから丸裸同然の格好でリビングにいたとでも言いたいのだろうか?
私はキョロキョロとリビングを見回す。
おかしなことにお母さんしかいなかった。
(そんなはずはない)
私は間違いなくお母さんと誰かがいたのを確認してリビングに飛び込んだのだ。リビングの入り口は私が入ってきたドア以外にはない。窓はあるが逃げ出す時間なんかなかったはずだ。念のために窓を確認したが鍵が掛かっていた。
(一体どこに?)
私はソファの裏やカーテンを広げて見当たらない誰かを探し求めた。
「何をやってるの?」
リビングをうろうろする私に向かってお母さんが言った。
振り向くと、笑っているお母さんの顔があった。
一見すると、まるで見つけれるものなら見つけてみろ。そんな挑戦めいた笑いだった。
(ん?)
お母さんは笑っているようで目は笑っていないことに私は気づいた。どこか一点を緊張して見つめている。
私はお母さんの視線を追ってみた。すると、お母さんの視線は部屋の片隅にある戸棚に注がれているのが分かった。その戸棚は結構大きかった。体を折り曲げれば人が一人入れるかもしれない。
私は合点がいった。
戸棚まで歩いていく。観音開きの戸に手をかけ、一度、お母さんの方を見る。
お母さんはなにも言わなかった。さっきまでの笑みは消え、少し青ざめて見えた。
私は勝利を確信して戸を一気に開けた。
しかし、何もなかった。
戸棚の中は真っ黒だった。
私はお母さんの方をもう一度見る。お母さんはくすくすと笑っていた。
(騙されたのか?)
そう思うと無性に腹が立った。
「何が可笑しいの!」
私はお母さんに癇癪を爆発させた。
「お母さんの相手はどこよ!どこに隠れているの?」
「どこって、香ちゃんの目の前よ。
よ~く、見てごらんなさい」
お母さんの言葉に私はもう一度戸棚を見た。でも、やはり真っ黒だった。
(真っ黒……?)
なんでこの戸棚の中はこんなに黒いのだろう?と私は妙な違和感を覚えた。光が全く届かない深い洞窟のように目の前の戸棚はぼっかりと闇に包まれていた。
私は目を細め、戸棚の闇を凝視する。ゆっくりと手を戸棚の中に差しいれる。
(えっ?)
戸棚に差し入れた手が闇に飲み込まれ、見えなくなる。真っ黒な液体に手を突っ込んだように、戸棚に差し入れた手が全く見えなくなったのだ。肘のところまで戸棚に差し込んでみたが、なんの抵抗もなかった。
私は困惑すると同時に、いやな予感に囚われた。このまま手を入れてはいけない。そう思い、差し入れた時と同じようにそろそろと手を引き抜いた。
戸棚の闇から手を引き抜いた瞬間、突然、戸棚から別の手が出てきて私の手首を掴んだ。
あっと驚く間もなく、私の手首はぐいっと強い力で引っ張られる。そのまま肩口まで戸棚の闇に引っ張り込まれる。
「な、なに?」
両足と片手で戸棚を縁を掴んで踏ん張ってなんとか戸棚に引き込まれるのを防ぐ。
「こ、この―――」
体重を後ろにかけ、渾身の力で引っ張る。ずるずると私の腕は戸棚から引き抜かれた。
「も、もう少し―――」
手首のところまで引き抜くことに成功する。私の手首を握った何者かの手が露になる。と、思う間もなく、戸棚の闇の中からぶわりと白く丸いものが浮かび上がった。
それは三日月形の口の両端をニタリと上げた。
お父さん人形の顔だった。
「お嬢ちゃん、馬鹿力だな」
お父さん人形は、そういうとケタケタと笑った。
2018/07/15 初稿