表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5年2組の家畜少女  作者: 日隈一角
4/6

4.

 父さんと母さんの愛情が、兄さんへまるで向けられていないのに気付いたのは、いつのころだったのだろう。

 ぼくがまだ幼かった頃、それこそ幼稚園に通うような今より小さな子供だった頃、兄さんはよくぼくに様々な物語を話してくれた。でも、ぼくが6歳になったくらいには、兄さんはぼくとまともに話さなくなった。学校にもほとんど行かなくなり、ついにはずっと自分の部屋に籠るようになって、一人きりで過ごす時間を圧倒的に占めるようになった。

 そして兄さんの物語は、もはや死んでしまったかのように永遠に語られない。

 物語を作る時間の代わりに兄さんが得たものは、膨大な情報だった。それは父さんと母さんが、兄さんへ構う時間の代わりに押し付けたものだった。兄さんはそれを予想通りに、いや予想以上に活用した。

 兄さんは、状況を、得たものを受け入れた。そしてぼくもそんな兄さんを受け入れた。だから僕と兄さんのつながりは、何年間もほつれたままになっている。兄さんが何を考えているかなんてぼくには関係のないことだし、多分ぼく自身どうでも良くてどうにも思っていない。わざわざ関与する気もない。ぼくが何かをしようとしても、兄さんは何も変わらないだろうし。つまり、ぼくも父さんと母さんのように、兄さんを放置しているのと同じだ。

 兄さん側も変わりがないまま何年間も過ぎていった。だから、まだ一人きりで部屋にこもっていて、一人で不規則に食べて不規則に眠る。テーブルに用意される食事は三人分で、囲む人間も三人のままだ。


 ぼくと優生さんは海へ行った日以降、本当に毎日どこかへ遊びに行った。ただし、平日のみだ。残念ながら優生さんは、休日外出禁止なのだ。ぼくはお休みの日より前にどこに行こうか優生さんと話し合って、それからお休みの日に計画を立てて、はやく明日にならないものかともどかしい思いをした。

 ぼくらが以前よりも仲良くなっておしゃべりをする機会が多くなったのは、クラスメイトの誰から見てもはっきりわかるものになった。けれど、周りはとくに何も言及しなかった。友達と呼べるところまで仲のいい子はぼくにはいなかったから、聞きづらかったのかもしれない。文句を言ったりバカにしたりする人間が出なかったことに、少しほっとした。

 ただ、何も変わらずに学校にいる間だけ優生さんと仲良くしゃべる皆に対して、少し気持ち悪くも思った。クラスメイトはみんな、優生さんが転校してきた日からずっと、優生さんに優しい。けれど、例えばぼくみたいに、優生さんと関係が深くなった子がいないのだ。前に何度か転校生が来たときは、3週間もたてばずいぶん人間関係に変化が出ていた。より転校生と親しくなった子もいたし、あまり頻繁に話さなくなった子もいた。ところが優生さんに対する態度は、みんな初めから今までずっと変わらない。クラスメイトは、教室にいるとき笑顔で優生さんを仲良く囲み、学校が終わると笑顔で優生さんにばいばいと言ってすぐに去って行く。

 そして優生さんは、誰かと一緒にいてもいなくてもいつも笑顔だった。


 小さな古い遊園地、科学博物館、放置された廃墟、千年以上昔からあるといわれる楠林、道路の隅にひっそりと残っている1部屋分しかないような神社。ぼくは優生さんと色んなところを見に行った。情報だけ知っているものもあれば、いつも通学路で通り過ぎているだけだった場所もあった。ぼくが普段から見かけている場所も、改めて優生さんと一緒に尋ねてみると、なんだか感慨深いものが沸いてくる。今まで通り過ぎていたときは何も思わなかったのに、目的を持って見てみると、今まで意識しなかった、見えなかったものが見つかるのだ。

 ぼくはそのたび、優生さんに報告みたいなことをした。「あそこに動物の置物がたくさんある」「この技術の原理は学校でもちょっと習った」「これは家よりも大きい」――他愛のない話だった。優生さんはそれらの一つ一つに彼女の言葉を乗せて、優生さん自身もいろんな感想を話した。優生さんの、正直な感性で感じた様々なこと。たとえば、「なんだか見えないなにかがありそう」「何が隠れているのかな?」「あの絵は元気そうね、素敵な色だもの」――ぼくはそれらの一つ一つに頷いたり返事をしたりした。そして優生さんがどうしてそう考えたのかを尋ねた。優生さんは笑って答える。ぼくが納得したり驚いたりする。そうして優生さんが話してくれた様々な考え方を、家に帰って一人になったときにゆっくり考える。そうすればもっと、優生さんのことがわかるような気がした。

 同じ場所へ二人一緒に行ったのに、ぼくと優生さんは考えることが全然違った。ちょっと悲しいと感じることもあった。でもそれ以上にうれしく思った。毎日少しづつ、ぼくが考え付かない優生さん自身を知ることができたからだと思う。

 お互い何を見つけたのか、どこがすごいと思ったのか。二人で答え合わせのように話し合うことが、ぼくのいちばん大事な時間になっていった。

 優生さんはよく笑う子だった。わくわくしたり、驚いたり、どきどきしたり、表情がくるくる変わるが、それでも笑顔や明るさは欠かさず共にあった。海に行った日の、あのどこか綺麗で大人のような微笑みは、あれ以来見なくなった。ぼくはあの、なんだかひやりとする表情を見なくなったことに、とても安心していた。


 兄さんはぼくよりはるかに色々なことを知っている。膨大な時間と豊富な機材により得たものだ。けれど兄さん自身は、どこかに置いてきたように見えなくなってしまった。

 今の兄さんが語る情報は、ぼくの知らない誰かが垂れ流したものだ。そこに兄さんがどう思ったか、なんてものは含まれてはいない。  

なのに兄さんはまるでそれこそが自身が考え推理して得た正論であるかのように、ときおりぼくに対して自慢げに嘯く。ぼくは兄さんが考えた話ではないということに対しておそらく誰よりも敏感なのだけれど、知らないふりして相槌を合わせるだけにしておく。

 なぜなら、もはや兄さんが垂れ流す相手は、ぼくぐらいしかいないから。


 優生さんと歩いていると、不思議なことが起こる。はじめて気づいたのは、遊園地に行って入場料を払おうとしたときだ。古くて小さいゆえに安い値段だったし、ぼくが言い始めたことだからお小遣いから二人分出そうと決心していたのだが、遊園地の人は優生さんを見て――正確には優生さんの額のイラストマークを見てにこりと笑い、行っていいよと言った。なんと付き添いのぼくもただになった。帰りに入場門を通り過ぎるとき、がんばってね、と声をかけられた。優生さんへの言葉だった。

 放課後に何度か繰り出すたびに、優生さんは大人のひとに話しかけられた。がんばってるわね、えらいな、応援するからね、とかそんな感じ。会う人みんなが優生さんに優しかった。優生さんはにこにことそれらに返事をした。なかには歩いている僕たちに、どこに行くのか尋ね、車に乗せていってくれると言った大人たちもいた。通常だと誘拐だとか考えそうなものだけれど、そんな気配はまるでなかった。大人はぼくらを乗せて車に乗っている間、親しげに優生さんに話しかけた。帰りぎわもなんなら乗せて帰ろうか、とか尋ねてきたくらいだった。

 家畜少女相手には誰もが親しかった。法律で丁寧に接するように定められていることを、ぼくは後になって知った。それでも違和感が少し残る。だって、「盗みは駄目だ」と定められているのに盗みをしてしまう人はいる。なのに家畜少女に対する態度は、等しく同じようなものだ。法律で決められていること以外に何かあるのだろうか。周りの大人の優生さんに対する反応がクラスメイトとだぶってどうにも落ち着かない思いをした。

 

 優生さんが公園に行ったことがないと行ったので、その日のぼくらは公園を訪ねてみることにした。決めた行き先は南うち公園という名前で、ぼくの通学路を少し寄り道したところにある。学校を出て到着するまでぼくらは他愛のないおしゃべりをした。最初のころよりずいぶん会話が続くようになったことがうれしかった。

 公園はあまり人が来ないようで、ぼくらの他には誰もいなかった。広さもそんなに大きくない。優生さんは入口に着いた後、物珍しそうに小さな公園を眺め、やがて一人で砂場の方に向かって駆けていった。ぼくもそのあとに歩いて続く。

「実はね、公園って場所のことは知ってたの」

「へえ、どこで?」

「お母さんたちがくれた絵本にね、出てきたんだ」

 優生さんが砂場にたどり着いてしゃがみこむ。追いついたぼくが覗き込むと、砂場を山の形にしようとしていた。絵本の再現、といったところだろうか。

「砂山つくるの?」

「うん。当真くんもつくる?」

「じゃあ、手伝っていい?」

 ぼくの申し出に優生さんはますます朗らかに笑う。「ほんと? ありがとう!」

 それからぼくらは砂山つくりに専念し始めた。ところがぼくも優生さんも作るのが初めてだったので、なかなか上手くいかなかった。『脳』で調べるのを妙にしゃくに感じて、記憶のほうに頼ってみようとする。誰かが作っていたのを横目で見たことぐらいはあっただろうけど、やり方までは覚えちゃいない。なんだか楽しそうに、複数人で作っていたという記憶だけが残っている。

 優生さんは砂山に懸命に立ち向かっている。でも形にならなくて、すぐにさらさらと形を崩してしまう。何回目かの山決壊後、優生さんは少し休憩するように、後ろに体重を移して腰を下ろした。ぼくも砂山つくりを止める。ぼくと優生さんは、崩れた砂山を挟んで向き合いっこになっていた。

 あたりを見回す。やっぱり小さな公園だ。昔、父さんと母さんに連れて行ってもらったときは、別のもっと大きな公園だった。はしゃぐ子供や見守る大人があちらこちらにいた。でも、南うち公園は記憶の中の公園と異なり、閑散としている。古いベンチにもやはり誰も座っていない。タイヤがいくつかある遊具は、遊具として成り立っているのかすらよくわからない。見渡して湧き上がってくる寂しさが、子供をここから遠ざからせるのだろうか。

 優生さんも、公園を見渡している。「なんだか、さびしいところね」

「やっぱり、そう思う?」

「やっぱりって。当真くんも?」

「それはまあ…」だって、ここまで誰もいないとさすがにそう思う。

 優生さんは、今度はどんよりとした曇り空を見上げた。あまりきれいじゃない、灰色まじりの空。しばらくして空を眺めるのをやめ、優生さんは再び砂山つくりに取り掛かる。どうしても作り終えたいらしい。やがて砂を掘り進めて湿っぽい土を見つけ、それが固まりやすいことを発見した。今度の砂山は先ほどまでとは違い、ちゃんとかたちになった。

 ある程度の大きさまで作って、優生さんは満足したかのように「よしっ」と呟き、ぽんぽんと砂山を叩く。ぼくはその上から湿っぽくない普通の砂をさらさらと落とした。確か、クラスメイトはこうやっていた。ぼくの流し落とした砂たちは茶色の湿った土の上を覆い尽くして、黄土色の山が出来上がった。優生さんが、絵本で見たとおりだと喜ぶ。

「他にどんな本を知ってるの?」

 ぼくが聞くと、優生さんは少し考えてからいろんな本の話をした。中にはぼくもかすかに覚えている本もあった。それは割と昔に読んだ本で、幼い子供向けの本だったはずだ。優生さんが楽しそうに語った本の内容は、なんだかすごく教育向けの内容だと思った。

 それから、一番のお気に入りの本を教えてくれた。その本には優生さんと同じ家畜少女が登場するらしい。一つも残さず食べてくれることに、感謝して幸せを感じる家畜少女の話。優生さんはその本にいたって感激を受けたらしく、少し興奮した様子で内容を話してくれた。

「本にあった通り、クラスのみんなはとっても優しくて良い人達ばかりだったわ。皆と、友達になれて良かった。わたしも本の主人公みたいに、みんなの知識のために良い肉になるんだ」

 楽しそうに話す優生さんを見て、ぼくが覚えたのは何度か経験した違和感だった。どうにも優生さんが触れてきた本は、内容が偏っている気がする。若干残る気持ち悪さ。優生さんは『脳』がないからニュースも手に入れることができない。学校に来るまでずっと同じ場所にいたらしい。そしてそこにある本は優生さんが選ぶものではない。彼女が手に入る情報は、普通の人間と比べて随分限定されている。

「当真くんは、本、好き?」

「まあ本も読む…けど」好きというわけではない。読むというより、『脳』の情報の1つとして『知る』ことの方が多い。

「じゃあ、本を創ったりする?」

「え?」

「おはなし、創ったりするのかなって」

 何でそう考えたんだろう。

「当真くんは、私よりも色んなことを知っているでしょう。だから、おはなしを創れたりするかもって」

「ぼくには無理だよ」彼女の問いを理解したあとの返答は早く、わずかに冷たい声になった。

 強い風が吹いて、砂山をわずかに削る。風に乗りかけた砂はすぐに地に落ちた。

 優生さんは「そっか」とだけ言って俯いて、「そろそろ帰る?」そう言って顔を上げ、微笑んだ。ぼくは空を見上げて同意した。気づかないうちに、あたりは暗くなっていた。

 優生さんはお迎えの車を呼ばずに、途中まで歩きたい、といって学校近くまで歩いた。ぼくは家から離れる方向になるけど、彼女について行った。帰り道、ぼくらは何故だか無言だった。


 学校で学ぶ授業内容は、最終的に『脳』内へ、忘れられない位置に記憶される。だから、本当ならテストも授業も必要ない。それでもみんな学校に行くのは、そういう決まりだからだ。そういう決まりなのは、学校で『人と人のコミュニケーションを学ぶ』ためだ。

 人と人とのコミュニケーションは忘れないようにと毎年言われており、人間として生きていくために最も大事なこととされる。そのために学校がある。こればっかりは『脳』にインストールできないようだ。研究はされてもいたが、倫理的に反対され以後進んでないらしい。

 だから、ぼくも学校に行く。本当は午前中から優生さんと遊びに行けたらいいけれど、学校側から親へ何か言われたくない。ぼくまで父さんと母さんに見捨てられるのは嫌だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ