二十年ぶりの博多は、腹がへっていた
今回は、いつもとは少し趣向を変えてみました。
昼下がりの穏やかなひとときに、紅茶と焼き菓子を嗜むような感覚で、気軽に読める作品を目指して描きました。
以前に書いていた、旅の記録をベースにしたもので、そこへ少しだけ物語としての流れや情景描写などを加え、短編小説としてアレンジしました。
これまで描いてきた物語と違って、大きな事件も、重たいテーマもありません。
二十年ぶりに訪れた街を散策して、美味しそうなものを食べてきた。ただ、それだけの緩い物語です。
のんびり楽しんでいただければ嬉しいです。
新大阪駅を出た新幹線が、西へ向かって徐々に速度を上げていく。窓の外では、朝の街並みが後ろへ流れていた。
今回の旅の目的は、いたって単純である。
――美味しいものが食べたい。
ただ、それだけだった。
九州へ足を踏み入れるのは、たぶん二十年ぶりになる。
最後に来たのは親戚の法要だった。
黒い礼服を着て、大人たちの後ろについて歩き、言われるがまま頭を下げていた記憶がある。
何を食べたのか。どこを歩いたのか。
ほとんど覚えていない。
なにしろ、当時の俺にとって九州は「親戚のいる遠い場所」でしかなかった。
それから二十年ほど経った。
今度は誰かに呼ばれたわけではない。
法要もない。義理も義務感もない。
ただ自分の意思で新幹線に乗った。
しかも理由は「博多でうまいものを食べたい」である。
人間、長く生きていると旅の理由もずいぶん変わる。だが、それでいい。
むしろ、そのくらいでいいのだと思う。
*
午前10:45頃。ようやく博多駅へ着いた。
久しぶりの九州である。しかし感慨に浸っている暇はなかった。
なぜなら、俺には戦わなければならない相手がいた。
第一回戦の相手は『鯛ラーメン』。しかも店は、博多駅のホームに期間限定で出店しているという。
旅先へ着いて、駅から一歩も出ないうちに食事が始まる。
我ながら実に節操がない。だが今回は「美味しいものを食べる旅」である。むしろ、好都合だ。
ホームにある店へ向かい、券売機の前に立ち、そこで最初の難敵に遭遇した。
「さて……どれにするかなっと」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
普通の鯛ラーメン。少し豪華なもの。かなり豪華なもの。
券売機というものは、なぜ後ろに人が並んでいると急に思考能力を奪ってくるのだろう。
――早く決めなければ。
しかし、せっかく博多まで来たのだ。
中途半端な妥協などはしたくない。迷った末、その店で一番高い、最も具材の多い一杯を選んで、店主に食券を差し出した。
しばらくして、目の前に大きな丼が置かれた。
第一印象。
――でかい。デカすぎる。
いや、丼ではない。全ての具がでかい。
有明海苔が大きい。きくらげも大きい……そして何より、メンマがデカすぎた。糸島産だという特大メンマは、もはや脇役ではなかった。
通常、ラーメンにおけるメンマの役割は、名脇役である。
チャーシューや麺を支えながら「どうか、私のことはお気になさらず」くらいの控えめな顔をしている。
ところが、このメンマは違う。麺や他の具を押しのけて完全に、この丼の主人公になっていた。
まるで、気位の高い貴婦人のように「ねえ?そこの貴方。私だけを見て」と言わんばかりの存在感で鎮座していた。
ほかにも真鯛の生ハム、鯛のそぼろ、有明海苔、きくらげ。一杯の丼に海と山の幸が、これでもかといわんばかりに詰め込まれていた。
まずスープを口にする。
鯛と昆布を中心とした魚介の旨味。
白湯らしいまろやかさはありながら、脂っこさよりも上品な香りが先に立った。
派手ではない。けれど飲んだあとに、じわりと鯛の風味が残る。
「やるじゃない……」
思わず一人で頷いた。
続いて麺。
中太で、もちもちしている。
スープをよくまとっていて、噛むたびに魚介の風味が戻ってくる。
真鯛の生ハムはやや塩気が強い。しかし、それが淡いスープの中でアクセントになっていた。対して鯛のそぼろは、九州らしい少し甘めの醤油味。
そして、前座の如く鎮座している、きくらげに箸を伸ばす。ゴツい見た目に反して、味、食感、歯ざわりともに申し分なし。
「面白い……」
塩気。甘味。魚介の旨味の三重奏は、いよいクライマックスに突入した。
そこへ例の主人公――
特大メンマが割り込んでくる。
噛む。
――シャキッ、シャクッ。
「見事だ」
心の中で呟いた。これだけ具が多いと、普通なら全体が喧嘩しそうなものだ。だが不思議とまとまっている。有明海苔も、きくらげも、鯛も、メンマも、それぞれが自分の仕事をしている。
誰も「俺が一番だ」と出しゃばらない。
――いや。
メンマだけは、出しゃばっていたかもしれない。
それでも、最後まで美味しく食べられた。
第一回戦終了。
かなり幸先の良いスタートだった。
*
腹が満たされたところで、今度は街を歩くことにした。
食べてばかりでは旅ではない。
たぶん……。
地下鉄と徒歩を使いながら、櫛田神社へ向かった。
先ほどまで、駅のホームでラーメンをすすっていた人間が、今度は神社の境内を歩いている。
――旅というものは忙しい。
櫛田神社の境内へ足を踏み入れると、街の音が少し遠くなった。
完全な静寂ではない。神社のすぐ裏手に商店街があるから、人の声もする、足音もする、近くの国道をひっきりなしに車が行き交っている。
それでも鳥居をくぐっただけで、空気の密度が変わったように感じた。
古い木。
社殿。
風にわずかに揺れる葉。
こういう場所に来ると、先ほどまで食べ物のことしか考えていなかった頭が、少しだけ静かになる。
旅先で寺社へ寄るのが好きなのは、その切り替わりがあるからかもしれない。
次に、地下鉄に乗って筥崎宮へ向かった。
こちらもまた、博多の賑やかさとは少し違う時間が流れていた。
参道を歩きながら、二十年前のことを思い出そうとした。けれど、ほとんど出てこなかった。
法要。会ったことのない親戚。黒い服。それくらいだった。
当時の俺が、今の自分を見たらどう思うだろう。
二十年後、同じ九州へ来て、巨大なメンマに感動しているとは想像もしなかったはずだ。
まあ、人生とはそんなものなのだろう。
大きな目的がある旅もある。
何かを成し遂げる旅もある。
けれど、美味しいものを食べ、好きな場所を歩き「ああ、今日はいい日だったな」「生きててよかった」と思うための旅があってもいい。
むしろ歳を重ねるほど、そういう時間が大切になってくる気がする。だからこそ、旅はやめられない。
*
その後、地下鉄とバスを乗り継いで、大濠公園まで移動した。園内の池を一周するようにぶらぶらと歩いてから、カフェで一休みしながら、読みかけている文庫本を読んだり、キャナルシティ博多まで足を伸ばしてみたりもした。
余談であるが、博多駅付近に併設されているバスターミナルは、本当に圧巻だった。
ひっきりなしに、バスがマシンガンの弾丸のように次から次へとビルに入っては、規則正しく流れ出ていくさまは、驚くより他になかった。
――おそるべし◎鉄。
巨大な建物の中を、行き交う無数の人々。
多種多様な店舗に、水と光で彩られた華やかな回廊。
神社の境内とは真逆の賑やかさだったが、それもまた博多だった。
静かな場所だけが旅ではない。人であふれる場所を歩いて「知らない街へ来たな」と感じるのも悪くない。
あてもなく館内を歩き、時々立ち止まる。
何かを買うわけでもない。
急ぐ必要もない。
旅先での散歩には、「何もしない」という予定を堂々と入れられる。普段なら、時間が空けば何かをしなければならない気がする。
仕事。家事。勉強。連絡。予定。
しかし旅行中は、三十分ぼんやり歩いていても「観光していた」ということにできる。これはなかなか便利な制度だと思った。
*
そうしているうちに夕方になった。
当然、腹も減ってきたので、いよいよ第二回戦の時間である。
ホテルで、チェックインの手続きを済ませ、不必要な荷物や飲食物を部屋に置いてから、戦地へと出陣していった。
今回の夕食には、一つ条件をつけていた。
――まだ食べたことのない博多名物を食べる。
向かったのは地下鉄祇園駅からほど近いところにある、昔ながらの雰囲気を残した店だった。
店へ入り、コース料理を注文する。
酢もつ。
ひとくち餃子。
串焼き盛り合わせ。
締めのハーフラーメン。
そこへ芋焼酎と枝豆を追加した。
これで計六品。
「……ちょっと頼みすぎたか」
注文してから、そう思った。しかし、旅先でよくあることである問題ない。
まず運ばれてきたのは酢もつだった。
一口食べる。その瞬間「おっ!?」と思った。
正直に言うと、もつという食材には多少の生臭みとかクセを想像していた。
ところが酸味が効いていて、驚くほどにさっぱりしていた。
脂や内臓特有の風味は残っているのに、重くない。
初手から予想を裏切られた。
第一打席目にして、いきなり長打である。
次は、ひとくち餃子。
名前の通り小さい。一口で食べられるだから、軽いのだろうと思った。
――それが、間違いだった。
噛むと、しっかりした味と肉汁が出てくる。
小さいからといって侮ってはいけない。
人間も餃子も、外見だけで判断するものではない。
芋焼酎を一口飲む。
悪くない。いや、かなりいい。
そして、串焼きの盛り合わせがやってきた。
鶏の内臓。
鶏もも。
つくね。
鶏皮。
牛サガリ。
五人の選手が皿の上に並んだ。
どれも美味しかった。
だが、その中でも鶏皮。
――こいつが強敵だった。
「なっ……なんだこれは!?」
外側はサクッとしている。ところが噛むと、中にはもちっとした食感が残っている。
サクサクとモチモチの、二刀流。
大◎翔平も、宮本◎蔵も真っ青である。
しかもタレが表面に乗っているだけではない。
何度も焼き、タレを重ねたのだろう。
噛めば噛むほど、味が出てくる。盛り合わせの中で、「俺が盛り合わせのヌシだ」という顔をしていた。
昼のラーメンではメンマ。夜の串盛りでは鶏皮。
博多では脇役が強い。
恐ろしい街である……。
そして最後に、ハーフラーメン。
これがまた困った……。
見た目は、一般的に想像する濃厚で白く濁った白湯の豚骨ラーメンより淡かった。透明感を残した黄金色のような清湯の豚骨スープ。
口にすると、見た目以上に豚の旨味がしっかりしていた。
「……うまい」
平打ち気味の細麺は、するすると喉を通る。
食べやすい。
重くない。
それなのに物足りなくもない。二口。三口と、吸い込まれるようにして、口の中に入っていく。
そこで俺は、後悔した。
「これなら、普通サイズにしておけばよかった……」
しかし、すでに酢もつを食べた。
ひとくち餃子も平らげた。
串も五本食べた。
焼酎も飲んだ
枝豆も完食した。
そして、宿に戻れば食後のデザートとして購入してきた苺のスイーツとエクレアが、部屋の冷蔵庫の中で首を長くして待っている。
更には最後の大トリとして、夜食で食べる夜鳴きそば。
それでも思った。
――普通サイズにすればよかった。
人間の欲とは実に恐ろしい。
*
店を出ると、博多の夜風が少し冷たかった。
酒で温まった身体には、その冷たさが心地よかった。
腹は満たされている。
歩く速度も自然と遅くなる。
街の光を眺めながら、ホテルへ向かった。
二十年ぶりの九州。
昔は、親戚の法要で来た。今回はラーメンを食べ、神社を歩き、商業施設をぶらつき、酢もつを食べ、餃子を食べ、串を食べ、またラーメンを食べた。
ずいぶん違う。けれど、それで十分だ。
今ここにいること、そのものが正解だから。
若い頃は、旅には何か特別な目的が必要だと思っていた。
有名な観光地へ行く。歴史を学ぶ。何か貴重な経験をする。
もちろん、それも旅だ。でも、今は少し違う。
食べたかったものを食べる。
行きたかった場所へ行く。
疲れたら休んで、本を読む。
気になった道があれば曲がる。
気の向くままに、街を散策をする。
それだけでも十分に旅になる。むしろ、自分で選んだ時間を、自分のためだけに使えること。
それ自体が、かなり贅沢なのかもしれない。
*
翌朝。ホテルの窓から見える博多の街は、昨夜よりずっと普通の顔をしていた。道路には車が走り、人々は仕事や学校へ向かっている。
昨日、俺が巨大メンマに感動していたことなど、この街にとってはどうでもいい話だ。
――それでいい。
旅とはたぶん、そういうものだ。自分にとってだけ大切な、小さな記憶を拾って帰ればいい。
新幹線へ乗るころには、もう次に何を食べようか考えていた。
もつ鍋。
水炊き。
ごまさば。
明太子。
まだまだある。
一泊二日では到底足りない。
窓の向こうで、博多の街がゆっくり後ろへ流れていく。
二十年ぶりの九州は、ずいぶん美味しかった。
そしてどうやら俺は、また来る理由をいくつも残してしまったらしい。それなら、それでいい。
次に九州へ来るときも、大げさな理由はいらない。
――腹が減った。
たぶん、それだけで十分なのだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回の作品は、実際に旅先で感じたことをかなり素直に物語へ落とし込んでいます。
旅に出ると、普段とは違う場所で、普段とは違うものを見て、食べて、歩くことになります。
そこで生まれるのが「思っていたのと違う」「これはすごい」「こんな味なんだ」「また来たい」といった、小さな驚きや戸惑い、感動です。
こうした感情の揺らぎは、とても人間らしいものだと思っています。
AIは情報を整理したり、文章を整えたり、発想を補助したりすることはできます。
けれど、初めて口にした料理に驚く、見知らぬ街の空気に心が動く、思いがけない景色の前で立ち止まる。
そうした「その場でしか生まれない実感」そのものは、AIが代わりに体験することはできません。
だからこそ、自分で見て、歩いて、食べて、感じたものは、これからも大切にしたいと思っています。
実は、これまで書いてきた作品の中にも、旅先で感じた空気や感情を少しずつ投影しています。
知らない土地へ着いたときの心細さ。夕暮れの街を歩いたときの寂しさ。寺社の境内へ入った瞬間に感じる荘厳な静けさ。夜の繁華街にある、少し浮ついた高揚感。
そうした感覚が、登場人物の心象や背景描写の一部になっています。
物語を書くために旅をしているわけではありません。
けれど旅をすると、結果として物語の材料が増えていく。
今回の『二十年ぶりの博多は、腹がへっていた』は、その関係をいつもより少し表に出した作品になりました。
またどこかへ出かけて、何かを食べて、何かに驚いたときには、こういう旅の短編を書いてみたいと思います。




