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ヘリオスの心音 19


 雨は酷くなる一方だった。もぞもぞとミユキが起きて来て、空を見て―――小さく呻く。

「……警報、出てるよね……?」

「うん。今さっき出た。みーさんナイスタイミングで起きて来たね」

 ともりが言って、ミユキがうなずいた。ともりはいつでも避難出来るようにと鞄に最低限のものを纏めつつアランに部屋着から着替えるよう指示を出していた。

「みーさん、俺がやっとくから、着替えてて」

「うん」

 ちょっとまだ眠たそうな顔をしたミユキがそれでもうなずき、クローゼットから丁寧に畳んでおいてくれたアランの服を取った。

「アラン、これに着替えてくれる?」

「う、うん……」

 外はざあざあとバケツを引っくり返したように雨が降っている。暖房が効いているはずなのに少し寒くなって来た。縮こまりそうになるアランの頬をミユキが撫でて安心させてから、分厚いズボン、しっかりとした生地のシャツ、上着を着せてくれる。上着はちょっと生地がごわごわしたやつで、フードまですっぽりと被れば少しの雨なら防いでくれる。靴下も分厚いものに履き替えて、靴も靴底がしっかりとしたスニーカーになった。

「寒いとか窮屈とかあるかな?」

「ううん、大丈夫」

「いざとなったら避難するから、絶対に逸れないようにね」

「う、うん」

「……大丈夫、離れ離れになったとしても絶対に探してみせるから」

 ちゅ、とおでこにキスを落とされる。……心があったかくなる。

 ミユキの着替えもともりが手伝って、全員が全員、身動き取り易い格好になり、アランの小さなリュックには小さなペットボトル一本とクッキー、タオル、予備の靴下、シャツ、それからレインコートが入れられた。

「アラン」

 ミユキが箱から出して来た何かをアランの首にかけた。

「ヘッドライトだよ。このボタンを押すと灯りが点くから。……ごめんね、大人用のしかないから、大き過ぎて頭には付けられないの」

「ううん、全然だいじょうぶ。……ミユキたちのは?」

「残念ながらあるんだなあ」

 ミユキがちょっとぼやいた。何でかと思ったらミユキは「こういうのをつい『予備で』『予備で』って買っちゃうところ、あんまり良くないと思うんだよねえ」と唇を小さく尖らせ、同じく首からそれを下げたともりが「役に立ったじゃん」と楽しそうに答えた。よくよく聞くとミユキのお仕事でこういうものはよく使うらしく、気を抜くとあっという間にお家の中がサバイバルグッズみたいなもので溢れ、なんだかちょっと、ミユキとしては不満みたいなのだ。

「でもこういう時何も困らないじゃん」

「そうなんだけどさ……でもさ、スタンガンまで揃ってると、なんだかなあって思わない?」

「すたんがん?」

「あー……」

 ミユキがぽりぽりとほっぺを搔いた。それからちょっと困ったように、

「……武器、だよ。身を護る為の。それを押し付けたり、プールみたいなところに落としたりすると強い電気が走って身体が痺れて動けなくなるの」

「……小さな雷みたいなもの?」

「そう。持ち運べる小さな雷」

「へえ……でも、どうしてプールに落とすの?」

「水は電気を通すんだ。だからその水に触っていたひとはみんな一斉に痺れちゃう」

「そうなんだ……」

「サムが『五個持ってるから一つやろう』って言ってくれたの。どうして五個も持ってるんだろうねえ」

 ぼやくミユキに苦笑しながらともりが手早く二つ分のリュックに荷物を詰めた。屈めないミユキの代わりにミユキとアランの靴紐をしっかりと結び直し、ミユキが取り出したテープを窓ガラスにばってんに貼り付けた。トビチリボウシ、らしい。……二人の手際が良過ぎて何がなんだかわからない。バスタブにはいっぱいに熱いお湯が張られ、ありったけのお鍋と薬缶でお湯が沸かされ、ポットや水筒も熱いお茶やお湯で満たされている。ものすごく手早くともりがスープを作りミユキがおにぎりを握って(こればかりはアランも参加出来た。三角にならずボールになったけれど)、食べられる内にともぐもぐ食べて、お腹が満ちて―――ともりに着いて来てもらいながら歯磨きとおトイレを済ませた時、ばちんと大きな音がして辺りが真っ暗になった。

「アラン」

 すぐさまともりはヘッドライトを点けた。慌ててアランも点けようとして、「とりあえず一個で大丈夫だよ」とゆったりした声に言われ今はやめる。ともりに手をしっかりと握られ、握り返して―――「みーさん、平気?」とともりが少し声を張りながらアランと共にゆっくりリビングに戻ると、既にミユキは用意していた蝋燭に火を点けソファーで毛布に包まり「若干ねむい」とくつろいでいた。

「おい、大丈夫か?」

 どんどん、と少し荒っぽくドアが叩かれた。アランをミユキの横に「あげる」と並べたともりがそちらに歩み寄り、アランがミユキに「もーらいっ」と言われ一緒の毛布に巻き込まれるようにして抱きしめられほっこりとしているのを、少し焦ったようにして部屋に入って来たカインズのおじさんは見て一瞬絶句した。格好から準備やら既に万全なのをぐるりと見渡し、「なんて手のかからない客なんだ」と一言零し、ふるりと頭を横に振る。

「ここら一体全部が停電してるんだ」

「電線が切れたんですかね?」

「まだわかっていない。山火事で結構な消防隊がそっちに行ってるから、今ここは手薄なんだ」

「……家事、この雨で終わるといいね」

「多分終わる。そういう意味では恵みの雨だな。……本当、坊やには申し訳ない。怖い思いばかりをさせてるな」

 心底申し訳無さそうにおじさんが言って、アランはふるふるっと首を横に振った。毛布の中でアランを抱きしめるミユキがよしよしとアランの頭を撫でてくれる。

「ぜんぜん、こわくないよ。あったかいの」

「……そうか。それは何よりだ」

 ややあっておじさんはにこりと微笑ってくれた。

「お腹が減ったら、何か出してあげるから……って、言わなくても大丈夫だな、この二人なら。……本当、なんて手のかからない客なんだ。何かあったら言ってくれ……と言いたいところだが、おたくらが困った時はこのモーテル自体がそれなりにまずい時だろうから、あまり力になれんが。とりあえずまあ、そんな感じだ」

「わかりました」

 何だかすごくざっくりしているように思えたが、多分これはカインズのおじさんがいい加減とか、そういうのじゃなくて……この二人がすごいのだろう。

 おじさんが帰ってゆき、ふう、と落ち着いた息を吐きミユキが窓の外を見る。

「嵐だね。……窓ガラスさえ割れなければ、この規模なら……大丈夫だよ」

「荒野のど真ん中じゃないしねえ。あれはちょっと大変だった」

「……みーさん、俺その話は聞いてないなあ? 荒野のど真ん中で嵐に遭ったの?」

「あ」

 やば、というようにミユキが口を噤んだ。にっこりと、ソファーまで戻って来たともりが綺麗に微笑う―――蝋燭の灯りに照らされそれはとてもとても綺麗で格好良くて、そしてとてもとても凄みがあった。ごごごごごという音が聞こえて来そうだった。

「い、今じゃないよ」

「当たり前です。……終わったら躾……尋問があるから」

「ひえ……」

 小さく悲鳴を漏らしたミユキがぎゅうっとアランを抱きしめる。「アランも言っておやり」とばかりにミユキがアランの手をやわらかく握ってはたはたと振った。

 ごろごろと、低い音がした。びくりと身を竦ませて―――その震えが二つ、重なったことに気付く。

「……」

 ともりが黙って。ふるり、と一度強めに首を横に振った。

「ともり」

 ミユキが、呼んで。片腕をのばす。アランを片腕で抱きしめたままミユキはともりも抱きしめた。ミユキを真ん中に、ソファーにアランとともりと三人で―――赤ちゃんも入れて、五人で。

 一枚のたっぷりとした毛布に包まって、五人分のあたたかさを分かち合う。

「……怖い? アラン」

「……」

 アランは暫く黙って。……それから、ひとつだけうなずいた。

「……雷。……鳴ると、『お父さん』と『お母さん』は……ぼくを外に、出すんだ」

 アランがぐしゃぐしゃに泣き喚き、ごめんなさい、ごめんなさい、怖い、こわいお家に入れてとお願いするのを見て―――にやにやと。

 楽しそうに。―――笑っていた。

 とてもとても楽しそうに、笑っていた。

「こわくて……こわくて、こわくて。……雷に……知らないところに、連れて行かれるのかと、思って……」

 でも。―――もしかしたら。

 今だから思う。―――その方がもしかしたら、アランは。

 幸せだったのかも、しれない―――。

「……アランが」

 あたたかい手が。

「アランが、雷に連れて行かれなくて。……ともりが、雷に連れて行かれなくて。―――わたしは本当に、本当にうれしい」

 アランの手を、ともりの手を―――握る。

 やさしく。何よりもやさしく。

「そんな酷いことは、もう二度と起きない。誰にも何にも連れて行かせたりしない。だって、わたしのだもの。そんなことをするひとより、ものより、ずっとずっと、二人はわたしのものだもの。もう二度と、そんな風に二人を怖がらせたりしない。

 ……でももし、でももし怖くなったら。怖くて怖くてたまらない時が来たら。

 ……好きなものを、想って。ひとつひとつ……大切に。

大事なお守りの言葉だよ。ともりもアランも、お守りをたくさん持ってる」

「……ぼく、持ってない」

「そう? でも―――アランのやさしいところは、わたしのお守りになったよ」

 すごいね、アランは。……蝋燭と一瞬の稲光に照らされたミユキが、微笑う。

「誰かのお守りになれるくらい、アランはやさしくて強いんだね。

勇気を持つって言葉は、怖がらないことじゃないんだよ。

怖くても、自分の意思で何かを決めて行動出来ることを言うんだ」

「―――……」

 お守りに。……アランが、お守りに。

 アランが。……何も出来ない、嗤われるだけのアランが。

「アランの手は、たくさんお腹を撫でてくれたね」

 ゆっくりと、手を撫でられて。

「アランの口は、たくさんやさしい言葉を紡いでくれたね」

 ゆっくりと、ふにふにと唇を突かれて。

「アランの眼は、―――本当にたくさん、わたしとともりを見つめてくれたね」

 ミユキが転ばないように。ともりの負担を少しでも減らせるように。

 ―――二人をずっと、見ていた。

 ずっとずっと、見ていた。

「やさしい子。―――本当に、ほんとうにやさしい子」

 ふは、と、楽しそうに。

「本当に―――わたしの大好きなひとたちはみんな、やさしいひと」

 ミユキが。―――ともりの黒い髪を、愛おしそうに撫でる。

「わたしはね、欲張りなの。絶対、ぜったい離したりしない。あきらめたりしない。―――残念ながらね。だから」

 アランの手を握り。ともりの手を握り。

 ミユキが微笑う。

「あきらめさせてやろう。―――何度でも、あきらめさせてやろう」



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