旅路の共鳴
旅の二日目。
草原の街道を北西へ歩いている。
空は高く、風が心地いい。ルーンヘイムを出てから天気に恵まれていた。
「先生、テンペストの制御がうまくいかないんだ」
フィルがヴィーナの隣を歩きながら言った。
「力を入れると暴発するし、抑えると威力が出ない」
「ふむ」
ヴィーナが人差し指を唇に当てた。
「テンペストは力任せに叩きつける魔法ではありません。風の流れを読む意識が必要ですわ」
「風の流れを読む……?」
「まずは《ウィンドカッター》の精度を上げることから始めましょう。一本の糸を紡ぐように、細く、鋭く」
フィルの耳がぴくぴく動いた。真剣に聞いている。
「先生の《テンペスト》は暴発しないでしょ。何が違うの」
「120年の経験ですわ」
「……それ、答えになってないよ」
ヴィーナが微笑んだ。フィルが唇を尖らせる。
こういう掛け合いが日常になっている。
俺はその後ろを歩いていた。
「……足を止めるな」
隣からガルドの低い声。
「歩きながらでもできる。腰を落とせ。右拳を引け」
闘技の素振りだ。歩きながらの《ストライク》の型。
腰が落ちるたびに背嚢が揺れる。
「ガルドさん、これ、もう百回は——」
「まだ足りん」
返す言葉もない。
リーナが後ろで笑っている気配がする。振り返る余裕はなかった。
ベルが前方から戻ってきた。
「北西に半日ほどで丘陵に入るよ。水場は二つ先の沢。道は悪くない」
「ありがとう、ベル」
「……ただ」
ベルの目が細くなった。
「静かだね。獣の気配が変だ。気をつけな」
言われてみれば、鳥の声が少ない。虫の音も聞こえない。
草原の風だけが、やけに大きく耳に入った。
肩の上でコロルがぴゅ、と小さく鳴いた。
青銀の瞳が、草原の先を見つめている。
* * *
丘陵地帯に入ったところで、それは来た。
「——来るよ!」
ベルの声と同時に、草むらが割れた。
灰色の毛並みに、氷のような青い瞳。牙が異様に長い。
氷牙狼。六匹。
コロルの瞳が光った。
「ぴゅぴゅっ」
6級から7級。D級パーティの相手としては適正——だが。
「凶暴化しています!」
ヴィーナの声が鋭い。
「闇の瘴気が魔獣を狂暴化させています。この辺りまで影響が及んでいるとは……気をつけて!」
六匹が同時に跳んだ。
「俺が前を持つ。抜かせん」
ガルドが戦斧を構え、正面の二匹を受け止めた。
《アイアンガード》。分厚い腕が衝撃を受け流す。
「《ヘイスト》!」
ヴィーナの加速魔法が前衛にかかった。体が軽くなる。
俺は左の一匹に踏み込んだ。
《ソニックエッジ》——風を纏った剣が毛皮を裂く。
右から二匹がフィルに向かった。
「くそ、数が多い……! 《ウィンドカッター》!」
風の刃が一匹を弾く。だが、もう一匹が死角から回り込んだ。
「フィル!」
「《エアシールド》!」
ヴィーナの盾がフィルを守った。氷牙狼の牙が空気の壁に弾かれる。
だが、弾かれた狼がすぐに体勢を立て直す。
凶暴化した個体は、怯まない。
ベルのクロスボウが一匹の足を貫いた。
「チビ助、下がりな!」
フィルが後退する。だが——その先にもう一匹。
挟まれた。
「フィル! ——《ウォーターブレード》!」
リーナが水の刃を放った。
届かない。
フィルまでの距離が遠すぎた。水の刃が途中で勢いを失い、地面に散る。
「——届かないっ!」
リーナの叫び。
氷牙狼の牙がフィルに迫る。
体が動いた。
考えるより先に、右手を伸ばしていた。
「リーナ! あっちに——届け!」
風。
リーナの水に向かって、風を送った。
何をしているのか、自分でもわからない。
ただ、届かせたかった。リーナの水を、フィルのところまで。
右手から風が走る。
散りかけたリーナの《ウォーターブレード》に触れた——瞬間。
空気が凍った。
肩の上で、コロルがきゅう、と鳴いた。
水の刃が白く変色していた。
凍結。氷の槍と化した水がフィルに迫る氷牙狼を貫き、その勢いのまま隣の一匹も薙いだ。
残りの狼が怯んだ。
ガルドが正面の二匹を戦斧で薙ぎ払い、ベルの暗器が最後の一匹の足を止める。
俺の《ソニックエッジ》が、止まった狼を斬り伏せた。
静寂が戻った。
六匹全てが倒れている。
「……え」
リーナが自分の手を見ていた。
「あたしの水が……凍った? 何これ」
フィルが目を見開いている。
氷の槍が地面に突き刺さったまま、ゆっくりと溶け始めていた。
「今の、なんだ……?」
俺も右手を見た。
「俺、何をした」
「これは——」
ヴィーナの声が震えていた。興奮だ。
「属性の共鳴……?」
ノートを取り出し、走り書きを始める。
「融合術とは原理が違います。レインくんの風がリーナさんの水を増幅して変質させた」
「変質……?」
「風が水を急冷して氷にしたのです。仲間の魔法に別の属性を乗せて増幅する——仲間の魔法を引き出す力ですわ」
ヴィーナの瞳が輝いている。
「レインくん。もう一度、できますか?」
「やってみます」
リーナと向き合った。
「あたしが《ウォーターブレード》を撃つから、同じように風を重ねて」
「わかった」
リーナの水の刃が飛ぶ。
俺が風を送る。
何も起きなかった。
水は水のまま飛んでいき、草原に散った。
「もう一回」
三度試して、三度とも失敗した。
「……ダメだ。タイミングが合わない」
「ふむ」
ヴィーナがノートから顔を上げた。
「偶発的な共鳴ですね。先ほどは——フィルを助けなければ、という強い意志がありました。それが条件のひとつかもしれません」
人差し指を唇に当てる。
「属性が合えば誰にでも起こり得る現象です。ですが、全属性使いのレインくんなら——どの仲間とも共鳴できる可能性がありますわ」
ベルが腕を組んだ。
「器用貧乏だと思ってたけど、こういう使い道もあるんだねえ」
ガルドが顎髭を撫でた。
「……ほう」
それだけ。だが、鉄灰色の目が認めるように細くなっていた。
フィルが唇を噛んだ。
「……すごかった。あれ、もう一回できないの?」
悔しそうで、でも素直な声だった。
「……まだ、わからない」
右手を握った。
あの瞬間——リーナの水に風を重ねた瞬間。
右手は、冷たくなかった。
* * *
夕暮れ。
丘陵の緩やかな斜面に、野営を張った。
焚き火を囲んで、ベルが作ったスープを啜る。
フィルは疲れて早々に寝袋に潜った。ガルドが焚き火の番を引き受けている。
リーナが隣に座った。
「あんた、さっきの戦闘で無茶しすぎ」
「無茶はしてない」
「嘘つき。考える前に飛び出してたでしょ」
否定できない。
「でも——」
リーナが視線を逸らした。
「あんたの風と、あたしの水が重なった時。ちょっとだけ、すごいって思った」
焚き火の光で頬が赤いのか、別の理由なのかはわからなかった。
「……ああ。俺も」
右手を開いた。
あの戦闘の時。リーナの水に風を重ねた時。
右手は冷たくなかった。
仲間を助けようとした時だけ、この力は温かかった。
何かが変わり始めている。
ヴィーナがノートを閉じて、紅茶を啜った。
「属性共鳴の条件。タイミングの一致と、強い意志。まだ偶発的ですが——糸口はあります」
「再現できるようになりますかね」
「なりますとも。私が理論を組み立てますから」
自信に満ちた微笑み。頼もしかった。
焚き火が爆ぜた。
夜風が草原を渡っていく。
ふと、視線を感じた。
草原の向こう。夕日が沈みかけた丘の稜線。
人影がひとつ。
長い剣を佩いた影が、こちらを見ていた。
「——ベル」
「気づいてるよ」
ベルが目を細めた。
「一人。武装してるけど、敵意は感じないね。さっきからずっとこちらを見てる」
人影は、しばらくこちらを眺めていた。
夕日の残照が、長い剣の鍔を光らせている。
やがて、静かに消えた。
丘の向こう側に降りたのか。闇に溶けるように、影が消える。
「……何者だ」
「さあね。明日も出てくるなら、声をかけてみようか」
ベルが肩をすくめた。
コロルが俺の懐で、きゅう、と鳴いた。
右手を握った。
まだ少しだけ、温もりが残っていた。




