あり得ない昇級速度
ギルドの扉を開けた途端、革と安酒の匂いがまた鼻を突いた。
二日目にして、もうこの匂いに慣れてきている。
「おはようございます。あ、レインさんとリーナさんですね」
受付嬢が俺たちの顔を覚えていた。
昨日のゴブリン五体討伐が印象に残ったのかもしれない。
「報告があるんですけど」
「はい、何でしょう?」
「今朝、剣技が8級に上がりました」
受付嬢の手が止まった。
「8級……ですか? えっと、登録されたのが一昨日で——」
「はい。一昨日です」
間があった。
受付嬢が手元の帳簿と俺の顔を交互に見る。
「一日で9級から8級……稀にありますが、本当に稀です。ステータスを確認させてもらえますか?」
水晶板に手を触れる。
浮かび上がったウィンドウの剣技の欄には、確かに『8級』と表示されている。
「確認しました。記録を更新しますね」
受付嬢は平静を装っていたが、帳簿に書き込むペンの先が微かに震えていた。
「新しい技は?」
リーナが横から覗き込む。
「《スティング》。突きの技だ」
「突き? あんた、昨日まで横薙ぎしかしてなかったのに」
「世界システムが教えてくれた。構えの感覚が勝手に頭に入ってきた」
「便利なのか、気持ち悪いのか、わかんないね」
「どっちもだ」
リーナは眉を寄せたが、すぐに掲示板の方へ向かった。
切り替えが早い。こういうところは助かる。
「8級向けの依頼……ダンジョン探索があるよ」
『翡翠の洞窟——浅層探索。報酬: 銅貨40枚。推奨ランク: F〜E』
「ダンジョン?」
「ルーンヘイムの東にあるって。初心者向けの浅い層なら8級ペアでも行けるみたい」
面白そうだ。
だが、いきなり突っ込むのは昨日で懲りた。
「先に訓練場で連携を確認しよう。新しい技もあるし」
「珍しく慎重じゃん」
「ゴブリン五体でだいぶ学んだ」
「ふうん」
リーナが少しだけ口元を緩めた。
こいつが笑うと、なんとなく安心する。
* * *
ギルド併設の訓練場は、砂利を敷き詰めた広場だった。
朝日が差し込んで砂埃が白く光っている。
朝から何組かの冒険者が汗を流しており、砂利を踏む足音と木剣がぶつかる乾いた音が響いていた。
木剣を手に取り、素振りを始めた。
《スラッシュ》の横薙ぎは、昨日までの感覚がそのまま身体に残っている。
問題は新しく覚えた《スティング》だ。
右足を前に出し、腰を落とす。
剣を引き、脇を絞る。
ここから——一直線に突く。
木剣が空を裂く音がした。
手応えが違う。《スラッシュ》の弧を描く軌道とは真逆の、一点に力が集まる感覚。
「速い。木剣でこの速さ、反則じゃない?」
リーナが目を丸くしている。
「間合いの外から届くのが強いな。《スラッシュ》で横を薙いで、《スティング》で芯を刺す」
「あんた、もう二つの技を組み合わせるとこまで考えてるの? 8級になったの今朝でしょ」
「考えたっていうか、身体がそう動きたがる」
「……それ、あたしは感覚がわかんないんだけど」
リーナの声に少しだけ苛立ちが混じった。
先を行かれる焦りだろう。
「お前の《アクアショット》がなかったら、ゴブリン五体で死んでたぞ」
「そういう問題じゃ——」
「そういう問題だ。俺が前で斬って、お前が後ろで止める。それで勝ててる」
リーナはしばらく黙っていた。
それから、ローブの袖をまくり上げた。
「じゃあ連携の練習。あたしが的を作るから、タイミングを合わせて」
リーナが《アクアショット》を空中に浮かべ、ゆっくり動かす。
俺がそれに合わせて踏み込み、木剣で水球を叩く。
水が弾けるたびに、リーナが距離と角度を変えてくる。
近く。遠く。左右。背後。
息が上がる。
けれど身体が自然に反応して、剣の軌道が少しずつ無駄を削ぎ落としていく。
「いい感じ。次、二発同時に出すよ」
「おう」
リーナの両手から水球が二つ、左右に飛んだ。
片方を《スラッシュ》で横に薙ぎ、もう片方に踏み込んで《スティング》——
その瞬間だった。
踏み込んだ右足が、地面に刻まれた古い魔法陣を踏んだ。
足元から火の粒子が舞い上がった。
「え——」
小さな炎が、俺の靴の周囲で踊るように燃えている。
「レイン、今の……」
リーナが驚いた顔で俺の足元を見ている。
「俺、何もしてないぞ」
「してないのに火が出たんだけど」
炎はすぐに消えた。
だが確かに、足元で燃えていた。
「ステータスに火魔法の適性はあったけど……無意識で反応するってことある?」
「あたしの水魔法は、最初から意識して発動しないと出なかったよ。無意識なんてありえない」
リーナの眉が寄っている。
心配というより、何かを考え込んでいる顔だ。
「昨日のゴブリン戦の時もそうだったけど、あんたの身体って勝手に動くこと多くない?」
「……多いかもしれない」
答えながら、自分でも薄気味悪くなった。
剣技が一日で上がること。身体が正解を先に知っていること。そして今、魔法が勝手に反応したこと。
どれも「普通」の範囲から外れている。
「考えすぎても仕方ない。今は鍛える方が先だ」
「……そうだね。ダンジョンの前にもう少しやろう」
リーナは頷いたが、足元の焦げ跡をもう一度ちらりと見ていた。
* * *
二人の冒険者が訓練場を去った後。
ギルド二階の執務室で、一人の男が帳簿を広げていた。
ルーンヘイム支部のギルドマスター、ヨルグ。
白髪混じりの灰色の短髪に、立派な顎鬚。左手の薬指が第一関節で欠けている——現役時代の勲章だ。
受付嬢から報告を受け、自ら記録を確認していた。
「レイン……登録初日に9級から8級への昇格。冒険者ランクF」
帳簿の隣に、登録時の鑑定記録がある。
水晶板が記録した、レインという冒険者の詳細データ。
ヨルグの眉が寄った。
「全属性に適性あり。闇魔法のみ適性なし。ここまではいい」
ページをめくる。
詳細鑑定の欄に、通常なら「鑑定済」と印が押されるはずの空欄があった。
「種族詳細——判定不能。潜在能力——判定不能。成長限界値——判定不能」
ヨルグは帳簿を閉じた。
椅子の背もたれに沈み込み、天井を見上げる。
「全項目が『判定不能』……こんな鑑定結果、見たことがない」
窓の外では、訓練場を去るレインとリーナの背中が小さくなっていく。
ヨルグは顎鬚を引っ張りながら、部下を呼んだ。
「この少年の記録を本部に照会しろ。それと——今後の昇格記録を全て控えておけ。一つ残らず、だ」




