休息と準備
「今日は依頼を受けない」
朝食の席で、ベルがそう切り出した。
「え、なんで?」
「あんたら、装備がボロボロだろ。剣は刃こぼれしてるし、嬢ちゃんのローブだって裾が焼けてる」
見ると、確かにリーナのローブの裾が黒ずんでいた。
翡翠の洞窟で石に擦れたか、ゴーレム戦で焦げたか。
「それにね、連携の基本がなってない」
「なってない? 翡翠のゴーレムを三人で倒したのに?」
「あれは勢いで勝っただけさ。索敵も罠の確認も怠ってたから、そもそも落とし穴に落ちたんだろ?」
ぐうの音も出ない。
「ダンジョンで死ぬのはね、魔物じゃなくて罠と不意打ちが大半なんだよ。まずはそこを叩き込む」
ベルの目は真剣だった。
冗談や軽口の色がない。
「……わかった。今日はベルに従う」
「物分かりがいいね。じゃあまず、装備を整えに行こうか」
* * *
午前中は街を回った。
最初は武具屋だ。
俺の剣は安物だが、研ぎ直せばまだ使える。
ベルが店主と値段を交渉するのを横で見ていたが、これが上手い。
「研ぎだけなら銅貨三枚でしょ。新品の半分も切れてないんだからさ」
「あんた厳しいね……銅貨四枚でどうだ」
「三枚。じゃなきゃ向かいの店に行くよ」
「わかったよ。三枚で」
リーナが小声で「交渉上手だね」と呟いた。
十年以上ソロでやってきた経験は伊達じゃない。
研ぎに出した剣を待つ間に、リーナが魔法具店に行きたいと言い出した。
「水魔法の教本が欲しいの。昨日付与された《アクアシールド》、まだ感覚だけでしか扱えてなくて」
「いい心がけだね。新技は、付与されたその日に手に馴染ませるのが一番さ」
「あたしは後衛だから、防御の精度が生命線なんです」
三人で魔法具店に入ると、埃っぽい棚に教本や魔石が並んでいた。
リーナは迷わず水魔法の応用戦術編を手に取り、中身を確かめている。
真剣な横顔を見ると、こいつも自分なりに成長を急いでいるのだとわかる。
「これにする。《アクアシールド》を張る位置と、壊れる前に《アクアショット》へ繋ぐタイミングが載ってる」
「実戦的だね。堅実だ」
リーナが教本を抱えて出てくると、ベルが俺の方を向いた。
「さて、坊やの剣も仕上がった頃だろ。取りに行こうか」
鍛冶屋に戻ると、主人が俺の剣を手にしたまま首を傾げていた。
「研ぎは終わったんだが……坊主、ちょっと聞いていいかい」
「はい?」
「この剣、変な魔力が残ってるんだよ。火属性の残滓みたいな——お前、この剣で魔法を使ったかい?」
「いえ、使ってません」
「ふうん。じゃあ使い手の魔力が移ったのかねえ。まあ実害はなさそうだけど、気になったもんでな」
剣を受け取った。
刃は綺麗に研がれ、安物でも見違えるくらいの切れ味を取り戻している。
だが、鍛冶師の言葉が引っかかった。
火属性の残滓——訓練場で魔法陣を踏んだ時の反応が、剣にまで残っているのか。
「どうしたの?」
リーナが覗き込む。
「いや、なんでもない」
嘘ではないが、本当でもない。
また一つ、「普通じゃない」ことが増えた。
* * *
午後は訓練場に戻り、ベルの指導を受けた。
「いいかい。あたしが先行して索敵する。坊やは中衛。嬢ちゃんは後衛。この並びを崩すな」
ベルが地面に棒で陣形を描く。
「坊やが前に出たがるのは知ってるけどさ、先頭は斥候の仕事だよ。前に出すぎて罠を踏んだら全滅だ」
「昨日のことだな……」
「そう、昨日のこと。二度はないよ」
ベルの声は厳しいが、教え方は丁寧だった。
足音の消し方。壁の変色から罠を見抜くコツ。敵の気配を音で察知する方法。
「索敵は耳が七割、目が三割。暗闇じゃ目は当てにならないからね」
実践形式で通路を想定した訓練を繰り返す。
ベルが物を投げて音を出し、俺がどちらから来たかを当てる。
最初は半分も当たらなかったが、三十回を超えたあたりから精度が上がってきた。
「筋がいいよ。やっぱりあんた、感覚がおかしいね。いい意味で」
次は、昨日確認し合った互いの技能を実際に使い、連携する訓練になった。
ベルが地面に薄く手を当てる。
訓練場の砂が盛り上がり、膝丈ほどの土壁がいくつも生えた。
「あたしの《アースウォール》はこんなもんだ。広くはないけど、視線と突進を切るには十分」
壁の陰から、今度は石の杭が突き出す。
「《ロックランス》は不意打ち用。正面から見せる技じゃない。坊やは敵の目をこっちに向けろ」
「おう」
言われた通り、俺は土壁の隙間を縫うように走る。
正面から踏み込み、《スラッシュ》で仮想の敵を斬る。
すぐ横で砂が沈み、足元に穴が穿たれた。
「うわっ」
「今のが《シンクホール》さ。あたしが仕掛けた場所に敵を追い込む。坊やは真っ直ぐ押すだけじゃなく、そこへ誘導する癖をつけな」
「なるほど……」
リーナも後方からの支援タイミングを練習した。
ベルが石弾を打ち込み、リーナが《アクアシールド》を張る。そこからすぐ《アクアショット》へ繋ぐ反射を、何度も繰り返す。
「嬢ちゃん、盾を出したら終わりじゃない。守った次の瞬間に、坊やが踏み込める道を作るんだよ」
「……もう一回。今度は割れる前に撃つ」
「いいね、その根性」
二十回ほど繰り返した頃、リーナの《アクアシールド》が石弾を受け止めた。
水の膜が砕けるより先に、横へ流れた水がそのまま球になって飛ぶ。
《アクアショット》が土壁の端を正確に叩いた。
「できた……!」
「今のだよ。坊やが前で無茶しても、嬢ちゃんが一枚噛ませて時間を作る。その一瞬で、あたしが罠を噛ませる」
「だから俺が無茶する前提なのやめろって」
「でもするだろ?」
また否定できなかった。
日が傾く頃には、三人とも汗だくだった。
砂利に座り込み、ベルが差し出した水筒を回し飲みする。
ぬるい水が、やけに美味い。
* * *
夕食は昨日と同じ酒場だった。
焼いた魚と根菜の煮物を並べて、三人で食う。
ベルはまたエールを頼んで、一口目で顔を赤くしている。
「ベル、顔赤いよ」
「うるさいね。あたしは赤くなるのが早いだけで、酔ってないよ」
「一口で赤くなるのは酔ってるでしょ」
「嬢ちゃんは黙って食べな」
リーナが笑った。
ベルもつられて笑う。
しばらく食べてから、ベルがぽつりと言った。
「あたしはね、このパーティが気に入ったよ」
俺とリーナが顔を上げた。
「久しぶりだね、こういうの。飯を囲んで、馬鹿なこと言い合って、明日の話をする。ソロじゃ味わえない贅沢さ」
ベルの声は穏やかだった。
琥珀色の目が、ランプの光を映している。
「あたしも嬉しい」
リーナが素直に答えた。
「今日はちゃんと、パーティっぽかったしね」
「昨日よりずっとな」
「……俺もだ」
「なんだい、坊やは照れてるのかい」
「照れてねえよ」
「照れてるよ。耳、赤いじゃないか」
「それはお前だろ」
三人で笑った。
くだらない夜だ。けれど、こういう夜が大事なのだと、なんとなくわかる。
宿に戻り、リーナとベルはそれぞれの部屋に引っ込んだ。
俺は窓辺に腰掛け、夜空を見上げた。
星が多い。
里の空と同じくらい、いやそれ以上に澄んでいる。
掌を開いた。
この手で剣を振り、仲間と一緒に戦った。
たった数日のことなのに、里にいた十六年より密度が濃い。
——もっと強くなりたい。
この仲間を守れるくらいに。
この手で、何かを変えられるくらいに。
拳を握った。
* * *
翌朝、ギルドに行くと掲示板の前に人だかりができていた。
ベルが人垣の隙間から貼り紙を覗き込む。
「ちょっと見なよ」
赤い枠の依頼書。
緊急の印が押されている。
『救援依頼——カーラの村。大型魔獣による被害発生。冒険者の即時派遣を求む。報酬: 銀貨五枚。推奨ランク: E以上』
「銀貨五枚……」
リーナが息を呑んだ。
「大型魔獣か。E以上ってことは、7級の腕がいるね」
ベルが俺を見た。
「坊や。あんた今、7級だろ?」
「ああ」
「行く気かい?」
掲示板の依頼書を見つめた。
赤い枠が、誰かの悲鳴に見える。
「行く」
「理由は?」
「助けを求めてる人がいるからだ」
ベルが小さく笑った。
「単純だねえ。——嫌いじゃないよ、そういうの」




