an omen
「発端は父さんが海外出張のお土産で買ってきた人形なの」
乾いた唇を赤い舌で舐めると香は喋り始めた。
■■■
ガツッ
ガツッ
ガリガリガリ
釘抜きが木箱に打ち付けられる度に細かな木っ端が跳んだ。
「あなた、気を付けて」
「ああ、大丈夫」
お母さんの言葉に腕捲りしたお父さんは額に汗を浮き出しながら答える。釘抜きを釘の頭に差し込み、ぐいと体重をかける。メキメキと木が軋み釘が抜ける。
「で、結局、その中に何が入っているの?」
「まあ、待てって。直ぐに分かるよ」
私の問いにお父さんは少し鼻に皺を寄せ、答えた。お父さんは木の蓋に釘抜きを差し込み力一杯引っ張った。
バキ、バキ、バキン!
乾いた音を立てながら木の蓋が割れる。木の端が弾けて、私とお母さんに降りかかった。
「キャッ!」
とお母さんが悲鳴をあげる。
「もう!お父さん危ないでしょ」
私は髪の毛に入り込んだ木の屑を払いのけなから文句を言った。
「ああ、悪い、悪い」
お父さんは全く悪びれた様子もなく答える。関心は箱の中の物にしかないみたいだ。
箱一杯に詰められたおがくずに手を突っ込むと、
「じゃーん」
効果音と共に取り出したのは木製の人形だった。見た目は平たく言えばピノキオ。卵形の顔に団子鼻、真っ赤なほっぺに三日月型のニヤケタ口。違うのは頬の皺と鼻の下の髭だろうか。少し老けてる。
私はあんぐりと口を開けて、しばし言葉を失った。10秒ほど思考停止に陥って、ようやく気を取り直した。
「いや、じゃーん、じゃないよ。なんなのそれ?」
「なんなのって、人形だよ」
「人形なのは見れば分かる。
私が言いたいのはそれがお土産なの?ってこと」
「それがお土産なの、はないなぁ。
これは夫婦円満、家内安全の御守り人形なんだよ。これを見てくれ」
と言いながら、お父さんは箱の中からもうひとつ人形を取り出した。基本的な作りは最初の人形と同じだったけれど、目鼻立ちは女性だ。睫毛がけばけばして唇も真っ赤で厚ぼったい。いわゆる西洋の人の濃い顔立ちだった。
私とお母さんは顔を見合わせる。適切なコメントが見つからない。
「さっきのがお父さん人形で、これがお母さん人形。そして、これが娘さ」
あきれ顔の私たちを置き去りにお父さんは嬉々として三体目の人形を取り出す。先の二つより少し小さめで、カールした金髪を持った女の子の人形だった。
「これを家に飾ると家庭円満になるそうだ」
私は軽い目眩に襲われる。ここまで来ると何を言えばいいのやら……
「まあ、でも、並べてみると微笑ましいわね」
お母さんが少しひきつった表情で言った。私は、信じられない、と言った表情でお母さんを睨んだけどお母さんは、それを軽くスルーする。
「だろ、だろ!
いやー、やっぱり母さんは分かってるねぇ。
私たちもこの人形のように仲睦まじくしていきたいよね?」
お父さんは、我が意を得たりとばかりに喜色満面になった。
(全くもう!)
私は大いに不満だった。いつも、こんな風にお母さんがおだてるからお父さんはつけあがり、いつまでたってもお土産のセンスが最悪のままなのだ。
「そう?私には……」
「香ちゃん!」
文句を言ってやろうと口を開いた私をお母さんの声が遮る。お母さんを見ると口を真一文字に結んで、ふるふると首を横に振っている。
(はぁ~~~)
私は心の中で盛大にため息をついた。
(まーーいいか。この二人の間で納得ずくなら)
実のところ、私は自分用のお土産として、お高い香水を別に貰っていた。この人形たちはお母さんへのお土産だ。だから、私がとやかくいう筋合いはないのだ。文句を言って良いのはお母さんだけ。で、そのお母さんは何も言うつもりはないのだ。
ならば、私が変なことを言って両親の不興を買う必要はない。私は適当に当たり障りのない言葉でこの話題を打ち切ることにした。
「そだねー
私たちもこーんな家族になれるといいねー」
そう、私が言った時、ぐるんと子供の人形の首が動いて、私の方を向いて笑った。
そう。笑ったのだ。
女の子の人形がお母さん人形譲りの厚い唇の端を微かに上げたのを私ははっきりと見た。
……
見たと思う……
私はお父さんとお母さんの方を見たが、二人は何事もなかったように笑いあっていた。まるで気づいていない。私は今のを見たか、二人に聞きたい衝動をグッとこらえた。
相手にされないのは目に見えている。
(きっと、重みか何かで自然に首が動いただけ)
何度も自分に言い聞かせる。
「よし、じゃあみんなで人形を抱いて記念写真を撮ろう」
お父さんがとんでもないことを言った。
「嫌よ、絶対!」
私は思わず大声で叫んでしまった。
あまりの剣幕にお父さんとお母さんは顔を見合わせる。
「まあ、そんなに大きな声を出して」
「どうした、照れてるのか?」
「照れてないから!
そんなキモいこと、絶対しない」
私はそう宣言するとリビングを飛び出した。
「しょうがないなぁ。じゃあ母さんと私だけでとるか。母さんはお母さん人形を抱いて。
私はお父さん人形を持つよ。
撮ったら後でプリントしてリビングに飾ろう」
お父さんの陽気な声が私の背中を追いかけ来た。
□□□
「動いて、笑った……
香さんの気のせいではないの」
サツキは暗い部屋の中、手近にあったイスに腰掛けて香の話を聞いていたが、つい口を挟んでしまった。
「その時、お父様が女の子人形を抱いていたのでしょう。
何かの拍子で首が動いただけなのでは?
笑って見えたと言うのも単に光の加減でそう見えただけなんじゃないのかしら」
「私もその時はそう思った。思おうとした。
でも、それはおかしなことの単なる最初の出来事でしかなかったの。
ただの予兆、omenよ」
2018/07/11 初稿