魔の粉
勇者一行が魔王の城に乗り込んだ。
熾烈な対決。なりふり構わない捨て身の攻撃の応酬。そして決着。
魔王は倒れた。勇者たちは勝利の雄叫びを上げた。これで人々は平和に暮らせる。もう恐怖に怯え続ける必要はない。
しかしそのとき、魔王の体が膨らみ、弾けた。上空に火の玉のようなものが高く打ち上げられ、爆発した。
「何なんだ!? 一体……」
勇者たちはここへ来て初めてうろたえた。このようなことは誰も想定していなかった。魔王を倒せば終わりだとばかり思っていたのだ。彼らを送り出した王様も、人々も、皆そう言っていたはずだ。
上空での爆発音の後、きらきらと紫色に光る粉が、辺り一面にまき散らされた。それは膨大な量で、地平線まで届いていた。空は一時、全体がその色に染まった。誰もが恐怖に打ち震えた。浴びてはまずいということは誰もが感じていたが、どうしようもなかった。
勇者たち一行は勝利の美酒に酔う暇もなく、直ちに自らの王国へと取って返した。すでに国中が混乱に陥っていた。
「魔王は倒したのか?」と王様は勇者に尋ねた。
「もちろん、そのはずです」と彼は答えた。「しかしこの事態だけはどうにもできませんでした」
いつしか国内では、『魔の粉』という名前が広まっていた。紫色に光りながら空中を漂う様子は、ぞっとするほど美しかったが、それを人が浴びればどうなるかは分からない。国中の人々が家の中に籠り、恐れから気が狂わんばかりになった。
「国が壊れて行く……」
王様は城の尖塔から城下町を眺めながら、呟くように言った。彼は大臣のほうを向いた。
「これは『魔の粉』の仕業である。早急に解毒の研究を行うよう命じよ」
「はっ、直ちに!」
大臣は部下たちの下に飛んで行き、『魔の粉』によって惑わされた人々を救うため、研究者を探すよう号令をかけた。
研究者がなんとか集められ、資金が潤沢に注ぎ込まれた。勇者一行も研究者たちに呼ばれて、全身をくまなく検査された。彼らは魔王の城から帰還するときに、『魔の粉』をたっぷりと浴びているはずだったからだ。
しかし研究の成果はなかなか出なかった。データは思う存分に取られたが、『魔の粉』と人々が悪辣になったこととの間に、何の相関性も見出されなかった。
その間、食料の分配の仕方に文句をつけることが日常になった。普通の人々が普通の人々と争い出した。城下町では自警団が組織され、容疑者の取り扱いに関して内輪で揉め、さらに派閥が分裂していった。この騒ぎはすべて王に責任がある、王を取り換えろ、という内容のビラが匿名でばら撒かれた。王様は直ちに城の兵士を増やした。
勇者は、今はもう勇者ではなかった。彼の元に、かつて僧侶として共に旅をした者がやって来た。
「私は普通じゃないことを考えた。聞いてくれるか?」
「ああ」と勇者は頷いた。
「私は、『魔の粉』は何でもないものだと思うんだ」
「何でもない?」
「そう。あの粉に何かがある、と誰もが思っている。でも、何もないことだってあるかもしれないじゃないか。私は自分でも調べてみたが、何も害になるものは出なかった。私の体も、どうもなっていない」
「俺もだ」と勇者は言った。
「もしも何らかの説明が欲しいなら、あれは魔王による祝福だったと、こじつけられるかもしれない。『おめでとう、あとはお前たちで生きろ』という意味の祝福だ」
勇者は黙って立ち上がった。それから大きく伸びをすると、口を開いた。
「行こう、普通の人々が普通の人々と争う中に。俺たちに何ができるか確かめるんだ」
「まだ仕事は終わっていない、というわけだな」
「終わることはないだろう、きっと。それでこそ遣り甲斐がある」
「お供しよう。かつてのように。他の仲間も連れて」