井の中の蛙、大海を知る
夜道を巨大な蛙の置物が塞いでいた。
「ーーゲコォ」
訂正しよう。
夜道を巨大な蛙が満足顔で塞いでいた。
目線は人間である俺と同じ高さ。アマガエルらしき鮮やかな黄緑色の皮膚が疎らな街灯に照らされてヌメヌメした光を返す。
かの有名な自来也さんが使役しそうな存在感である。ちなみに俺以外に人影はない。過疎化の進む昨今、さして珍しくもない夜道の風景である。
目の前のデカブツ蛙が居なければ、だが。
無視して帰ろうにも左右は田植えも終わった田園風景。足を踏み入れるのは罰当たりであろう。
「というわけで退いてくれ」
畜生にしては理性ある瞳の輝きにほだされて声をかける。つぶらで横棒な瞳と見つめ合う俺。
チワワと見つめ合う某CMを彷彿とさせる空間を形成していると蛙が口を開いた。
「道を聞きたいのじゃが、かまわぬかな?」
冒頭の語句を再度訂正しよう。
夜道を巨大で人語を解する蛙の妖物が塞いでいた。
今宵の夜道はファンタジーである。しかしながら、蛙はミスキャストな感が否めない。
「道を教えればそこを退いてくれるか?」
「うむ」
「では、目的地は?」
「たいかい」
大会?
蛙の合唱大会でもあるのか。そんな会場はしらん。
「人は言うではないか『井の中の蛙、大海を知らず』とな。なれば、大海を知った蛙は何になる?」
この蛙、見上げた向上心をお持ちだ。
「蛙よ。少し尊敬したぞ」
「うむ。して、大海は何処?」
海か。この時間ならば人も居るまい。
「案内しよう。人目を避けていくなら土地勘のある俺が必要だからな」
「かたじけない」
喉の鳴き袋を大きくした蛙は姿勢を低くした。まるで土下座である。
「旅は道連れ、その情け忘れはせぬ。さあ、乗るがよい」
そう言った蛙はその舌を器用に伸ばして背中を示す。分泌液で粘っこく光るその背中を見て、俺は丁重に断った。
早速、海を目指して道を行く。道中、俺たちは様々な事を語り合った。夢を語り、悩みを打ち明け、時に笑い話を咲かせ、自慢話で張り合った。
そうしている内に徐々に街灯が増えてきた。
「ぬっ!?」
交差点にさしかかった途端、蛙が頓狂な声を上げて動きを止めた。
垂れ下がった腹をコンクリートの路面に叩きつけでもしたのかと慌てて振り返る。
「どうしたんだ?」
「へ、蛇がおる……。」
俺は周囲に目を凝らすが蛇は見当たらない。蛙の視線を辿った先には街灯が立っているだけだ。
「こちらを見下ろしておる……。恐ろしい、恐ろしい」
脂汗を流す蛙。テカリ率、二十パーセント増だ。
「落ち着け、あれは街灯だ。文明の利器だ」
「いやしかし、輝く目が二つあるではないか」
「ここは物陰だから、電灯は二本取り付けられてるんだ」
怯える蛙を俺は説得する。
「大海を知るんだろ? こんな場所で怖じ気づくなんて見損なったぞ! 出会った時のあの泰然とした雰囲気はどうした。あの向上心を取り戻せ!」
「うぐっ。……そうだな。ここで逃げ帰れば井の中にいた頃と変わらぬ。いまこそ進むべきだな……!」
「そうだ。行こうぜ、大海を見に!」
再び、蛙の巨体が動き出す。重厚なその鳴き声と共に覚悟を秘めて、大海に向かうのだ。
その姿の雄々しさ、なんと神々しいことか。その体がねっとりと輝いて見える。
無事に困難を乗り越え、俺たちはついに砂浜に足跡をつけた。たどり着いたのだ。
「これが大海なのだな」
「あぁ」
万感の思いを込めて、俺は頷く。隣ではこの夜の相棒が感動にがま口を震わせていた。
「大きいな」
「あぁ。これが世界さ」
「浸かってみようと思うのだが……。」
「いいんじゃないか。何事も経験だ。大海を知ってこい」
握り拳に親指を立て、蛙を送り出す。
蛙は跳ねながら水面を目指し、勢いよく飛び込んだ。水柱が高く、高くうち上がる。
煌めく水面。瞬く水滴。照り返す、蛙の粘膜……。
その瞬間、俺はとある重大事に気がつき、顔から血の気が引いた。慌てて蛙に向かって声を張り上げる。
「蛙、戻ってこい!」
「なんじゃ、藪から棒に」
「忘れていたが、海の水は塩水だっ! お前のヌメリがとれてしまう!」
「なんと!? これはいかん」
蛙は素早く浜に上がる。
手遅れだったのか、蛙の皮膚は幾分かかさついていた。
「すまない。俺のミスだ。友をこんなめに……。」
悔しさに唇を噛む俺に蛙は頭を振る。
「案ずるな。むしろ、よかったのだ。これでお主を乗せて帰れる」
「……お前、気付いてたのか」
「友の事だからな」
蛙がただでさえ横に裂けた口をつり上げる。俺もつられて笑った。
「さあ、帰るぞ、友よ」
「そうだな。帰ろうか、友よ」
大海を知るために旅をした今日、俺たちは一回り成長し、友を得た。




