止まれない
夜が長い。
将が撤退した後も、闇種族は攻めてきた。
残存部隊のダークエルフが魔人兵を操り、散発的に西門の防衛線を叩いてくる。
大規模な突撃ではない。
削りだ。こちらの体力と魔力を削り続ける消耗戦。
「また来るよ。左から五体」
ベルの声が暗闇に走った。
もう何度目かわからない。
ガルドが大盾を構え直した。
俺は剣を握る手を開き、閉じた。
「行くぞ」
《ツインアーク》で先頭を弾き、《ソニックエッジ》で二体目を斬る。
ガルドの大斧が三体目を叩き、四体目は俺の《フレイムアロー》で足を止めた。
五体目にベルのクロスボウが刺さった。
「はい終わり。——次はいつかね」
ベルが弦を張り直す。淡々としている。ベテランの持久力だ。
だが、他のパーティはそうはいかなかった。
「回復! 回復を頼む——!」
右翼で防衛していたパーティの冒険者が叫んだ。
腕から血が流れている。魔人兵の拳で砕かれたのだ。
そのパーティの回復役はもう動けなかった。
地面に座り込み、うつろな目で宙を見つめている。魔力切れだ。
「あたしが行く」
リーナが走った。
「《ヒーリングストリーム》!」
水の光が負傷者の腕を包んだ。骨が繋がる音は聞こえないが、冒険者の顔から苦悶が消えた。
「ありがとう……助かった」
「動かないで。まだ完全には治ってないから」
そう言い残して、リーナはもう次の負傷者に走っていた。
* * *
深夜を過ぎた頃、西門の状況は限界に近づいていた。
回復役が落ちていく。
一人、また一人。散発的な攻撃に対処しながら回復を続ける負担に、次々と魔力が尽きた。
西門の防衛線で動ける回復役は、いつしかリーナ一人になっていた。
「嬢ちゃん、無理するんじゃないよ」
ベルが声をかけた。
リーナは答えなかった。
走っていた。また別の負傷者のところへ。
「《ヒーリングストリーム》」
声が掠れていた。
だが水の光は消えない。指先から流れる癒しの水が、切り裂かれた脇腹を塞いでいく。
額の汗が止まらない。
手が、微かに震えている。
「リーナ」
俺は前衛の合間に声をかけた。
「休め」
「休んだら——誰が治すの」
真っ直ぐな目だった。
怒りでも意地でもない。ただ事実を述べている目。
「他の回復役はもういない。あたしが止まったら、あの人たちは死ぬ」
言い返せなかった。
ヴィーナがリーナを見つめていた。
止めるべきだと分かっている目。だが、止める言葉を呑み込んだ目。
リーナの覚悟を尊重しているのだ。
「レインくん。あの子の魔力は限界に近い。でも——」
ヴィーナが小さく言った。
「あの子は止まらないでしょう」
俺にも分かっていた。
リーナは、そういう奴だ。
だから俺にできることは、前衛で敵を止め続けることだけだった。
ダークエルフの闇の弾が飛んできた。
「《ルミナスシールド》!」
光の盾で弾く。闇が弾ける。
防御が利いている。前から何度も使い続けた光の盾が、前より軽く出る。
「《アクアシールド》!」
横から来た魔人兵の拳を水の壁で逸らした。
水の壁の精度が上がっている。以前より薄く張れるのに、受け止める力は強くなっている。
コロルが懐から顔を出した。
接敵のたびに青銀の瞳を光らせ、敵の級位を読み取ってくれる。
「7級が二体。8級が一体。——大物はいません」
ヴィーナがコロルの読取りを中継した。
「ガルド、左の7級を頼む。俺は右を取る」
「……ああ」
ガルドの大斧が左の魔人兵を弾いた。
俺は右の魔人兵に《ソニックエッジ》を叩き込む。
こうやって、何度も何度も、繰り返した。
フィルが後方から《ウィンドカッター》を放った。
魔力はまだ回復しきっていない。だが最低限の援護は続けている。
「僕も前に——」
「あなたはまだ温存。魔力が戻りきっていないでしょう」
ヴィーナがフィルを制した。
「……わかってるよ」
悔しそうだったが、フィルは下がった。
自分の限界を知ることも、成長のうちだ。
* * *
何度目かの散発攻撃を退けた時、俺のステータスウィンドウが光った。
```
——世界システムより通知——
対象: レイン・アルシード
【水魔法が7級に昇格しました】
【新技能を付与: ヒーリングストリーム】
【光魔法が7級に昇格しました】
【新技能を付与: ピュリファイ】
```
```
名前: レイン
種族: 人間
【技能】
剣技: 5級
闘技: 7級
火魔法: 6級
水魔法: 7級 ★UP
風魔法: 6級
土魔法: 8級
光魔法: 7級 ★UP
闇魔法: ---
【使用可能技】
スラッシュ / スティング / ツインアーク / ソニックエッジ / ブリッツ / ストライク / スピンキック / アイアンガード / フレイム / フレイムアロー / フレイムウォール / バーストフレア / アクアショット / アクアシールド / ヒーリングストリーム / ウィンドカッター / ヘイスト / エアシールド / サイレントエッジ / ロックショット / アースウォール / ライトボール / ルミナスシールド / ピュリファイ
```
「……また上がった。二つ同時に」
「また……2つ同時に」
ヴィーナが呟いた。紫色の瞳が一瞬、鋭くなった。
だがそれ以上は何も言わなかった。今はそれどころではない。
《ヒーリングストリーム》——リーナと同じ回復魔法が使えるようになった。
「リーナ、俺も回復ができる。少しは分担できる」
「……ありがと」
短い返事。振り向きもしない。
だがその声が、ほんの少しだけ柔らかかった。
リーナの負担を軽減するために、俺も《ヒーリングストリーム》で軽傷者を治した。
リーナほどの精度はない。だが、止血と痛みの緩和程度ならできた。
闇の状態異常を受けた冒険者には《ピュリファイ》をかけた。
光の浄化が闇を洗い流す。冒険者の顔色が戻った。
それでも——リーナの走る速度は落ちなかった。
重傷者はリーナにしか治せない。7級の俺の回復では間に合わない傷が、いくつもあった。
* * *
夜明けが近い。
東の空が、わずかに白み始めていた。
闇種族の攻勢が弱まった。
日の出が近づくと、闇の魔力が薄れる。ダークエルフの動きが鈍くなっていく。
「……来なくなったね。日の出が近い」
ベルが壁に背を預けた。
最後の魔人兵が退いていく。追う者はいなかった。追える者もいなかった。
重傷者が最後の一人運び込まれてきた。
腹を深く斬られている。意識がない。
リーナが駆け寄った。
「《ヒーリングストリーム》」
水の光が傷を包む。
だが——閉じない。水の流れが弱い。魔力が足りない。
リーナの手が震えた。
もう限界を超えている。
普通ならとっくに動けなくなっている。それでも、リーナの手は止まらない。
「お願い……閉じて……!」
祈るように。
水に、祈った。
その瞬間——水の流れが変わった。
今までより遠くまで。長く。強く。
リーナの指先から溢れる水の光が、傷口の奥深くまで浸透していく。
傷が閉じた。
呼吸が安定する。助かった。
```
——世界システムより通知——
対象: リーナ
【水魔法が6級に昇格しました】
【新技能を付与: ウォーターブレード】
```
```
名前: リーナ
種族: 人間
【技能】
剣技: ---
闘技: ---
火魔法: ---
水魔法: 6級 ★UP
風魔法: ---
土魔法: ---
光魔法: ---
闇魔法: ---
【使用可能技】
アクアショット / アクアシールド / ヒーリングストリーム / ウォーターブレード
```
リーナは通知を見ていなかった。
次の負傷者を探して、立ち上がろうとした。
だが——膝が折れた。
限界を超えた回復の反動。
身体が、もう動かない。
「リーナ!」
俺は走った。
崩れ落ちるリーナの身体を支えた。軽い。こんなに軽かったのか。
リーナの目が霞んでいる。意識が遠いのだ。
それでも口が動いた。
「……大丈夫。あたしは……止まらない」
手が震えている。もう水を出す力なんか残っていない。
なのに、止まらないと言う。
俺はリーナの手を握った。
「止まっていいよ」
冷たい手だった。
魔力を使い果たした手。何十人もの命を繋いだ手。
「——俺が守る」
リーナの目が、一瞬だけ焦点を結んだ。
何か言おうとして——笑った。
力のない、でも温かい笑み。
「……あんたに、言われると……」
言葉は途切れた。
リーナの目が閉じた。眠りに落ちたのだ。
リーナを壁際に寝かせた。
コロルがリーナの傍にちょこんと座った。青銀の瞳がリーナを見守っている。
こいつなりの番犬のつもりらしい。
「頼んだぞ」
コロルがキュウと小さく鳴いた。
「素晴らしい」
ヴィーナが静かに言った。
「あの子の水は、もう私の7級を超えている」
「すごい……」
フィルが呟いた。
昨日の自分と重ねたのだろう。天才が限界を超える瞬間を、二日続けて見た。
東の空が、ほんの少しだけ白い。
夜明けが近い。あと少し——あと少しだけ持ちこたえれば。
「全パーティ、持ち場を離れるな! 夜明けまで守り抜け!」
オーゲンの声が西門に響いた。
その直後だった。
西の闇から、足音が地響きのように伝わってきた。
「——来るよ。残存兵力を集結させてる。全部だ」
ベルの声が鋭い。
「ダークエルフが二体。魔人兵は……十体以上。一点突破を狙ってる」
コロルが懐から顔を出し、震えながらも読み取りを続けた。
「ダークエルフ、闇魔法7級と6級。魔人兵は闘技7〜8級——」
「将はいません。残存部隊の最後の攻勢です」
ヴィーナが冷静に分析した。
「夜明けの前に門を落とす気だね。連中にとっても、これが最後のチャンスだ」
ベルが弦を引いた。
リーナはいない。フィルの魔力も限定的。他のパーティも満身創痍。
だが——退く者は、一人もいなかった。
「ガルド」
「ここは通さん」
短い。だが十分だった。
「行くぞ——!」
* * *
最後の突撃が、壁のように押し寄せた。
魔人兵が五体、同時に門に向かって突進する。
「《アースウォール》!」
地面から土の壁を隆起させた。魔人兵の足が止まる。
壁が拳で砕かれる。すぐに次の壁を立てる。
砕かれては立て、砕かれては立てる。
防衛線の穴を、土で塞ぎ続けた。
もう何度目かわからない。
だが、土が前より軽く動く。手に馴染んでいく。
ステータスウィンドウが光った。
```
——世界システムより通知——
対象: レイン・アルシード
【土魔法が7級に昇格しました】
【新技能を付与: シンクホール】
```
```
名前: レイン
種族: 人間
【技能】
剣技: 5級
闘技: 7級
火魔法: 6級
水魔法: 7級
風魔法: 6級
土魔法: 7級 ★UP
光魔法: 7級
闇魔法: ---
【使用可能技】
スラッシュ / スティング / ツインアーク / ソニックエッジ / ブリッツ / ストライク / スピンキック / アイアンガード / フレイム / フレイムアロー / フレイムウォール / バーストフレア / アクアショット / アクアシールド / ヒーリングストリーム / ウィンドカッター / ヘイスト / エアシールド / サイレントエッジ / ロックショット / アースウォール / シンクホール / ライトボール / ルミナスシールド / ピュリファイ
```
《シンクホール》。ベルが使う罠技と同じだ。
だが今はそれどころではない。通知を振り払い、目の前の魔人兵に剣を振った。
ガルドが魔人兵の拳を大盾で受け止めた。
「《アイアンガード》!」
全身が硬化し、三体分の打撃を耐えた。
反撃の大斧。《ブリッツ》の加速を乗せた一撃が、魔人兵の胴を叩き割った。
横から来た魔人兵に、俺は《ツインアーク》で応じた。
二連斬りが腕を裂く。追撃の《ソニックエッジ》で胴を薙いだ。
右翼ではベルが二体を同時に捌いていた。
《シンクホール》で足を取り、クロスボウで喉を射抜く。
もう一体には短剣で腱を斬り、動きを止めた。
「僕だって戦える!」
フィルが前に出た。
「《テンペスト》——!」
風が渦巻いた。
昨日の暴発ほどではない。だが安定もしていない。風が揺れ、方向が定まらない。
それでも——突撃してきた魔人兵二体の足を止めるには、十分だった。
「まだ……制御が甘い」
フィルが膝に手をついた。一発で魔力の大半を使い切っている。
「上出来ですわ」
ヴィーナが後方から言った。
「昨日の暴発に比べれば、ずっと良い。あとは理論で詰めれば——」
「今は講義はいいよ、先生!」
フィルが叫んだ。ヴィーナが小さく笑った。
ダークエルフ二体が、闇の弾を連射してきた。
「《ルミナスシールド》!」
ヴィーナの光の盾が闇を弾く。
だが二発目、三発目と続く。光の盾が軋んだ。
俺も《ルミナスシールド》を重ねた。ヴィーナの光と俺の光が重なり、闇の弾を弾き返す。
だが——
闇の弾が俺の右手をかすめた。
熱い。
あの将の闇の残響が——応えている。
右手が脈打つように熱くなった。内側から、何かが膨れ上がろうとしている。
闇の魔力に触れるたびに、応答するように。
歯を食いしばった。
右手を押さえたい。だが剣を離せない。
また闇の弾が来た。《ルミナスシールド》で弾く。
その反動で、右手が——
握りしめた剣の柄が、一瞬だけ黒い光を帯びた。
暗い。
闇とも違う。もっと深い、底のない黒。
コロルが懐の中でびくっと震えた。
俺の右手に——怯えている。
消えた。
俺が意志の力で押し込んだ。拳が白くなるほど柄を握りしめ、内側から溢れようとする何かを——力ずくで閉じた。
隣のガルドは正面の魔人兵を見ている。気づいていない。
ヴィーナは後方。距離がある。
ベルは右翼。角度的に見えない。
気づかれなかった。
ギリギリだった。
だが——次は、わからない。
考えるな。今は——
「《アースウォール》!」
土の壁を立てた。また砕かれる。また立てる。
壊される前提で、何度でも。
* * *
東の空が、赤く染まった。
朝日が差した瞬間、戦場の空気が変わった。
光が西門を照らす。
闇の魔力が薄れていく。ダークエルフの闇の弾が弱くなり、魔人兵の動きが鈍った。
ダークエルフの一体が鋭い声を上げた。
撤退の号令。
魔人兵が退き始めた。
今度こそ——完全な撤退だった。追い討ちをかける者はいなかった。追えるだけの余力が、もう誰にも残っていない。
闇種族の姿が、西の街道の向こうに消えていく。
静寂が戻った。
剣が——重い。
腕が上がらない。膝が笑っている。
だが、門は守った。
「——終わったよ。日の出だ」
ベルが壁に背を預けて座り込んだ。
「あーあ、疲れた。十年ぶりだよ、こんな夜は」
ガルドが無言で斧を下ろした。
地面に突き立てた斧から手を離し、大きく息を吐いた。
それだけで十分だった。戦い抜いた男の背中。
フィルが地面に大の字に寝転がった。
「……勝った。僕たち、勝ったんだ」
朝日を見上げている。耳の先端がぴくぴく動いていた。
ヴィーナが疲れた笑みを浮かべた。
「ええ。守り切りましたね」
静かな声だった。
壁際では、リーナがまだ眠っていた。
コロルがリーナの手の上で丸まっている。温もりを伝えるように。
守った。
この街を。この仲間を。
——だが。
俺は右手を見下ろした。
朝日に照らされた手が、微かに震えている。
あの一瞬——剣の柄が黒く光った時。
内側から溢れようとした何かは、まだそこにいる。
将の闇の波動に触れた時の熱が、一晩戦い続けた後も、まだ消えない。
仲間が笑っている。安堵している。
朝日が温かい。長い夜が終わった。
なのに俺の右手だけが——震えていた。




