突然の訪問者
男は焦っていた。
納品を3日後に控え、睡眠は愚か食事も満足にとっていない。
部屋から聞こえてくる音はキーボードをたたく音と、男の独り言だけだ。
机の上は、コンビニで買ったであろう袋や、空き缶、書類が乱雑に積まれていた。
男「くそっ、今日もお泊りコースか・・・。」
時計の短針は既に12の数字を大きく超えてていた。
納品が近くなると決まって帰りが遅くなるが、今回はいつもにまして厳しい現状だ。
だが、この案件の出来一つがこの会社の命運を分けると言っても過言ではない。
それもそのはず。
これまで受けていた小さな案件を全て蹴り、大口の案件を受けてしまったのだ。
従業員は現在4人。
デザイナー、経理、ディレクター兼営業、そして社長兼メインプログラマーのこの男。
先日までは従業員は5人いた。
メインプログラマーがいたのだが、薄給+過酷な残業続きが原因で逃げられてしまったのだ。
正直その気持ち分からなくは無いが、このタイミングでのボイコットは流石に酷すぎる。
そいつの良心を疑いたくなってしまう。
その為、前職はプログラマーをやっていて、サブプログラマーとして入っていた社長が急遽メインプログラマーとしてコードを書かなければならなくなってしまった訳だ。
男は一息入れる為、コンビニの袋から缶コーヒーを乱暴に取り出し、タバコに火をつけた。
正直、缶の蓋を開けるのも億劫な程、睡魔が襲ってきていた。
既に他の社員は暖かい布団待っている家に帰っている。
ふと、あくびをしながら、ホワイトボードに雑に張られたスケジュール表を眺めた。
男「あと、3日、いや既に日付が変わったから2日か・・・。」
プログラム的には、全体の8割程度が完成しているが、残り日数、労力を考えると絶望的な数字である事は良くわかっていた。
しかも、残念な事に日付が変わった今日は、社長としてのミーティングが数件。
さらに穴の開いたプログラマーの補強の為の面接が待っていた。
面接者は全員当日から働ける条件+薄給という酷い条件にも関わらず集まってくれたツワモノ達だ。
不況の為、うちのような会社にも人が来てくれている。ありがたい事だ。
世間では、不況が悪いだの、国が悪いなどと言っているが、
今回に限り、ありがとう不況と言いたい。
窓から外を眺めて見ると、人通りはなく、街灯の光が一定の間隔で光っているだけだ。
予報では、深夜から雪が降るらしいとの事だが、全くその気配はしない。
今回も外れのようだ。
思えば、天気予報には裏切られてばかりのような気がする。
傘がある時は降らないくせに、大丈夫だろうと思って持って行かなかった時ほど降られる。
大体、予報って何だ予報って。予測じゃないのかよ。
「トゥルルルルル、トゥルルルルル」
不意に電話の音が静寂を切り裂いた。
少し驚いて、コーヒーをこぼしてしまった。
こんな時間に電話が掛かってくる事などめったに無い事だ。
男「お電話ありがとう御座います、株式会社Noixです」
あまりに突然の電話だった為、少し声のトーンが上がってしまった。
女「あ、あのHPで求人募集を見たんですが」
驚いた事に電話の相手は女性であった。
仕事柄、あまり求人などで女性はこないものだし、前職の同僚や取引先のプログラマーでも女性がいた事などほとんど無かった。
男「ありがとうございます。お名前と面接希望日をお願いします。」
女「姫風百合子です。面接希望日ですが、今日お願いします。出来ればこれから大丈夫ですか?」
またしても驚かされた。
当日面接だけでも大胆だが、今すぐしかも深夜に面接なんて聞いた事が無い。
常識が無いのか、ひょっとしたらからかわれているのではないのかと思ったが、努めて冷静に。
男「これからですか?今どちらにいらっしゃいますか?」
百合子「はい。御社様の最寄り駅南鷺宮駅にいます」
驚かされてばかりだ。
すぐそこまで来ていたのだ。
だが、はっきりとした口調や、電話越しに聞こえて来る声はとても凛々しく、とても常識がない様子に思えなかった。
もちろん、断る事も考えたが、もしかしたら即戦力になってくれるのかもという思いがこみ上げて来て、すぐに会ってみたいと素直に思ってしまった。
男「わかりました。それではお待ちしております」
百合子「はい、お願い致します。失礼します」
「ガチャ」
あまりに急な出来事。
そして、急な面接に驚いてしまった。
自分でもよくこんな急な面接を受けようと思ったものだ。
よくよく考えてみると、一人でプログラムを書いていられる深夜の時間帯は効率が良いため、面接に時間を取られる事が非常に痛い事に気づいた。
また、こんな時間に女性がいきなりプログラマーの面接だなんて友人に話しても信じて貰えないだろう、などと馬鹿な考えが頭の中に浮かんできた。
男「一応社長だし、流石にこの髭面、ネクタイ無しじゃまずいよな」
南鷺宮駅からここまでは、歩いて10分程度だ。
相手は女性だし最低限の身だしなみは整えておかねばなるまい。
また独り言を言いながら、洗面所へ消えていった。