The first mission
一人の少女が夜道を歩いている。
少女は後ろから聞こえる足音を不審に思ったのか、振り返った。
しかし、少女の目は所々に設置されている電灯の光と、光の届かない闇を捉えるだけであった。
不安の色を濃くしつつ少女はふたたび歩き出す。そして数秒後、暗黒の空に少女の悲鳴が響き渡った。
「凛、仁、最近痴漢が出ているのは知っているかしら?」
登校中、突然桜美佳は話を切り出した。
「ああ、知ってるよ、この中央区の女子学生ばかり狙われてるんだよな? 女子の嫌がることをするなんて男の隅にも置けない奴だな」
「もちろん知っている」
戯けたような口調で真っ先に答えたのは詠坂凛で、凛の後に落ち着いた口調で答えたのが夜影仁である。
「あたしも知ってるよー!」
一番最後に能天気かつ嬉しそうに声を上げたのは晴空桃華だ。
「ノーツ」はこの四人で構成されている。
「それで痴漢の話なのだけれど……言わなくてもわかるわよね?」
「ええー? また依頼なのお?」
美佳の言葉に桃華は子供っぽく反応した。
「こんな子供っぽいのがノーツのメンバーか……先が思いやられるねえ」
横から凛が茶々を入れる。
「こ、子供っぽくなんてないもん! あたしだってこれでもノーツのメンバーなんだからねっ!」
「で、その痴漢の件で依頼が来たんだな?」
仁は冷静に美佳の言わんとすることを代弁した。
「仁は察しが早くて助かるわ。それに比べて凛と桃華は……」
「あれっ? 桃華はともかくとして俺まで察しが悪いお子様にカウントされちゃってるわけですか……」
「だーかーらー! あたしは子供じゃないもんっ!」
無自覚なのか、明らかに周囲が「子供っぽい」と認識するような口調や声色で桃華は高らかに宣言した。
「この際お子様達は置いておくわ。本題に入るわね。今回ノーツに来た依頼は、ここ最近現れた痴漢の捕獲及び然るべき機関への引き渡し。抵抗する場合は多少の行き過ぎには目を瞑る、と依頼主は言っているわ」
凛と桃華をばっさりと斬り捨て、美佳は簡潔に依頼内容を言った。
「多少の行き過ぎ、ねえ……さすがに骨折はまずいか」
どこまで行き過ぎていいのかを仁は冷静に考えている。
「そこはなるべく無傷で捕獲しようぜ、相手も人間なんだからさ……」
人間でなければ無傷じゃなくていいのか、と突っ込ませるような不安な発言が凛の口から飛び出した。
「では、なるべく無傷で捕獲、悪くても骨一本まで。相手は痴漢なのだから、少しくらい手荒でも構わないわ」
こういうことをはっきりと決められるあたり、美佳の判断力は他の三人よりも抜きん出ていると言えるだろう。
「ここまでは順調だけどさ、痴漢の詳しい情報ってあるの? なければ捕まえようにも、この街にいる全員が犯人候補になっちまうぜ?」
「そこのところは心配しなくていいわ、凛。今朝から外側に管理システムを置いている防犯カメラの映像のチェックが始まったわ。三日もあれば犯人の詳しい特徴はわかるでしょう」
「それならよかった。とりあえず俺たちはあと三日は暇ってことだよな? 三日もあるなら一日一人の女の子と遊ぶとして、三人と遊べるじゃないですか! 誰を誘おうかな~?」
女子と遊ぶことしか頭にないのか、ピンク色のオーラを撒き散らしながら、凛はニヤニヤと笑っていた。
「コイツの女たらしはブレないなあ……」
凛の女たらしっぷりに、仁は苦笑した。
三日後、ノーツのもとに、痴漢の犯人と思われる人物が映った映像のデータが届いた。
「はあ……ご丁寧に覆面していやがるから顔はわかんないな」
送られてきたデータを眺めながら、凛はため息をついた。
「確かにね。どのデータでも犯人と思しき人物は覆面をつけているわ。でも、顔はわからなくても、他のことは幾つかわかる」
「えー? 桃華は何もわかんないよお?」
「少し子供は黙っていような?」
仁は桃華の首根っこを掴み、どこかへと連れていった。
「具体的には何がわかる?」
「人に聞く前に自分で考えることも大切よ、凛」
「へいへいっと……そうだな、身長はそこまで高くない。札幌の高校生の平均身長より少し高いくらいか。どの映像も後ろから迫っているけれど、何か理由があるのか……それとも後ろからの方が襲いやすいからか?」
「そうね、身長はそれくらいであっているわね。あと、後ろから襲っているのは、顔を見られたくないからだと思うわよ? 凛はまだ見てなかったようだけれど、犯人が反撃されそうになっている映像があるわ。これは犯人にとって単に予想外の出来事で、さぞかし驚いたでしょうね」
「いいや、違うね。ここにも特徴はあるんだ。」
凛はつまらなさそうに指摘し、自らの話を続けた。
「よく見てみなよ、美佳。犯人は彼女の反撃を左手で受け止めているだろ?予想外の出来事に対応するときってのは大抵《反射》が起こるんだ。つまり、咄嗟に左手が出たってことは、犯人は左利きだってことさ。美佳ともあろうものがこんなことを見落とすなんて、寝ぼけてたのかな?」
凛がニヤリと笑ってからかうと、美佳も口元を緩めた。
「やあねえ、凛は。気づいていないわけがないでしょう? 凛はいつも女の子と遊び歩いているから腑抜けていないかと少し心配になったのよ。凛が腑抜けていなくて安心したわ」
「自慢げに指摘した俺すごい恥ずかしい……穴に埋まりたい……」
「まあ人間なんてそんなものよ? とりあえず、犯人は身長は中高生の平均くらい、左利きってことでいいかしら?」
「まだあるな」
ひょっこりと仁が顔を出した。
「おっ! さすが仁だね! で、何を見つけたんだ?」
「この犯人、手元にあるデータを見比べると、全てのケースで逃走するときは左足から踏み出してる」
「この短時間でデータ全てを確認してしまうなんて、仁の作業の速さは私でも勝てないわ」
「そう言うな、美佳。こんなのは慣れだ。それに、そうそう役に立つものでもないしな」
「なんだよ、この二人は……お前ら本当に人間? 人間ですか? 人間なんですか?」
余裕綽々と作業を進めていく二人と自分の能力の差に悲しくなったのか、凛は食ってかかった。
凛は自分が平凡な人間であることを自覚している。それに引き換え、美佳や仁は自分より確実に有能で優秀だ。そう思って凛は、ノーツのメンバーとして改めて二人に負い目を感じた。
「もちろん私は人間よ?」
「俺が人間じゃないみたいな言い方をするなよ美佳。俺だって人間だ」
「あーはいはい。俺が劣っているだけですね、そうですね!」
ヤケクソになったのか、手元にある端末十機を全て展開し、凛はひたすらデータを眺め始めた。
データを分析し始めて三日が経っても、犯人の核心に迫るような情報は見つからなかった。
「まだ犯人わかんないのー? もう桃華疲れたよお」
「はいはいっと、甘えるサービスは晴空桃華ファンクラブにでもくれてやれ。きっと喜ぶぞ」
もちろん凛も作業で疲れていたので、桃華のいかにもな子供っぽさに反応するのが面倒くさくなっていた。
「ふーんだ、あたしは常にみんなに笑顔をサービスしてるんだからね!」
「確かに桃華は皆に笑顔を振りまいているわね。ひねくれている誰かさんとは違ってね」
「美佳、その辺にしておかないと凛が拗ねるぞ」
「もう拗ねてるし! どうせ俺はひねくれてますよーっ!」
「凛も拗ねたことだし、この辺で一度休憩しましょうか」
「やったー! あたしも休憩しよーっと!」
「そうだな、俺もそろそろ休憩しておくか」
「凛は休憩しないのかしら? 作業に没頭するのは殊勝なことだけれど、休憩も必要よ?」
美佳は、休憩をしようとしない凛を不思議に思い、声をかけた。
しかし、凛は美佳の言葉に耳を貸さず、微動だにせずに画面を凝視している。
「ちょっと? 凛?」
「これだ……見つけたぜ」
「どういうことかしら、凛?」
「犯人の決定的な特徴を見つけたのさ」
「えっ⁈ えっ⁈ 凛ちゃんほんと⁈」
「だからちゃん付けはやめろって桃華。何回言ったらわかるんだ……?」
「で、凛。本当に見つけたんだな?」
仁が少し驚いたような顔で凛に尋ねた。仁としては、失礼だが凛が犯人の特徴を掴むことは予想外だった。今回も恐らく美佳あたりが見つけるのだろうな、とおおよその見当をつけていたので、美佳より凛が先に犯人に一歩近づいたのには正直驚いていた。
「ああ。……とはいっても、完全にこの人物で決まりかどうかまではわからんけどな」
「その特徴というのは何なのかしら?」
「この映像を見てくれよ」
画面いっぱいに映像を映し、凛は言葉を続けた。
「これが痴漢が起こる前の映像。少し拡大してみると、ここの一本道には《何も》落ちていない。問題はこの後だ。この痴漢が逃げ去った後、柱の陰に何か光るものが見えないか?」
「あっ! ほんとだ! なんか見えるよ凛ちゃん!」
「じゃあ、これが何なのか桃華はわかるか?」
「うーん……具体的に訊かれるとわかんないよ……」
「これも拡大するぞ。よく見てみてくれ。桃華、何が見える?」
「こ、これって! うちの学校の校章だよ! うちの学校の!」
「何ですって?」
「そう。この一本道に《落ちていた》のはうちの学校の校章だ。次に、数時間後の映像を見てくれ。学生が一人ここを通っている。制服を見るに、これもうちの学校だ。そしてコイツは、あの柱の陰に迷うことなく近づき、何かを拾う仕草をしている」
「いつもの凛のように何か落とし物をしていたのかもしれないぞ?」
「でも、普通ここの道なんてみんな通らないよー⁈」
「確かに、ここの道を通るのはだいぶ遠回りよ。不自然であることは確かね」
「仁、ここに落とし物をしたってことは、一度ここを通ったってことだ。こんな細い一本道、しかも学校に行くにはかなりの遠回りときた。怪しいとは思わないか?」
「まあ確かに怪しいといえば怪しいがな……」
「凛、他にわかったことはないのかしら?」
「残念ながら、他にはないんだ。これからまた作業再開だな」
「もう桃華は作業やだもん!」
「桃華、後で駅前のお店でクレープを奢ってあげるからもう少しだけ頑張りましょ?」
「うん!!」
「凛、あいつを釣るには食べ物が一番なんだな……」
「知らなかったのかよ、仁」
仁に背を向けてそう言った凛の表情が曇っていたのを、他の三人は知らなかった。
「さて、そろそろ行きますか」
午後十一時。凛は目立たない格好をして家を出た。
あらかじめ凛がチェックしておいた、特に人気がなさそうな場所を見回りするためだ。
最初に凛は、市内の最も隅に位置するポイントへと向かった。
さすがと言うべきか、周辺は全く人通りがなかった。
もうそろそろ日付が変わる頃とはいえ、一人二人は人が歩いていてもいいはずだ。だが、この人通りの全くないことこそが犯人の望む理想的なシチュエーションであることは、火を見るよりも明らかだった。
自腹を切って用意したスタンガンをポケットの中で握りしめ、凛は慎重に路地を進んでいった。
本当に所々にしか電灯がない道を、気を張りながら歩いていく。
溜めていた息を吐き出し、一瞬、気を緩めた。刹那、女性のものと思われる悲鳴が、凛の歩いている路地をこだました。
「ちっ、少し遅かったか……!」
舌打ちをするなり、凛は駆け出した。
数十メートル走ったところで、路上に座り込んでいる少女と思われる人影を見つけた。
「そこの人! 大丈夫ですか!」
応答はない。不安になった凛は、少女の肩を揺さぶりながら呼びかけ続けた。
何回か肩を揺さぶったところで、少女が目を覚ました!
「い、いやっ! 離して!」
「落ち着いてくれ、君に危害を加えた奴じゃない!」
少女は先ほどのことを思い出したのか、パニック状態に陥っているようだった。
埒が明かないと判断した凛は、少女が倒れていた近くに落ちているものに目をつけた。生徒手帳だ。
「だから落ち着いてくれ! 緑天高校二年三組の余水三月!」
「え……? 私の名前……?」
凛が名前を呼んだことでようやく、三月は暴れるのをやめた。
「落ち着いたところで質問だ。何があった?」
襲われたことを思い出したのか、少しの間目を伏せていたが、意を決したように凛の目をまっすぐに見た。
「生徒会長に襲われたわ」
批判、意見、応援いつでもお待ちしております!