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5年2組の家畜少女  作者: 日隈一角
5/6

5.

 ぼくは正直焦っていた。優生さんがこの教室にいる日数が、もはやあと少しになっている。優生さんがいなくなってしまう日はどんどん近づいていた。

 ぼくと違って、優生さんはいつも通りに笑っていた。

 そして彼女の周りのクラスメイトも、いつも通りだった。かつて、優生さんは周りの皆を優しいと、友達だと言った。でもぼくには、優生さんとクラスメイト、クラスメイトとクラスメイトでは、お互いの関係性が異なるような気がするのだ。

 優生さんは、そうは思っていないのだろうか。気づいて黙っているようには見えないし、そもそも嘘がつける性格でもない。彼女はあまりにも素直だ。

ぼくと喋っていても、クラスの真ん中でたくさんのクラスメイトに騒がれても、優生さんはいつも通りでいる。優生さんは今日も笑顔でいる。


 今日、ぼくと優生さんは歴史文化博物館という場所に来てみた。ところが休館日で中には入れなかった。ここに来たのは思いつきだったから、休館日なんて調べていなかったのだ。

「困ったなあ。ここまで歩いてきたのに…」

「うう、羊、見たかった」優生さんは悲しそうにしている。

 そもそもここに来た目的は、優生さんが「羊を見たい」と言い出したからだ。

 この要望はぼくが落としてしまった筆箱を「汚れた羊みたい」と例えたのが始まりだ。そこから「羊って何?」と問われ、「知らないの?」「知らない」と続き、「昔の動物のひとつ。家畜としてよく扱われたって」「家畜 ?家畜少女ってこと?」「いや、違う。家畜少女実習の元となった、昔の文化での家畜対象で」「家畜少女じゃない動物を殺していたの? それは殺人だよ!」「いや、だから人間じゃなくて……」と堂々巡りを繰り返し、最終的に「羊を見てみたい!」となったのだ。

優生さんが転校する前、つまり家畜少女実習が始まるより前に、ぼくたち5年2組は授業でかつての家畜制度について学んでいる。家畜と呼ばれていた様々な動物の写真も見た。だからぼくもクラスメイトも、みんな家畜やその文化について知っている。

 ところが優生さんは見たことがない、と言った。人間以外の動物が存在していたことにも驚いて、初耳だとびっくりしていた。家畜として対象となる人間が、家畜制度の文化を知らないというのは何とも不思議な話だ。そういえばあの動物写真の乗った教科書は、優生さんが来て以降、一度も使われていない。

 羊を見たい見たいという優生さんに、ぜひとも今すぐ見せてあげたかったけど、あいにくあの教科書は今日もかばんに入っていない。家に帰って取りに行こうとしかけたところで、ある場所を思い出したのだ。

 歴史文化博物館。そこなら確か羊やもっと他の家畜動物の写真や模型があるということを、『脳』で情報として読んだことがあった。教科書よりもきっとたくさんの情報がある。優生さんも、喜んでくれるにちがいない。

 ぼくが申し出た行先に、優生さんを一瞬不思議そうにしたあとすぐに理解して、喜んで了承した。到着するまでもわくわくしていた。それなのに、まさか休館日だなんて。

 途方に暮れていた優生さんへ、追い打ちをかけるように彼女の母(のような人)から電話がかかってきた。車の迎えを出すから、今日は早めに帰ってくれとのこと。こうなってしまったらぼくの家に引き返すというのも無理だ。はじめから教科書を取りに帰っていればよかった。 

 優生さんに、羊を見せるのは明日でいいかな、と聞いてみた。あの教科書さえ学校に持って来ればいいのだ。何も今日にこだわらなくてもいい。

ところが優生さんの表情は、不服そうに唇を突きだしていたものから、名案を思いついた悪戯っ子のようなものへ変わった。 

 じゃあ、と優生さんは言って、両手に抱えたものをぼくに押し付けた。鉛筆と計算ノート。ぼくはそれらに目をおろし、優生さんを見る。にこにこと優生さんは笑っている。

 じゃあ、ここに描いて教えてくれない?

 優生さんはそう言った。

 

 ぼくは図工の時間が苦手だ。絵を描くなんて面倒くさくて好きじゃない。どうせ上手く描けないからといつも手を抜いていた。へたくそが適当にやったその絵は予想通りひどいものになったし、先生も何か苦言を漏らしていたような気がするけど、それでも授業が終われば描かなくてよくなったので、それで済んだのだ。

 今は地べたに座り込んで、知らない相手に説明するための絵をかく。これは上手く描かないと優生さんはさっぱり羊をわかってくれないだろうから、できる限り真剣に描いている。

『脳』から情報を引き出して拡大し、かつての羊を描こうとする。『脳』内とはかけ離れてよくわからないものになっていくノート上の羊はなんだか哀れで、ぼくは図工の時間を真面目に取り組まなかったことに初めて後悔した。

 それでも手は抜けられない。優生さんは僕の手元をじっと見て、一緒に地べたに座って描き終るのを待っている。彼女にちゃんと伝えたかった。意地でもそう思った。

 結果、羊はやはりよくわからないものとなった。これ以上手を加えられない段階まで描いてしまい、ぼくは思わず紙面を睨む。優生さんが終わったのと声をかけたので、しぶしぶ渡すぼくから勢いよく落書きされたノートをひっぺがした。

 ほんとうにこんななの? まじまじと見た優生さんが呟く。

 ほんとうにこんなだよ。ぼくは誤魔化して答えた。

 またノートに目を落とすと、優生さんは返答に納得したのかうんと頷き、あろうことかこれをもらえないかと言い出した。気に入ったのだろうか。ぼくはの方は正直、そんな下手で恥ずかしい、なんだかよくわからない落書きを、他人に見せるのも嫌だったし人にあげるなんてもってのほかだったのだが、あまりに優生さんが欲しそうにするから、いいよと言ってしまった。元々優生さんのノートに落書きしたわけで、まあ妥当な結果だとぼく自身を言い聞かせる。

 優生さんはぱあと笑顔で満面にし、両手にノートを掲げて絵を眺める。かわいい、かわいいなあとはしゃいだ声を上げる。それがぼくの描いた絵に対しての言葉だというのを意識して、無性に恥ずかしいような、こそばゆい様な気持ちになった。なぜだろう。教室に皆のものと飾らなければならなかった図工の絵なんて、あんなに下手でも他人に見られたってどうでもよかった。今は羊もどきな絵を人に見られるのがすごくもやもやする。もし優生さん以外が見たらと思うとなおさらだ。人に見せるために描いた絵なのにそんなことを思うとは、自分で自分がよくわからない。

 優生さんが落書きに顔を近づける。無邪気な笑顔でにこやかに語る。

「わたしたちは、おんなじだねえ」 

 思わず目を見張った僕に対し、優生さんは何の意図も含まれていない台詞だというように、まだ、かわいい、と言いながらの笑顔だった。車に乗ってばいばいするまで、ずっとにこにこ嬉しそうにしていた。先ほどの台詞になぜだかひどくどきりとしてしまったのは、ぼくだけだったのだろうか。


 兄さんは、昔からどうしてもコミュニケーションが下手だった。知らない人が苦手で、上手く会話できなかった。ぼくにはいろんな物語ができて、父さんや母さんには我儘も言えたのに、知らない人相手だとすぐに怖気ついてしまうのだ。

 他人と率先して関わり、他人を思いやり、他人と力を合わせ、他人と意見を交わして仲良くなる、つまりコミュニケーションをとることは、学校に行く一番の目的でとても大切な要素だ。人間が人間らしく生きていく、最も大事なこととされる。

 兄さんは、人間として生きていくために最も大事なことが、ちゃんとできなかった。

 知らない人だけが苦手だったのに、クラスの子とも話せなくなった。大人になったら苦手なものは克服できると大人はみんな言うのに、兄さんの苦手なものはどんどん増えていった。先生におびえ始め、ついには父さんと母さんにすら口を閉ざした。

 兄さんは、人間として生きていくために最も大事なことが、ちゃんとできなかった。『知る』ことはできたけど、行動として上手くできなかった。

人間としてちゃんとできなかった。

 だから兄さんは学校に行かなくなった。父さんと母さんは兄さんを見放した。ぼくは二人分の過多な愛情をもらうようになった。もう遠い昔のように思える、それがぼくらの家の実情だ。 


 本、いや物語は、もう長いあいだ人間にとっての大きな楽しみの一つになっている。そして物語を創ることは、やることの少なくなった人間が最もよくやる趣味となった。

 創作は老若男女に広まっている。誰でも出来るし、手軽だし、どのくらい時間をかけるのかも個人の自由だ。想像力に合わせて読者がそれに脳内でアニメーションを作る遊びもある。創作が創作を派生させている。

 昔は作家としてお金をもらっている人がたくさんいたらしいけれど、現在そんな人たちは一握りだ。その一握りはすごくお金を稼いでいる。他の大抵の人はお金をもらっているわけじゃない。お金をもらっているわけでもないのに作る。今の人間はそれくらい暇が多いのだ。お金をもらっていない人たちは誰かに見てもらうために、『脳』の情報データへ作品を流していく。そうしてぼくら読み手はいくらでも無料で物語を『知る』ことができる。

 ――と、そんな風にぼくは『脳』で本を読むことができる理由を説明した。講義相手の優生さんは、なるほど、と頷いている。図書館からの帰り道で、ぼくが本のこと「情報として『知る』ことがある」と言った意味を、優生さんはどうにも理解できなくてぼくに質問したのだ。

「物語を作ることって、そんなにたくさんの人がやる娯楽なのに、当真くんはやらないの?」

「別にやってない人だっているよ」

「じゃあ、これからやる?」

「べつにやろうとも思わないし、やれるとも思わない」

「きっといいものができるよ。前にも言ったけどね、わたしより色んなことを知って…」

「知ってるだけだよ。知ることは、最大の『娯楽』であり、それ以上にはなりえない」

「……ふーん?」

 ぼくにとって『知る』ことこそ娯楽と呼べるもので、創作はそれよりさらに上だ。周りはお金にもならないから娯楽と呼ぶけど、ぼくはそうとは思えない。

 創作は、自分の考えをそこに詰め込むものだ。それは誰かのものに触れて肯定したものや、否定したものや、感化されたものが混じるけれど、間違いなく創作者本人の想いが籠っている。だれかの情報を勝手に自分のものにして写しただけでは創作にならない。『知る』ことのように、自身が何も考えていないままではいられない。努力と疲労と積み重ねが必要なものだ。そんなものは、趣味とは言えても娯楽とは呼べない。――そんなぼくなりの考えを話してみても、優生さんは理解できない、と言いたげな顔をしていた。 

「…ふーん、まあ当真君が嫌なら、やらなくてもいいんじゃないかな」誰でもできるはずって言ったのに、と不満げにぶつぶつ呟いている。

 昔は兄さんが物語を創っていた。『脳』を使った手のかかっているものではなかったけれど素敵なものだった。兄さんの物語は兄さんにしか創れなくて、やっぱりぼくには創れないのだろう。そういうものが物語であり、創作するということだ。今はずっと自分の部屋にいるだけで、兄さんが喋るはなしも兄さんの創作物ではなくなってしまった。

「いっそ、優生さんが作ってみれば良いんじゃないか」ただの思いつきだった。「きっと優生さんならではの、素敵なおはなしが作れるよ」

 言ってしまってから後悔した。それが無理であることをぼくらは知っていたのに。

「…そうだといいね」優生さんはさっきまでの不満げな顔を失くして、いつもの笑顔になってしまった。そこから話を無理やり替えたぼくに、優生さんは付いてきてくれた。

 優生さんは、明々後日にはもうこの世にいなくなる。家畜人間は明々後日にぼくらに屠畜されて、その次の日にはもう、教室に来ない。

 

 兄さんが昔よく話してくれた物語は、元々ぼくと二人でよくやった人形遊びが発展したものだった。『人形』遊びと言っても、演じる人形はずいぶん多彩だった。女の子が好みそうなお人形や、男の子が振り回しそうなロボットや、くまのぬいぐるみならまだしも、百円のキーホルダー、よくわからないキャラの消しゴム、紙で描いただけの人型、はては何処からか拾ってきた変わった形や色の石。兄さんはそれらの一見寄せ集めにしか見えない偶像たちに、兄さんとぼくしか知らない人格をつけて遊んだ。兄さんにかかれば繋がりのない『人形』たちは、魔法のように物語を彩る存在感あるキャラクターになった。

 今思えば、兄さんになかなか友達ができなかったことが、その遊びへの情熱に向かわせたのだろう。あのころはもう両親は兄さんを飽きたように見限って、兄さんはおもちゃなんてものを買ってもらえなくなっていたので、寄せ集めの『人形』たちぐらいしか、兄さんには集められなかった。それでも兄さんが一度『人形』たちを手に取れば、どんな高価なおもちゃよりもかけがえのない、確かな存在となった。

 兄さんはどのかたちがどんな性格を持つ『人形』で、どんな『人形』とどのような関係を持つのか、すべて把握していた。ぼくは兄さんが創るお話に追いつけなくて、聞く側一手にまわることが多かった。二人でやった『人形』遊びは、基本的にたった一人の話し手である兄さんと、たった一人の聞き手であるぼくとで成り立っていた。

 ぼくらが語った物語は、ぼくら以外には誰も知らない。母さんと父さん相手ではあんまりに反応が薄かったので、一度目に話してそれっきりになった。幼稚園で他の子たちにその物語を話しても、兄さんとぼくの作った話を分かってくれようとしなかったし、あげくに無理やり割って入ってぐちゃぐちゃにしてしまおうとしたので、ぼくは怒って泣きじゃくって二度と話さなくなった。ましてやぼくらの物語はおしゃべりだけで成立していて紙になんて書かなかったから、だれもこっそり見ることができないものだった。

 書き記してなくてもぼくらは平気だった。ぼくと兄さんの心の中にはいつだって物語の存在があった。そして、兄さんはいつだって続きを始めることができた。明日の人形遊びの時間になるのを待ちきれなかったぼくが、こっそり二人のときに兄さんに続きを催促した。浴槽やベットの中で、人形がなくても兄さんは物語を綴った。ぼくは想像を膨らませて様々なキャラクターを思い浮かべ、くすくす笑ったり、どきどき胸を高鳴らせたりした。

 ――ぼくがその頃の話を持ち出すと、兄さんはひどくイラついてどこまでも不機嫌になる。今の兄さんは子供じみたものを極端に嫌う。そんなものを好んだときなんてなかったというように、自分の過去を違うと言い張る。どこまでも目をそらして無視してしまう。あるいは粉々になるまで踏みつけてしまいかねない、そんな勢いで兄さんはぼくとの思い出だったはずのものを拒み続ける。

 布団にもぐりこむ。今はもう遠く感じてしまう昔に、今更思いを馳せている。なぜか分からないが、最近あのころを思い出すことが多い。けれど肝心の物語は、生き生きと誇らしげに踊る『人形』たちは、もはや何一つ思い出せない。どうしてぼくは、兄さんの話をこっそり残してしまわなかったのだろう。あのときは忘れないものだと信じていた。忘れたとしてもまた兄さんが語ってくれるのだから構わないと思い込んでいた。それはとんでもない勘違いで、もはや兄さんの記憶にも、あの『人形』たちは存在を消されて――いや、塗りつぶされてしまっているのに。

 ある日突然いなくなった『人形』たちが何処へ行ってしまったのか、ぼくは何も知らない。いなくなってしまったとき何を思ったのか思い出せない。むしろいつ、いなくなったと気付いたのだろうか。

あのころ、夜になって、お母さんとお父さんにおやすみと言われ、布団を頭までかぶっても、目が慣れ始めるまでひそひそと物語が続いた。

あのはなしは嫌いじゃなかった。いや、きっと、

 ぼくは思いがけずベッドから飛び上がった。周囲を見渡すと、電気を消したぼくの部屋でも目が慣れてぼんやりと輪郭が見える。このまま起きていれば、暗闇なんて関係ないとでもいうようにもっと見えるようになるだろう。でも、兄さんと壁で区切られるようになった部屋は、ただただ静かなだけだ。物語はひとつも運ばれない。


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