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ヘリオスの心音 24


 アランが行けば、きっと時間が稼げる。

 そうしたらサムが向けた助けもきっと間に合う。

 だからアランは躊躇わなかった。




 堂々とドアを開けて、―――正面から。

 アランは地下室に入った。

いろいろなものが積み上げられた物置のような部屋。大きな棚や机が部屋の端に詰まれキャンプで使うようなランタンが灯されている。―――その、片隅に。

ミユキが、いた。視線が向く。―――海の底の光のような全てを飲み込みそのまま映す深い深い眼が―――アランを見て。

 困ったように。―――少し微笑った。

「―――アラン」

 アランは躊躇わなかった。

 ばしゃばしゃと駆け寄りミユキに抱き付く。―――どこからか雨水が入ってしまっているのか水が足を少し浸すくらいに溜まっていたが、それでもミユキの身体はあたたかかった。冷え切ってもいない。怪我をしている様子もどこにもない。

 よかった。―――本当に、本当によかった。

「―――妊婦、だからな」

 耳障りな、がびがびになった低い声。

 ゆっくりとそちらを見た。

 ざらつくような不精髭。目はどこか焦点が合っていないようにぼやけ、それでもアランを見つめている。

 不気味なその様に、……ぞっと、した。きゅ、とミユキが手を握ってくれて、それでアランは自分の心を見失わずに済んだ。

「その髪の色をした子供が産まれれば。結構な高値で売れそうだしなあ」

「……」

 アランは歯を噛み締めた。―――お腹の、赤ちゃんまで。

 絶対に―――連れて行かせたりはしない。

「×××―――だったか? お迎えだ。さあ、行こう」

「行かない」

 アランはきっぱりと答えた。

「絶対に行かない。―――ぼくはお前を、選ばない」

「困るんだよなあ」

 やれやれ困ったというように笑う犯人を睨み付ける。ちょっと肩を竦められただけで効果は全くなかった。

「お前を渡すってことで俺は結構な金を借りてんだよ。お前が来てくれなきゃ困るんだ」

「そんなの知らない」

「だろうなあ。それはまあ、親を恨めよ。実の子をうっぱらって金せしめようとする親なんて、俺みたいな奴よりもよっぽど悪人だろ」

「……」

「それでも。―――『これ』はお前の親だろ?」

 そう言って。

 犯人は暗がりから何かを引っ張り出すようにして引き摺り出した。今まで気付かなかったその人がランタンの小さな灯りの届く場所まで転がり出て―――その、人に。

 アランは息を吞んだ。

「……×××……」

 その人は。―――その人のことを。

 アランは知っていた。―――このモーテルまで一緒に来て、そしてアランを置いて行ったその人を。

 アランを売った、……その人を。

「……『お母さん』」

 その瞬間、車の中で焼け死んでいたのは『お父さん』だったのだとアランは理解した。

 びちゃびちゃの床に手脚をぐしゃりとする『お母さん』は記憶にある『お母さん』よりずっと酷い格好をしていた。着ているのは薄手のシャツとズボンで上着はなく、足は裸足でがたがたと震えていた。服は全て薄汚れていたりところどころ焦げていたり、髪はぼさぼさで顔色も悪く、頬は色が変わって腫れていた。

「……×××……」

 一度も聞いたことのないようながたがたに震えた弱々しい声で。『お母さん』が、呼んだ。

「来ないと、殺すぞぉ?」

 場違いな程明るく犯人が言って。―――取り出した銃を、『お母さん』の頭に突き付けた。

「っひぃッ!」

 引き攣った悲鳴を上げて。『お母さん』が叫んだ。

「×××! 来て! 早くこっちに来て! 『お母さん』のところに!」

「……」

 その光景を、その様を。……アランはじっと見つめた。

 見つめた。……見つめた。

 ―――そして。

「―――選ばない」

 アランは、―――言った。

「ごめんなさい。ごめんなさい。―――選ばない。もう選べないし、選びたくない。でもそれを、ひどいことだとも思えない。―――ごめんなさい」

 死んで当然とは、思わない。―――けれど。

「ごめんなさい。―――ぼくはそっちに行かないから、あなたは、死んじゃう」

 静かに言ったアランを。―――『お母さん』は。

 信じられないものを見るような目で見た。

「っ―――どう、して! 産んでやったのに! 痛い思いをして産んでやったのに!」

「ごめんなさい」

「恩知らず! 恥知らず! 役立たずの人でなし! あんた―――あんたそれでも、」

 『お母さん』が。




「あんたそれでも、人間なの!」




 沈黙。

 静寂。―――そして。




 笑い出す声。―――男の声。

 犯人の声。

「人間なの、って! ―――人間扱いして来なかった癖によく言うなあ!」

「ッ……うるさい、うるさいうるさいうるさいッ! ガキなんて欲しくなかったのよ! それでも、それでも産んだからにはあたしのものよ! あたしの好きにして何が悪いのよッ! 来なさい、×××!」

「……」

「来なさいッ!」

「……」

「来なさいって言って―――」

「ああもういいや、黙れ」

 がっと鈍い音がして『お母さん』が顔から水に突っ込んだ。ぐしゃりと潰れるようにそうなって、ぐしゃぐしゃに泣きながら身体を起こす。……ミユキが。

 そっと、背中からアランを抱きしめた。―――耳元でしっかりと紡がれる。

「アラン。―――わたしたちの大切な、アラン」

 やわらかい声。やさしい声。

「―――大好きだよ、アラン」

 『お母さん』の発した言葉はアランにそのまま届いた。アランが『選ばなかった』せいで『お母さん』が傷付けられた様をアランは眼の前で全て見た。

 ごめんなさい。ごめんなさい。―――それでも。

 それでもアランは、もう『お母さん』を選べない。

「……変更、かな」

 呟いて。―――男が銃を向ける。それを。

 ミユキに向かって。

「ガキ。来い。―――その女、撃つぞ」

「……!」

「こっちに。―――そうしたらお前は見逃してやる」

「うそだ……」

「嘘じゃない」

「嘘だ! だってそうしたらおまえはお金が手に入らない!」

「そうだな。―――だからこの女を使うんだよ」

 銃を向けた先のミユキを見て、楽しそうに笑う。

「赤ん坊っていうのは需要があるんだよ。―――珍しい髪の色を持つ赤ん坊なら特にだ」

「ッ……!」

「こっちに来い。その女はお前の『お母さん』じゃないんだ。実の親を見棄てて赤の他人を取るのか?」

「ぼくはっ……!」

「アラン、行きなさい」

 信じられないことをミユキが言った。背後から抱きしめる手がするりと解かれる。

「み、ミユキっ、ゃ……!」

「行きなさい」

「ゃ―――」

「行きなさい!」

わん、とミユキのやわらかい声が一瞬だけ響いて、

その余韻がアランに永遠のように残る。




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