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ヘリオスの心音 22


嵐の中、強い風に吹き飛ばされそうになりながら身を低くしぐるりと回り込むようにして裏口を目指して。

 漸く辿り着いたそこで、レインコートを脱いで手早く丸める。プランターの裏にそれを隠し、中に入った。

 雨音と風音と近づいて来る稲妻の音。……けれど、建物の中はしんとしていた。音がたくさんあるのに、人が立てる音は何一つしない。

「……」

 こくりと唾を飲んで。アランはタオルで身体を拭いた。靴の裏も拭いて足跡を残さないようにして、汚れたそのタオルを裏口に置かれていたバケツの中に入れる。これは見付かっても構わないものだ。

 そうっと忍び込む。―――進む。キッチンへ。使い込まれた棚やお鍋やフライパン。きっと、包丁もあるのだろう。……けれどアランにそれが使えるとは思えない。必要かもしれないが、役に立てることは出来ない。慎重に慎重に辺りを見渡して、引き出しをそっと開ける。……外れ。そうっと閉めて、開けて……ばくばくと心臓が鳴るのを感じながら必死に探す。

「……あった」

ほとんど吐息みたいな、奇妙に冷たく染まった息でそう呟いて。……アランはリュックを開けた。

ともりが作ってくれた、お月さまのクッキー。それをぱきんと砕いて、ごめんなさい、ごめんなさいともりと心の中で何度も謝りながらそれをこぼす。点々と、キッチン前の廊下からキッチンに向けてそれを落とし、……行き着いた先で、先程見付けたあれをとくとくとこぼす。

準備は整った。―――あとは。

「っ―――」

仕掛けて。―――待つだけだ。

おたまを。―――上に放り投げて、落とした。

空気を割るような金属音。それが完全に止んだ瞬間、アランはそれを素早く元の位置にかけて戻した。

びゅうびゅうと鳴る風の音の中。―――音はきちんと、聞こえただろうか。

息を殺して棚の影に身を潜めて待つ。待つ。待つ。

……音は、届いていた。

 近付いて来る足音。―――それは。

 キッチンに入り。……見渡す時間を取るように、足を止めた。

「……」

 ……微かな、しゃり、という音が聞こえたのはきっと、アランの耳が緊張し少しの音も聞き逃さなかったから。……こぼしたクッキーを辿り、視線は行き着く。……ほんの少しだけ蓋が開いた、大きなオーブンに。

「……」

 頑張れば大人も入れる程大きな、普通のお家ではまずないような大きなオーブン。……それを。

 覗き込むひとりの大人男の背後に、アランは気配を殺して立った。―――そして。

「―――っ!」

「がっ……!」

 思い切り。―――体当たりして突き飛ばした。

 前屈みになりオーブンを覗き込んでいた男の身体はアランの小さな身体の体当たりでも十分に不意打ちになったらしく、オーブンの中に突っ込むようにして飛び込んだ。―――けれど。

 これで終わりではない。

「っああっ!」

 手を突っ張り体勢を立て直した男の人がオーブンの中でぐしゃりとつっぷした。―――先程見付けた油。それをたっぷりと五面に塗り付けておいたのだ。どこに手を付いてもぬるりと滑り体勢を立て直せないように。

 じたばたともがけばもがく程身体は前のめりになり、そして完全に身体はオーブンに入ってしまった。最後の脚先だけをえいっと無理矢理押し込んで、アランはオーブンの蓋をばちん! と閉めた。これも予め見付けて確保しておいた太い麺棒でつっかえ棒をし開かないようにし、それでも不安だったので長めの棒状のものをありったけ掻き集めそれをぎっちり埋めるようにしつっかえ棒にし、がんがんと内側から叩く音や叫び声が嵐の音にいつか勝ちそうな気がして怖かったので何かを包んでいたらしい布をかけ音があまり漏れないようにし重たい小麦粉か何かの袋をうんしょうんしょと引き摺ってそれをオーブンに立てかけるようにしそれでもまだ不安で堪らなかったのでオーブン周辺にも油を撒き散らしておいた。

「ょ、よし!」

 裏返った声で小さくそう言う。全然よしじゃないしこんなもので大人の男の人を完全に封じられただなんて思ってもいないが、そうでも言わなければがたがたと震える膝は今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

『……いや、十分だろう』

「え?」

『確実に……特にあの元詐欺師並の対処力の高さだと……いや、まあ、いい。数日間でも一緒にいれば似て来るものなんだろう、きっと。……よくやった。とても素晴らしい』

「ほ、ほんとう?」

『ああ。それに、そうだな。誇らしくも思う。上手く言えないが』

「う、うれしい」

 少したどたどしい言葉だったが、だからこそサムが一生懸命褒めてくれているとアランは感じられた。がたがたと震える膝の震えが少しだけ治まる。

 お守りの言葉。―――アランが大好きな人たちから貰う、素敵な言葉。

『……君は、スイッチを入れることを思い付きもしなかったんだな』

「え?」

 反射的に問い返してから、気付く。……燃え盛り炎を上げていた車。

 チャーリー・ミィ。……『お父さん』か『お母さん』のどちらか。

「……」

 やったのは十中八九、この犯人たちなのだろう。アランを売り手に入るはずだったお金の当てを失って、怒った彼らは『お父さん』と『お母さん』を掴まえ車に火を付けた。

 今アランが指先一つ、否、意志ひとつそちらに向ければ。……同じ目に遭わせることが出来る。

「……」

 でも。

 ―――でも。

「……いい。……ミユキとともりのところに、行こう」

『ああ』

「いいんだ。いい。……だって」

 だって。―――だって。

「うまく、言えない。……でも。そんなこと、したあとと、前じゃ……きっとぜんぶ、変わっちゃうんじゃないかって、思う」

 ……言葉が、上手く見付けられない。……だけれど。

 絶対に違うと、……思うのだ。

 サムが、微笑った。

『ひとつ、教えよう。―――人はそれを、高潔と呼ぶんだ』

 アランも、微笑った。……今にも涙がこぼれそうな、情けない笑顔だった。―――けれど。

 サムはそれを、笑わなかった。



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