ヘリオスの心音 2
お金がない、お金がない、が口癖の『お父さん』と『お母さん』がどうしていきなり×××をこの街に連れて来て、そしてこのモーテルに部屋を借りたのか―――わからなかった。
着いた時はこざっぱりとして綺麗に整えられていたのに今はもう×××の家みたいに汚く散らかっている部屋を隅から見て、そっと息を吐く。ばれないようにため息を吐くことは得意だった。これだけは誰にも敗けないくらい得意だ。
×××はそうっと、そうっと……高鼾をかく『お父さん』と『お母さん』を起こさないように、白いドアを開けた。真っ白なドアは少し古いけれど綺麗に磨かれていて、綺麗だな、と思っていた。けれど連日『お父さん』と『お母さん』が煙草を吸うので、なんだか黒ずんでしまったようにも見える。
ぽてぽてと廊下を歩いた。昼下がりのモーテルはしんとしている。みんな出払っているのか、それともやっぱり眠っているのか。明るい日差しが差し込んで、白い廊下がふわっと浮かび上がるように白まって。とてもやわらかく見えたそれに、×××は小さく微笑った。
―――ふわり、と、不思議な色が広がったのは、その時だった。
奥の角を曲がって来たひとりの女のひと。背はそんなに高くない。細くて、小さくて、―――そして。
髪の、色が。日差しを受けたところからふわっと変わって不思議な色のグラデーションを作る。肩ぐらいまでの髪が女のひとが一歩踏み出す度にさらりと揺れて色を変えて、見たことのない……とても不思議でとても綺麗な色に、染まる。
白い廊下で、そのひとは、……ふわっと迷い込んだ、天使みたいに見えた。
「……」
思わず立ち止まってじっと見つめてしまった×××に気付いた女のひとが―――×××を見て、ふは、と微笑った。
「こんにちは」
―――この国のひとではないのかもしれない。だって、肌の色があんまり見たことがない色だ。髪もこんな不思議な色は見たことがない……眼、だって。
眼だって、不思議だった。とっても深い深い色をした黒色。どこまでも深く透き通っていて、本当に……本当に、綺麗だった。
ぼうっと見惚れる×××に、その女のひとは小さく小首を傾げた。……かわいらしい仕草だった。
「……大丈夫?」
「……っぁ、」
×××ははっとした。はっとして、ぷるぷる、と首を横に振る。
「だっ……大丈夫、です。……だいじょう、ぶ……」
「……そう? うーん」
女のひとはちょっと考えるような仕草をして、それからまたふはっと微笑った。……とってもかわいい笑顔。こんな風にあったかく×××に微笑ってくれるひとなんて今までひとりもいなくて、思わずじいっと見つめてしまう。それでもその女のひとは、嫌な顔も怒った顔もしなかった。
「ちょうどよかった。今ね、お話し相手を探してたの」
「……おはなしあいて?」
「うん。あんまり出歩いちゃ駄目って言われててね」
「……びょうき、なの?」
「ううん。元気だよ」
それかはまた、やさしい笑顔。
「心配してくれてありがとう。やさしいね」
「……」
そんなことを言ってもらえたのははじめてで。
×××は俯いた。……どんな顔をしていいのいか、わからなかった。
「そう言ってくれたひとも、心配してそう言ってくれたの。でも……ちょっと退屈になっちゃって」
「……うん」
「だからね、お話相手。少しでいいんだ。駄目かな?」
女のひとが、壁に軽く手を付きとても慎重な仕草で少し膝を折って×××と眼線を合わせた。……ひょっとしたら身体が不自由なひとなのかもしれない。元気だけれど、身体が上手く動かないひとなのかも。
×××が大人と話すと、『お父さん』と『お母さん』は怒る。怒ってぶって、蹴ってご飯をなしにする。……とても痛くてひもじい思いをすることになる。……けれど、この……このやさしいひとと、×××はもう少し話をしてみたかった。こんなことを思うのははじめてだったので×××はちょっと、いやだいぶ、驚いた。……怒られるのが何よりも怖いのに、でも、この女のひとの笑顔をもっと見たくて。
「……少しなら、いいよ」
少しなら。……『お父さん』と『お母さん』が眠っている間なら。
「本当? うれしい、ありがとう」
女のひとはふは、とうれしそうに微笑った。……それだけでなんだか胸がいっぱいになってうれしくなる。
「わたしはミユキ。よろしくね。……君の名前は?」