闇の反応
六人パーティ二度目の依頼は、魔物討伐だった。
ルーンヘイムから南の森に棲みつくオーガの群れ。
農村の家畜を襲い始めたらしく、ギルドに緊急依頼が入った。
「オーガ五体。D級推奨だが、六人なら問題ないだろう」
ヨルグの言葉を受け、俺たちは朝一番で街を出た。
* * *
南の森は、北東の遺跡周辺より木々が低く、日差しが地面まで届いていた。
落ち葉を踏む六人分の足音。
ベルが先行する。
身を低くして茂みの影に溶け込み、痕跡を追っていく。
「爪痕と糞が新しい。近いよ」
ベルの合図で、隊列が戦闘態勢に変わった。
前衛にガルドと俺。
中衛にベル。
後衛にフィル、リーナ、ヴィーナ。
ガルドが大盾を構えた。
俺が剣を抜く。
「三時の方向。五……いや六体。一体増えてる」
ベルの声が低くなった。
「《ヘイスト》」
ヴィーナが詠唱した。
風が前衛を包み、身体が軽くなった。足の裏から風が押し上げてくるような感覚。
「先生、ナイス。これは動きやすい」
ベルが口角を上げた。
六体のオーガが、木々の間から姿を現した。
灰色の肌に濁った目。腕は俺の胴ほどの太さがある。
先頭の一体が吠えた。
地面が振動するほどの咆哮。
「俺が受ける。……レイン、横から入れ」
ガルドが大盾を構えて前に出た。
先頭のオーガが棍棒を振り下ろす。
ガルドの大盾がそれを受け止めた。鈍い衝撃音。
ガルドの足が沈むが——止まった。
右手の戦斧が唸り、棍棒ごとオーガの腕を弾き飛ばす。
「っ——」
その隙に俺が横から踏み込む。
《ヘイスト》の加速が乗った分、いつもより半歩速い。
《ソニックエッジ》で斬撃を飛ばした。
剣圧が二体目のオーガの胸を斬り裂く。
浅い。けれど怯ませるには充分だ。
「《ウィンドカッター》!」
フィルの風の刃が、怯んだオーガの首筋を斬り裂いた。
「ナイス、チビ助!」
ベルがオーガの背後に回り込んでいた。
いつの間に。短剣で太い脚の腱を斬る。
バランスを崩したオーガに、リーナの《アクアショット》が叩き込まれた。
「ガルドさん、左!」
「……見えてる」
ガルドが左から迫る二体に《アイアンガード》で対応した。
全身の筋肉が膨れ上がり、棍棒の連打を正面から耐える。
カウンターの戦斧が、一体の胴に深く食い込んだ。
俺は右側の二体を引き受けた。
《ツインアーク》で牽制しながら間合いを調整する。
一体が棍棒を振りかぶった——その時、背後からリーナに向かってもう一体が突進していた。
「《エアシールド》!」
ヴィーナの風の盾が、リーナの前方に展開された。
突進するオーガの身体が弾かれ、よろめく。
「ありがとうございます!」
リーナが距離を取りながら叫んだ。
ヴィーナはノートを左手に持ったまま、右手で魔法を制御している。
守りながら——戦場を観察していた。
「レインくん、右のオーガは右肩を庇っています。古傷がありますわ!」
その一言で狙いが定まった。
一体の大振りを見切って懐に入り、右肩に《スティング》を突き刺した。
悲鳴を上げて崩れ落ちる。
残り二体。
「後衛は下がってて。仕上げるよ」
ベルが暗器を投げた。
オーガの目に刺さり、悲鳴。
その隙にガルドの戦斧と俺の剣が、同時に最後の二体を仕留めた。
静寂。
木漏れ日の中、六体のオーガが倒れている。
全員無傷。
「……良い連携だ」
ガルドが戦斧の血を拭いた。
「ガルドさんが壁になってくれると、安心して攻められます」
「前衛が二枚いると全然違うね。坊やが切り込んで、ガルドが受け止める。美しい布陣だよ」
ベルが口笛を吹いた。
「僕の《ウィンドカッター》、ちゃんと効いただろ」
フィルが胸を張った。
「先生の《ヘイスト》、良かったよ。前衛の初動が早くなるだけで、戦い全体が変わるね」
ベルがヴィーナに向いた。
「あの《エアシールド》も助かりました。詠唱が速いですね」
リーナが頷いた。
「ふふ、120年の研究成果ですわ。……ふむ、それにしてもこのオーガの歯の摩耗具合から推察すると——」
「先生、解剖は後にして」
ベルが呆れた声を出した。
リーナが俺の隣に来た。
「今の連携、良かったね。六人だと楽だ」
「うん。前衛が俺一人の時とは段違いだ」
戦利品を回収し、帰路についた。
依頼は完了。あとはギルドに報告するだけだ。
午後の陽が傾き始めている。
穏やかな帰り道になるはずだった。
* * *
森の出口まで半刻ほどというところで、ベルが足を止めた。
「……止まって」
声が違った。
さっきまでの軽い調子が消えている。
全員が反射的に構えた。
「何人?」
「一人。速い。こっちに向かってる」
ベルの琥珀色の目が木々の間を走った。
風が変わった。
木の葉が不自然に揺れる。
そして——
黒い影が、木々の間を駆け抜けた。
速い。
獣のような動き。けれど姿は人型だ。
影が止まった。
距離、二十歩。
木漏れ日が、その姿を照らした。
浅黒い肌に長い尖った耳。
紫がかった黒髪。
鋭い目つき。
ダークエルフ。
闇種族の偵察兵だ。
「闇種族——こんなところに!?」
フィルが声を上げた。
ダークエルフの手に、黒い光が渦巻いている。
闇魔法の予兆だ。
「やばいね。こっちを見つけて逃げるんじゃなく、仕掛けてきた」
ベルが短剣を構えた。
ガルドが大盾を前に出す。
ダークエルフが腕を振った。
黒い弾丸——《ダークショット》が飛来する。
「《ルミナスシールド》!」
ヴィーナの手から白い光が弾け、光の盾が展開した。
《ダークショット》が光の盾に当たり、闇と光がぶつかり合って弾けた。
光魔法は闇魔法に対して高い耐性を持つ。
ヴィーナの判断は正確だった。
ダークエルフが舌打ちした。
二発目の《ダークショット》を放つ。今度は三方向に散らしてきた。
ヴィーナの《ルミナスシールド》が中央の一発を弾く。
左はガルドの大盾が受け止めた。
右の一発が——リーナに向かっている。
考える前に、手が動いていた。
「《ルミナスシールド》!」
白い光の盾が展開し、闇の弾丸を弾く。
光と闇がぶつかり合い、火花が散った。
——おかしい。
ヴィーナが先に《ルミナスシールド》を使った。それは光7級の魔法使いとして自然な判断だ。
けれど俺は、ヴィーナの盾が展開する前に——弾丸の軌道が見えていた。
どこに飛んでくるか。どのタイミングで着弾するか。
闇の力の流れを、身体が読んでいた。
ダークエルフの目が見開かれた。
光魔法を使う冒険者は珍しくない。
けれど、あの闇の弾丸に即座に反応できたのは——
ヴィーナが俺を見ていた。
紫色の瞳に、驚きはなかった。確認の色だけがあった。
「レイン、押さえて!」
ベルの声で我に返った。
ガルドが盾で間合いを詰め、ダークエルフの退路を塞ぐ。
フィルの《ウィンドカッター》が足元の地面を抉り、動きを制限した。
追い詰められたダークエルフが、全力の闇魔法を放った。
両手から黒い光が溢れる。
さっきの《ダークショット》より、ずっと大きい。
闇の力が膨れ上がった瞬間——
胸の奥が、灼けた。
「——っ!」
右手が震えた。
指先から、何かが湧き上がってくる。
黒い光。
俺の右手を、黒い光が包んでいた。
闇魔法ではない。俺は闇魔法を使っていない。
なのに——手が、闇に反応している。
ダークエルフの闇魔法と、俺の右手の闇が、共鳴するように脈打った。
「……な」
ダークエルフの動きが止まった。
魔法を放つ構えのまま、固まっている。
紫がかった瞳が、俺の右手を凝視していた。
「お前……何だ……?」
声が震えている。
闇種族が、闇の力に怯えている。
「光種族が——闇の力を——ありえ——」
ガルドの戦斧が振り下ろされた。
鈍い音がして、ダークエルフが崩れ落ちた。
意識を失っている。
「……気絶させた。殺してはいない」
ガルドが静かに言った。
鉄灰色の目が俺を見ている。
全員が、俺を見ていた。
リーナの顔が青白い。
フィルの翠色の目が丸く見開かれている。
ベルの琥珀色の目が鋭く細まっていた。
ヴィーナだけが、違う目をしていた。
驚きでも恐れでもない——確信。
右手を見下ろした。
黒い光は消えていた。
何も残っていない。指先がほんの少し痺れているだけだ。
けれど、確かに見えた。
俺の手から、闇の力が溢れたのを。
「……レイン?」
リーナの声が、遠くに聞こえた。
「大丈夫。なんでもない」
嘘だった。
なんでもないわけがない。
「今の、なんだったの? あんたの手が——」
リーナが近づこうとした。
「なんでもない」
自分でも驚くほど硬い声が出た。
リーナが足を止めた。
緑色の瞳が揺れている。
何か言いたそうだった。
けれど、口を閉じた。
「……討伐対象外の敵だ。ギルドに報告しないとね」
ベルが空気を変えた。
気を利かせてくれたのだ。
「ダークエルフの偵察兵が、こんな南の森にまで来てるってことは——国境だけの問題じゃないかもしれないよ」
「……ヨルグに伝えないとな」
ガルドが気絶したダークエルフを肩に担いだ。
この男は、闇種族に妻と弟を奪われた。
それでも殺さず、気絶させて持ち帰ることを選んだ。
情報を取るため。
冷静な判断だ。けれど、それだけではない気がした。
フィルが俺の横に並んだ。
「……レイン。さっきのあれ、なんだったんだ?」
「わからない」
嘘じゃなかった。
本当にわからないのだ。
なぜ闇魔法に反応したのか。
なぜ闇の力の軌道が読めたのか。
なぜ右手に闇が宿ったのか。
何一つわからない。
「わからないけど——大丈夫だ。心配するな」
「心配なんかしてねえよ。ただ気になっただけだ」
フィルが顔を背けた。
耳の先端が赤い。心配していたのだ。
* * *
ルーンヘイムに戻り、ギルドで報告を済ませた。
ヨルグはダークエルフの身柄を引き取り、顔を険しくした。
「南の森にまで偵察が入ってるのか……」
「国境だけじゃなくなってますね」
「ああ。嫌な流れだ」
ヨルグが俺をちらりと見た。
何か聞きたそうな目。けれど、何も聞かなかった。
報酬を受け取り、宿に戻った。
夕食の時間、六人で卓を囲んだが、いつもより静かだった。
森での出来事が、全員の頭に残っている。
俺の右手に宿った、あの黒い光が。
リーナが俺の顔を何度もちらちらと見ている。
声はかけてこない。俺が「なんでもない」と突き放したからだ。
後悔した。けれど、何と言えばいいのかわからなかった。
フィルは黙々と飯を食べている。
ガルドも無言。けれどいつもの無言とは空気が違う。
ベルだけが普段通りだった。
エールを飲みながら、何事もなかったかのように依頼の精算を確認している。
「……まあ、疲れたね。今日は早く寝よう」
ベルの一言で夕食はお開きになった。
宿の廊下。
部屋に戻ろうとした時、背後から声がかかった。
「レインくん」
ヴィーナだった。
淡い紫色の瞳が、穏やかだが真剣だった。
「少し、お話しませんか」
「……何のことですか」
「森でのこと。あなたの右手に起きたこと」
心臓が跳ねた。
「見てたんですか」
「学者ですから。観察は仕事です」
ヴィーナが微笑んだ。
けれど目は笑っていなかった。
「怖がらないでください。責めるつもりはありません」
廊下の窓から、月明かりが差し込んでいた。
「レインくん。あの遺跡で、あなたは光と闇の両方の色を纏いました。そして今日、闇種族の闇魔法に、あなたの身体が共鳴した」
言葉が続く。静かで、正確で、容赦がなかった。
「二つの現象は、同じ原因から来ています」
「……何が言いたいんですか」
「今日の戦闘で、私は《ルミナスシールド》を張りました。光7級の防御技。闇魔法を弾くには、あれで充分です」
ヴィーナの声が静かになった。
「けれどレインくん——あなたは、私より先に闇の弾丸の軌道を読んでいた。光魔法の知識ではなく、闇の力そのものを感じ取って」
返す言葉がなかった。
その通りだったからだ。
ヴィーナが人差し指を唇に当てた。
考え込む仕草。
「今日はここまでにしましょう。まだ仮説の段階ですから」
「……仮説って」
「レインくん。あなたは何も悪くありません。ただ——あなたの中にあるものは、いずれ隠し通せなくなります」
ヴィーナの声が柔らかくなった。
「その時が来たら、私の研究が、きっと助けになります」
それだけ言って、ヴィーナは自分の部屋に戻っていった。
扉が閉まる音。
すぐに、ペンが紙を走る音が聞こえた。
一人、廊下に立ち尽くした。
右手を見下ろす。
闇の光はもう見えない。
けれど、あの瞬間の感触が残っている。
胸の奥の疼き。
あの遺跡で感じた、あの場所を「知っている」という感覚。
全部繋がっている。
俺の中にあるものは、何だ。
部屋に戻ると、フィルが毛布に包まって寝息を立てていた。
ガルドはベッドの縁に座り、戦斧の刃を確かめている。
「……大丈夫か」
短い問いかけ。
余計なことは聞かない。ただ、大丈夫かだけ。
「……大丈夫です」
「……そうか」
ガルドがそれ以上何も言わなかった。
ベッドに横になり、目を閉じる。
暗闇の中で、月明かりが天井に模様を描いていた。
俺は……人間じゃないのか?
答えは、まだどこにもなかった。
窓の外で、夜風がかすかに啼いている。
ヴィーナの部屋の明かりだけが、消えずに灯り続けていた。
* * * ※
同じ宿の、明かりの消えない一室。
ヴィーナはノートの新しいページを開いた。
遺跡での光と闇の反応。今日の森での闇魔法への共鳴。あの少年の右手に宿った黒い光。
そして——私の《ルミナスシールド》より先に、闇の軌道を読んだあの反応速度。
羽根ペンが紙に触れた。
一行だけ、書き加える。
『確信した』
ペンを置き、紫色の瞳が窓の外を見つめた。
月が静かに光っている。
「……レインくん。あなたは、おそらく——」
言葉の続きは、唇の中に消えた。




