次の遺跡へ
朝日がルーンヘイムの屋根を照らしていた。
防衛戦から四日。
街は日常を取り戻しつつある。
宿の食堂で、朝食を囲んでいた。
「あんた、食べるの遅い」
リーナがパンを齧りながら言った。
「普通だろ」
「普通じゃないよ。いつもの半分もいってないでしょ」
否定できなかった。
右手でスープの椀を持つ。
温かいはずなのに、指先だけがひんやりしている。あの夜から、ずっとだ。
肩の上でコロルがもぞもぞ動いた。
灰白色の綿毛が右手に寄ってきて、ぎゅっとしがみつく。
……あったかい。
「コロル、お前は朝から元気だな」
「ぴゅ」
ベルが向かいの席で干し肉を齧っている。
「坊や、今日はどうする? D級の登録変更、まだだろ」
「ああ。午前中に済ませようかと」
「D級の登録変更!」
フィルの耳がぴくぴく動いた。
「僕のギルドカードに『D級』って刻まれるんだよね。ようやく一人前ってことだ」
「チビ助、一人前はC級からさ」
ベルが笑った。フィルの耳がぺたんと垂れる。
ガルドは黙って粥をすすっていた。
会話に加わらなくても、その場にいるだけで安心する。
「ガルドさん、昨晩も武具の手入れしてたんですか」
「……ああ。刃こぼれが多かった」
あの防衛戦で、ガルドの戦斧は何百回と振るわれた。
背中にまだ傷が残っている。それでも、文句ひとつ言わない。
ヴィーナの席だけ、空いていた。
「ヴィーナさん、今朝も書庫ですかね」
「昨日の夕方からだよ。あの先生、没頭すると食事も忘れるからねえ」
ベルが肩をすくめた。
防衛戦の後、ヴィーナはギルドの書庫に通い詰めている。
古代の記録を調べているのだ。
俺の右手のこと——古代種族のことを。
* * *
午前中にギルドへ向かい、D級の登録変更を済ませた。
受付で新しいギルドカードを受け取る。
銅色のプレートに「D」の刻印。E級の木製カードとは手触りが違う。
「やった! D級だ!」
フィルが自分のカードを掲げた。
通りすがりの冒険者が振り返るくらいの声量だ。
「静かにしなさいよ、恥ずかしい……」
リーナが赤くなって引っ張る。
ベルが俺のカードを覗き込んだ。
「坊や、銅のカードは大事にしなよ。ここから先は簡単に上がれないからね」
「わかってる」
ガルドが自分のカードを一瞥して、懐にしまった。
興味がないわけではないだろう。この人は、ただ言葉にしないだけだ。
ギルドを出ようとした時。
「皆さん」
ヴィーナが書庫の扉から顔を出した。
目の下に薄い隈がある。徹夜したのかもしれない。
だが、紫色の瞳が輝いていた。
「少しお時間よろしいですか? お話ししたいことがありまして」
何かを見つけた時の、ヴィーナの顔だ。
* * *
宿に戻った。
昼前の食堂は空いている。
隅のテーブルを囲むと、ヴィーナがノートを広げた。
びっしりと書き込まれたページ。図と文字が入り乱れている。
「ルーンヘイムの北西の山地——その奥に、古代遺跡があります」
ヴィーナの指がノートの地図を示した。
「500年以上前の記録に、この遺跡のことが記されていました。古代の碑文が残されている場所だと」
500年前。
古代種族が滅びたとされる時期と重なる。
ヴィーナが俺を見た。
「レインくんの右手——あの力の手がかりが、そこにあるかもしれません」
右手を握った。
冷たい。
「碑文の内容までは判明していません。ですが、古代の記録が残っている場所は極めて限られています。この遺跡は、その貴重なひとつ」
ヴィーナが人差し指を唇に当てた。
「次の遺跡に、全ての答えがあるかもしれません」
沈黙が落ちた。
リーナが最初に口を開いた。
「行くに決まってるでしょ」
当然のように言った。
「あんたの秘密を知ったからって、あたしが止まるわけないじゃない。むしろ——知ったからこそ、行かなきゃダメでしょ」
真っ直ぐな目だった。
ガルドが椅子の背もたれから身を起こした。
無言で、頷いた。
あの夜、最初に「力がなんであれ、お前は仲間だ」と言ってくれた男の頷きだ。
言葉は要らない。
ベルが腕を組んだ。
「面白くなってきたじゃないか。北西の山地ってことは、結構な旅になるね。斥候の腕が鳴るよ」
フィルが立ち上がった。
「僕も行く」
声が少しだけ震えていた。
「僕の風はまだ不安定だけど……でも、行く。僕たちのパーティだろ」
耳の先端がぴくぴく動いている。
怖い。でも行く。そういう顔だった。
こいつも変わった。以前なら、弱さを認める言葉は出てこなかった。
全員が、即答した。
「……みんな」
言葉が詰まった。
「ありがとう」
それだけしか出てこなかった。
不器用で、格好悪い。だけど、本心だった。
「何をかしこまってるのよ。気持ち悪い」
リーナが頬を赤くしながら言った。
「嬢ちゃん、顔赤いよ」
「う、うるさい! 赤くないし!」
ベルが笑い、フィルがそっぽを向き、ガルドが顎髭を撫でた。
ヴィーナが「あら」と微笑む。
こいつらと一緒で、良かった。
心の底から、そう思った。
* * *
午後は旅の準備に充てた。
ベルが市場で補給品を仕切る。保存食、水袋、薬草、ロープ、火打ち石。必要なものを正確に見積もっていく。
「山地まで街道を使っても五日はかかるよ。山に入ったら道がないだろうから、もっとかかるかもね」
「五日か……」
「中継地点で水を補給できれば、荷物は軽くできるさ」
リーナとベルが地図を広げて、ルートを確認している。
二人とも実務的だ。頼もしい。
ガルドは宿の裏で武具の整備を続けていた。
俺の剣も預けた。研ぎ上がった刃が、夕日を反射する。
「……すみません、ガルドさん」
「礼はいらん」
短い言葉。だが、手入れされた刃に気遣いが滲んでいた。
フィルは広場の隅で風魔法の制御訓練をしていた。
《ウィンドカッター》の軌道を細く絞る練習。
あの暴発を繰り返さないために。自分の弱さと、向き合っている。
ヴィーナは写本をノートに書き写していた。
「ヴィーナさん、まだ調べるんですか」
「ふむ。遺跡の入口に関する記述が断片的にありまして。少しでも情報を集めておけば、到着後に慌てずに済みますわ」
人差し指を唇に当てて、写本とノートを交互に見ている。
この人の好奇心は底がない。
「……ヴィーナさん」
「はい?」
「古代種族のこと。俺のこの力のこと。遺跡に行ったら——わかりますかね」
紫色の瞳が俺を見た。
「全てかどうかはわかりません。ですが、手がかりは必ずあります」
断言した。
「私がそう判断しているのですから、信じてくださいな」
少しだけ自慢げに笑った。
学者としての矜持。それが、今は頼もしかった。
「——信じます」
ヴィーナが小さく目を見開いた。
それから、いつもの微笑みに戻る。
「では、準備を万全にしましょう」
* * *
翌朝。
ルーンヘイムの北門。
朝靄の中、六人と一匹が揃っていた。
背嚢を背負い、武器を携え、旅支度を整えている。
西の空は澄んでいた。あの炎の夜が嘘のように、大山脈の稜線がくっきりと浮かんでいる。
北西——あの山の向こうに、古代遺跡がある。
「全員揃ったね」
ベルが人数を確認した。
「食料五日分。水は中継地点で補給。薬草も十分。斥候の準備は万全さ」
「僕の魔法もばっちりだよ」
フィルが杖を掲げた。朝日を浴びて、銀髪が輝いている。
ガルドが無言で戦斧を肩に載せた。
その背中が、準備万端だと語っていた。
ヴィーナが写本を懐にしまう。
「ふむ、準備は万全ですね」
北門の向こうに、草原が広がっている。
風が吹いた。草原の青い匂いと、遠い山の冷たい空気が混じっている。
「——行くか」
俺が言った。
リーナが隣に並んだ。
「当たり前でしょ。何を今さら緊張してんの」
「してない」
「嘘つき」
笑った。リーナも笑った。
北門をくぐった。
一歩目は、いつだって少しだけ怖い。
右手はまだ冷たかった。
この力の正体は、まだわからない。
だけど。
隣にリーナがいる。
後ろにガルドがいる。
ベルが先行して道を確かめ、フィルとヴィーナが続いている。
肩の上で、コロルがぎゅっと頬を寄せてきた。
一人じゃない。
街道を北西へ。
朝日を背にして、七つの影が草原に伸びていた。




