初めての実戦
結局、あの夜は眠れなかった。
見張り台の鐘はあの一回きりで、二度目は鳴らない。
闇種族の斥候がどうなったのかはわからないまま朝が来て、俺とリーナはそのままルーンヘイムへ向かった。
「昨日ちゃんと寝た?」
並んで歩く道の途中、リーナが横目で聞いてくる。
「まあまあ」
「嘘。目の下、くっきり出てるよ」
「お前だって大して変わらねえだろ」
「……うるさい」
リーナは小さく目を逸らした。
こいつも眠れなかったらしい。
里に斥候が近づいたかもしれないと聞いて、平気でいられるわけがない。
「ダインさん、大丈夫かな」
「里長が見張りを増やしてる。親父は腕っぷしも強いし、心配ねえよ」
「……そうだね」
リーナの声は少しだけ柔らかくなった。
安心したいんだろう。俺もだ。
だからこそ、早く強くならなきゃいけない。
* * *
ギルドに着くと、掲示板に新しい依頼が並んでいた。
『南東の森——薬草採取&魔物討伐。報酬: 銅貨20枚。推奨ランク: F』
「昨日より報酬がいいね」
「討伐もセットだからだろ。行けるか?」
「行ける。今度はあたしが先に動くから」
リーナの目に昨日とは違う光がある。
あの角兎戦で何か掴んだんだろう。
俺も、もう一度あの感覚を確かめたかった。
森に入ると、すぐに違和感があった。
空気が重い。湿った土の匂いに、何か錆びたような臭気が混じっている。
鳥の声がしない。
昨日の南の森とは明らかに雰囲気が違う。
「レイン、あれ」
リーナが茂みの先を指さした。
緑色の肌。
尖った耳。
錆びた短剣を握った小柄な人型——ゴブリン。
しかも一体じゃない。
茂みの向こうから、ぞろぞろと姿を現す。
二体。三体。四体——五体。
「五体かよ……」
「ゴブリンって群れるんだっけ」
「群れる。しかもこの数は9級向けじゃねえ」
逃げるか。
一瞬そう思ったが、背後の茂みでもう一体が枝を踏む音がした。
退路がない。
「やるしかねえ」
剣を抜く。柄を握る手のひらに、じわりと汗が滲んだ。
リーナがローブの袖を捲り上げる。
先頭のゴブリンが甲高い声を上げ、群れが一斉に動いた。
最初の一体は、正面から突っ込んできた。
《スラッシュ》
横薙ぎの刃がゴブリンの首筋を捉え、軽い手応えと一緒に吹き飛ぶ。
角兎より柔い。だが——
「右!」
リーナの声で飛び退くと、さっきまで立っていた場所を錆びた短剣が横切った。
残り四体が左右から挟み込んでくる。
「まずい——」
二体が同時に跳んだ。
「《アクアショット》!」
リーナの手から水球が飛び、左のゴブリンの顔面に直撃する。
怯んだ隙に、俺は右の一体を切り上げた。
二体目、撃破。
だが三体目がすぐに間合いに入ってくる。
短剣を振り回しながら、がむしゃらに突進してくるのが逆に読みにくい。
受け止めた。
金属同士がぶつかる耳障りな音が響き、腕が痺れる。
9級の俺じゃ、ゴブリンの膂力でもきつい。
「レイン、下がって!」
リーナが足元に水を広げた。
ゴブリンが滑り、体勢を崩す。
その隙に喉元を突く。
三体目。
息が荒い。
残り二体。
四体目と五体目が慎重に距離を取っている。
仲間が次々に倒されたのを見て、学習したらしい。
「……来ないな」
「油断しないで。あたしの魔力、あと二発が限界」
リーナの声が震えている。
それでも手は下ろさない。
ゴブリン二体が、同時に左右から来た。
片方はリーナに。
片方は俺に。
——リーナを狙わせるわけにはいかない。
何かが胸の奥で弾けた。
右のゴブリンの短剣を弾き、返す刀で斬る。
止まらない。
そのまま踏み込んで、リーナに迫る最後の一体の背中に刃を叩き込んだ。
五体目が崩れ落ちた時、森に静寂が戻った。
草と血の匂いが鼻をついた。
「……全部、倒した?」
「倒した」
膝が笑っている。
剣を持つ手が震える。
でも、二人とも無傷だ。
リーナが座り込んで、大きく息を吐いた。
「死ぬかと思った……」
「死んでねえ。お前のおかげだ」
「あんたこそ。最後の二体、なんであんな動けたの」
「……わかんねえ。体が勝手に」
嘘じゃない。
最後の二体を斬った瞬間、自分の動きが自分のものじゃないみたいだった。
頭が追いつく前に、身体だけが正解を知っている。そんな感覚。
* * *
ギルドに帰ると、受付嬢が目を丸くした。
「ゴブリン五体!? 9級ペアでですか?」
「まぐれです」
「まぐれじゃないですよ! 普通、9級だとゴブリンは二体が限界です。五体なんて……」
受付嬢が慌てて報酬を計算しながら、何度も俺たちの顔を見比べている。
報酬は追加分込みで銅貨四十枚。
昨日の三倍近い。
「すごいじゃん、レイン」
リーナが硬貨を眺めて微笑む。
疲れ切っているはずなのに、目だけはきらきらしていた。
安宿の部屋は狭く、古い木の匂いが染みついていたが、屋根があるだけでありがたい。
二人分の簡素な夕食を終え、リーナが向かいのベッドに腰掛けた。
しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ねえ、レイン」
「ん?」
「あんた、最後にゴブリン二体を倒した時——一瞬だけ、手が光らなかった?」
「……手?」
「剣を握ってる手。淡い光が走ったように見えた。あと——」
リーナが言い淀む。
「あと?」
「……目の色。一瞬だけ、変わった気がした。金色に」
金色。
俺の目は青だ。金色に変わるわけがない。
「疲れてたんだろ。お前も今日は限界だったし」
「……かもね」
リーナはそう言ったが、納得した顔ではなかった。
何かを飲み込んだような、考え込むような表情で毛布を引き上げる。
「おやすみ、レイン」
「ああ。おやすみ」
灯りを消す。
暗闇の中で、自分の手を開いたり閉じたりしてみた。
光なんか出ない。当たり前だ。
でも、あの最後の瞬間——胸の奥で何かが弾けた感覚だけは、確かにあった。
考えても仕方ない。今日は寝よう。
* * *
翌朝。
目が覚めて、なんとなくステータスウィンドウを開く。
半透明の板が浮かんだ瞬間、目を疑った。
```
——世界システムより通知——
【剣技が8級に昇格しました】
【新技能を付与: スティング】
```
「……は?」
昨日まで9級だった。
それがたった一日で——
「なに、どうしたの」
隣のベッドからリーナが目をこする。
「8級になった。剣技が」
「え?」
リーナが跳ね起きた。
「一日で? そんなことあるの?」
「わかんねえ。でもシステムがそう言ってる」
ステータスを見る。
```
名前: レイン
種族: 人間
【技能】
剣技: 8級
闘技: ---
火魔法: 9級
水魔法: 9級
風魔法: 9級
土魔法: 9級
光魔法: 9級
闇魔法: ---
【使用可能技】
スラッシュ / スティング / フレイム / アクアショット / ウィンドカッター / ロックショット / ライトボール
```
剣技だけが、一段上がっている。
頭の中に、新しい構えの感覚が流れ込んできた。
突きの形。
間合いの外から一点を貫く——《スティング》。
「やばいよそれ。登録初日に昇格って、聞いたことない」
リーナが興奮した声で言う。
俺も驚いている。
だが、同時にあの感覚を思い出していた。
ゴブリン二体を斬った瞬間の、身体が先に正解を知っている感覚。
胸の奥で弾けた、あの熱。
——何かが、目覚め始めている。
そんな気がした。




