天才の嵐
地面が震えている。
足音。無数の足音が、西の闇から迫ってくる。
「コロル、読めるか」
肩の上の綿毛に声をかけた。
コロルは俺の襟元に潜り込んだまま、ぷるぷると震えている。
「コロル」
もう一度呼ぶと、青銀の瞳がおずおずと覗いた。
宙に文字が浮かぶ——だが安定しない。文字が点滅し、崩れ、また浮かぶ。
—— / 魔人 / 闘技3級・闇魔法4級
「闘技3級に闇魔法4級……!」
ヴィーナの声が鋭くなった。
「3級は冒険者の上位1%です。私たちの手に負える相手ではありません」
後方に立つ影。他の魔人兵とは体格が違う。頭一つ分大きく、纏う闇の気配が濃い。
指揮官ではない。将だ。
「前衛の魔人兵は——」
コロルが震えながらも読み取りを続けた。闘技7〜8級の兵が、視界の端まで連なっている。
「……二十体以上。ダークエルフも複数」
ベルが読み取り結果を見て唇を引き結んだ。
「こいつは長引くね」
オーゲンが西門の上から叫んだ。
「B級のゲイル隊を第二線から前に出す! 全パーティ、持ち場を守れ!」
* * *
第二波が、壁のように押し寄せた。
「《ヘイスト》!」
ヴィーナの加速が前衛にかかる。俺とガルドが同時に飛び出した。
魔人兵が三体、正面から突っ込んでくる。
《ツインアーク》で先頭の一体を弾いた。二体目がすかさず拳を振り上げる。
「《アイアンガード》!」
覚えたばかりの技。全身の筋肉が一瞬だけ硬化し、拳を受け止めた。
衝撃が骨を軋ませる。まだ使い慣れていない。硬化のタイミングが一瞬遅れた。
三体目が横から来た。
《ブリッツ》——加速して一刀を放つ。
斬撃は魔人兵の腕を裂いた。だが、身体の消耗が激しい。息が上がる。
「力を使いすぎるな」
ガルドが大盾で魔人兵を弾きながら言った。
「長い戦いになる」
「……了解」
新しい技は温存する。《スラッシュ》《ツインアーク》《ソニックエッジ》——手に馴染んだ技で捌く。
火魔法を織り交ぜながら、近づく敵を剣で斬り、離れた敵には《フレイムアロー》を撃つ。
ガルドの大盾が、何度も魔人兵の拳を弾いた。
《アイアンガード》と《ブリッツ》を的確に使い分けるガルドは、同じ5級でも練度が違う。
右翼でベルが動いていた。
「《シンクホール》!」
地面が陥没し、魔人兵が二体足を取られた。クロスボウの矢が片方の喉を射抜く。
「次!」
もう一体にはロックショットを叩き込み、態勢を崩したところに短剣で腱を斬った。
後方ではリーナが走り回っていた。
「《ヒーリングストリーム》!」
水の光が、傷を負った他のパーティの冒険者を包む。
自分のパーティだけじゃない。手が届く範囲の味方を片っ端から治している。
「リーナ、魔力は保つか!」
「保たせるのよ! 心配しないで!」
強い声。だが額に汗が光っている。連戦の消耗は確実に蓄積していた。
左翼で、フィルが《ウィンドカッター》を連発していた。
「《サイレントエッジ》!」
無音の刃が魔人兵の肩を抉る。だが倒れない。7級の身体は硬い。
魔人兵が防衛線の隙間を突いて突破しかけた。左翼を守っていた別のパーティが押し込まれ、陣形が崩れる。
三体の魔人兵が、フィルに向かって走った。
「フィル! 下がれ!」
俺が叫んだ。
だがフィルは下がらなかった。
「僕が止める!」
前に出た。
《ウィンドカッター》を放つ。一体の足を切り裂く。
すかさず《サイレントエッジ》。二体目の腕を掠めた。
だが三体目が止まらない。
拳が振り下ろされた。
フィルが咄嗟に《エアシールド》を張る。拳が風の壁を打ち、フィルの細い身体が後ろに滑った。
「くそ——! もっと、もう少し……!」
6級じゃ足りない。
数を押し返す力がない。
三体が同時に迫る。
逃げ場がない。
——その瞬間。
フィルの目が、見開かれた。
「……見える」
風が——見えた。
大気の流れが、色のように浮かび上がった。
暖かい空気が赤く、冷たい空気が青く、その間を風が走っている。世界の呼吸が、全部見える。
耳の先端がピクピクと震えた。
「ああ——これが」
叫ぶように、詠唱した。
「《テンペスト》——!」
制御を超えた風が渦巻いた。
暴風。
西門の左翼一帯を、凄まじい風が薙ぎ払った。魔人兵が木の葉のように吹き飛ぶ。地面の砂が巻き上がり、視界が白くなる。
だが止まらない。風が暴れている。味方側の防柵が軋み、冒険者たちが足を取られた。
「《エアシールド》!」
ヴィーナが咄嗟に風の壁を展開した。テンペストの余波から味方を守る。
師の風が、弟子の暴風を包み込んだ。
風が止んだ。
左翼の魔人兵は一掃されていた。
地面に刻まれた風の爪痕が、テンペストの威力を物語っている。
```
——世界システムより通知——
対象: フィル
【風魔法が5級に昇格しました】
【新技能を付与: テンペスト】
```
```
名前: フィル
種族: エルフ
【技能】
剣技: ---
闘技: ---
火魔法: 8級
水魔法: ---
風魔法: 5級 ★UP
土魔法: ---
光魔法: ---
闇魔法: ---
【使用可能技】
ウィンドカッター / ヘイスト / エアシールド / サイレントエッジ / テンペスト / フレイム / フレイムアロー
```
フィルが膝をついた。
息が荒い。魔力を使い果たしたのだ。
だがその顔には、疲労と——歓喜が混じっていた。
「やった……僕も、5級——」
ヴィーナが駆け寄った。
「筋は良い。あとは制御ね」
穏やかだが、はっきりとした声。
フィルが顔を上げた。普段の強がりが、消えていた。
「はい……先生」
素直だった。
こいつがこんな顔をするのは、初めて見た。
「すげえ……!」
俺は素直にそう思った。
あいつは俺の一日後に5級に届いた。天才だ。
「動かないで、フィル。あたしが治すから」
リーナがフィルに駆け寄り、《ヒーリングストリーム》をかけた。
魔力切れは治せないが、身体の消耗は癒せる。
「……うるさい。大丈夫だって」
「大丈夫じゃないでしょ、この顔色で」
フィルが口を開きかけて、やめた。
リーナの手が温かかったからかもしれない。
* * *
テンペストの暴風は、第二波の勢いを確実に削いだ。
左翼の敵が吹き飛ばされたことで、防衛線が安定を取り戻す。
だが——
将が、動いた。
後方から一歩、前に出た。
それだけで、空気が変わった。
将の全身から、闇の波動が広がった。
重い。
空気が鉛のように重くなる。闇の魔力が、西門の防衛線全体を覆い尽くしていく。
「《ルミナスシールド》!」
ヴィーナが光の盾を展開した。闇の波動が光に弾かれる——だが完全には防ぎきれない。光7級では、闇4級の圧に届かない。
盾の隙間から闇が漏れ、冒険者たちが膝をつく。
俺の右手が——熱くなった。
28話の時とは段違いだ。手の甲が脈打つように熱い。闇の波動に引きずられるように、何かが内側から応えようとしている。
右手を押さえた。
「……レイン、あんたの手——」
リーナの声。振り返ると、リーナが俺の右手を見ていた。
目が見開かれている。不安と、問いと——怖れが混じった目。
「大丈夫だ。何でもない」
嘘だ。
リーナの目が、信じていない。
だが今は——
「B級ゲイル隊、前線に入る!」
ゲイル隊が到着した。先頭を切る長身の男——ゲイル隊長。剣技4級のベテラン。
「お前たちはよく持ちこたえた。ここからは俺たちも出る」
ゲイル隊の冒険者たちが防衛線に加わり、魔人兵を食い止め始める。
ゲイル隊長が将に向かった。
4級の剣が、闇を切り裂くように走る。
速い。俺たちとは、剣の質が違う。
初撃。将の胸元を狙った突きを、将が片手で逸らした。
だがゲイル隊長は止まらない。流れるように二撃目、三撃目。
連続斬りが将の防御を叩く。
「……悪くない」
将が、初めて声を出した。
低い声。人間の言葉だった。
四撃目。ゲイル隊長の剣が将の左腕を掠めた。
黒い血が散る。
一太刀、入った。
だが将の表情は変わらない。
まるで蚊に刺された程度——そんな顔だった。
将の拳が動いた。
ゲイル隊長が剣で受ける。金属が軋んだ。二撃目で剣が弾かれ、三撃目が鎧の胸を打ち抜いた。
ゲイル隊長が吹き飛び、地面を転がった。致命傷ではない。だが立てない。
4級の剣技で一太刀は入れた。それでも——3級の壁は、厚すぎた。
「……化け物か」
ガルドが呟いた。斧を握り直す手が、いつもより強い。
俺たちは5級。この将には、まだ二つも壁がある。
将が、ゲイル隊長を見下ろした。
だが止めを刺さなかった。
視線が動いた。戦場を見渡している。
テンペストで左翼を失い、陣形は崩壊。魔人兵の消耗も激しい。
そしてゲイル隊が合流し、兵数差も縮まった。
将の視線が——俺の方を向いた。
一瞬、目が合った。
右手が熱くなる。将の闇に、内側の何かが応えようとしている。
将が目を細めた。
興味。あの目には、明らかな興味があった。
将が片手を上げた。
「——退け」
短い命令。
これ以上兵を消耗する意味はない。——そう判断したのだ。
魔人兵が退き始めた。ダークエルフが殿を務め、闇の壁を張りながら後退していく。
今度は追わなかった。
追えるだけの余力が、誰にも残っていなかった。
将が、軍勢の最後尾で足を止めた。
振り返った。
闇の中でも分かる。
あの目が——俺を見ている。
右手が、まだ熱い。
コロルが懐の中で震えている。将を怖がっているのではない。俺の右手に——怯えている。
将の唇が動いた。
何かを呟いている。だが距離があって聞こえない。
そのまま、闇の中に消えた。
静寂が戻った。
「……あいつ、何か言ってたよ」
ベルが、将が消えた方角を見つめたまま言った。
「読唇で断片だけ拾えた。『報告』と『魔力』……聞き取れたのはそれだけだよ」
ヴィーナの表情が凍りついた。
紫色の瞳が大きく見開かれ、すぐに伏せられた。
その一瞬で、ヴィーナが何を考えたのかはわからない。
だが——ただ事ではないことだけは、わかった。
俺は右手を見下ろした。
熱は、まだ引いていなかった。




