遺跡の噂
三日が過ぎた。
闇種族の件はギルド本部の判断待ちで、国境方面の依頼は全て凍結されている。
五人パーティになったばかりだというのに、連携を試す機会がない。
フィルが宿で教本を読み込み、ガルドが宿の壊れた家具を片っ端から直し、ベルが酒場で情報を拾い、リーナが薬草の補充を終えた。
やることがなくなっていく。
四日目の朝、ギルドに顔を出すとヨルグが受付から顔を覗かせた。
「おい、暇そうだな」
「暇です」
「待ってる間に腕がなまるだろ。一つ回してやる」
ヨルグが掲示板に一枚の依頼書を貼った。
『学術調査団護衛依頼——ルーンヘイム北東の森にて未知の遺跡を発見。調査のための護衛を求む。報酬: 銀貨八枚。推奨ランク: D以上』
「国境と反対方向だ。問題ないだろう」
「遺跡?」
フィルが目を輝かせた。
「魔法の遺跡かもしれないぞ! 行こう!」
「落ち着けよ」
「護衛依頼は楽でいいね。戦闘より頭を使うタイプの仕事だ」
ベルが依頼書を読みながら言った。
ガルドは何も言わない。
俺を見て、小さく頷いただけだ。
「受けます」
受付で手続きを済ませ、指定された集合場所——北東の森の入口に向かった。
* * *
森の入口に、三人の調査団員が待っていた。
中年の男性学者が二人と——もう一人。
長い銀白色の髪を左肩に垂らしたエルフの女性。
淡い紫色の瞳。落ち着いた色のローブ。腰に短杖。
手には古い革表紙のノートと羽根ペンを携えている。
知的で、静かで、美しい。
だが、苔むした石を見つけた瞬間に目を輝かせてしゃがみ込む様子は、どこか浮世離れしていた。
「ふむ、この苔の生え方は興味深いですね……ちょっと待ってください、メモを……」
「ヴィーナ先生、まだ調査地に着いてませんが」
中年の学者が苦笑した。
「あ、そうでしたね。失礼」
エルフの女性——ヴィーナと呼ばれた人が立ち上がった。
俺たちに気づき、にこりと微笑む。
「あなたたちが護衛の冒険者さんですね? よろしくお願いしますわ」
「よろしくお願いします。レインです」
「ヴィーナです。古代文献の研究をしています」
丁寧な物腰だ。
年齢は見た目だとリーナより少し上に見えるが、エルフの年齢は外見ではわからない。
フィルが前に出た。
「僕はフィル! シルヴァナール出身のエルフだ!」
同族だと知って嬉しいのだろう。銀髪が跳ねるくらいの勢いで自己紹介した。
ヴィーナがフィルを見下ろした。
「あら、坊や。邪魔しないでね」
にっこり笑って言い放った。
フィルが石になった。
「ぼ……坊や……?」
「シルヴァナールの見習いさんでしょう? 里のことは後で聞きますね。今は調査が優先ですから」
ヴィーナはもうフィルを見ていなかった。
ノートに何か書き始めている。
「……なんだよあの人。僕はちゃんと自己紹介したのに」
「学者ってああいうもんさ。研究以外に興味がないんだよ」
ベルが小声でフィルを宥めた。
リーナがフィルの肩を叩く。
「気にしないの。悪い人じゃなさそうだよ」
* * *
森を進むこと半日。
木々が深くなり、地面が苔に覆われ始めた。
空気が湿っている。土と緑の匂いが濃い。
「この先です」
調査団の男性学者が指差した。
木々の間に、石造りの構造物が見えた。
蔦と苔に覆われた入口。
崩れかけた石柱。
そして——石柱に刻まれた、見たことのない文字。
「おお……」
ヴィーナの目が変わった。
淡い紫色の瞳が、炎のように輝いている。
走り出した。
「ヴィーナ先生、危険ですから先に——」
「素晴らしい……! これは古代語です。500年以上前の——!」
聞いていない。
石柱に手を当て、指で文字をなぞりながら、ノートに猛烈な速度で書き写している。
中年の学者が苦笑しながら、俺に耳打ちした。
「実はこの遺跡、先月も別の調査団が来ているんです。ですが入口から先に進めなかった」
「進めなかった?」
「入口に近づくと、身体が押し返されるんです。まるで見えない壁があるように。ヴィーナ先生も一度目は弾かれました」
ヴィーナが振り返った。
石柱の文字を書き写しながらも、会話は聞いていたらしい。
「ええ。光の力を持つ者が近づくと、拒絶反応が起きるのです。おそらく遺跡自体が防衛機構を持っている」
「じゃあ今回も入れないんじゃ——」
「それを確かめに来たのです。条件が違えば結果も変わるかもしれませんから」
ヴィーナの紫色の瞳が、一瞬だけ俺を見た。
すぐに逸らされたが、意味ありげだった。
ベルが先行して入口の罠を確認した。
「罠はなし。ただ——」
ベルが入口に一歩踏み出した途端、身体が弾かれた。
小柄な体が後ろに押し戻される。
「っ……なんだこりゃ。見えない壁だ」
フィルが試した。
同じだった。一歩踏み入れた瞬間、力が全身を押し返す。
「やっぱり駄目か……」
調査団の学者が肩を落とした。
俺は、何も感じなかった。
入口に近づいても、押し返される感覚がない。
むしろ——引かれている。
胸の奥が微かに温かい。
遺跡が、俺を招いているような感覚。
一歩、踏み入れた。
何も起きなかった。
振り返ると、全員が固まっていた。
「……入れた?」
リーナが目を丸くしている。
「なんで坊やだけ——」
ベルの琥珀色の目が鋭くなった。
ヴィーナが息を呑んだ。
けれどすぐにノートを開き、猛烈な速度で何かを書き始めた。
「レインくん、もう少し奥に入ってみてもらえますか」
俺が二歩、三歩と進むと——入口の空気が変わった。
見えない壁が、薄らいでいく。
「……今なら入れそうだね」
ベルが恐る恐る足を踏み入れた。
今度は弾かれなかった。
フィルが続き、リーナが続き、ガルドが最後に入った。
調査団の二人も。
ヴィーナだけが、入口で立ち止まっていた。
ノートに書き込みながら、俺を見ている。
「……レインくんが中にいる間だけ、拒絶が解除される。ふむ……」
その呟きに答える余裕はなかった。
遺跡の中が、俺を呼んでいた。
石造りの通路は、思ったよりも保存状態が良かった。
壁に埋め込まれた石がぼんやりと光っている。
翡翠の洞窟とは違う、白く柔らかい光だ。
空気が清浄だった。
瘴気の匂いもなければ、カビや腐敗の臭いもない。
500年以上前の遺跡とは思えないほど、清潔だ。
「ふむ……」
ヴィーナが人差し指を唇に当てた。
「この光は魔力で駆動していますね。500年間、途切れることなく。……とんでもない技術ですわ」
通路を進むたびに、壁の文字が増えていく。
不思議なことがあった。
俺が近づくと、壁に刻まれた文字がほんのりと光を帯びる。
離れると消える。
「……レインくん、もう一度そこを通ってもらえますか」
ヴィーナの声が震えていた。
学者としての興奮を抑えきれていない。
俺が壁に手を触れると、文字が鮮やかに浮かび上がった。
ヴィーナが一つ一つ読み上げる。
「『ここは記憶の間。光と闇の調和を求めし者よ、進め』——」
俺の胸の奥が、微かに疼いた。
あの感覚だ。
瘴気に触れた時のざわつきとは違う。もっと穏やかで、けれど確かに何かが反応している。
「この碑文、前回の調査では読めなかったはずです。光種族には判読不能な文字として映る——はずなのに」
ヴィーナが俺を見た。
紫色の瞳の奥に、仮説が組み上がっていくのが見えた。
足を止めなかった。
先に進む。
通路の奥が広がった。
大きな部屋。
天井が高い。
壁一面に——巨大な壁画が描かれていた。
全員の足が止まった。
壁画は色鮮やかだった。
500年の時を経ているとは思えないほど、鮮明な色彩。
左半分に、光に包まれた人々。
右半分に、闇をまとった人々。
二つの集団が——手を取り合っている。
「光種族と闇種族が……手を?」
リーナが息を呑んだ。
「今の世界じゃ考えられない……」
そして壁画の中央に、一人の人物が描かれていた。
光と闇の両方の色をまとっている。
白い輝きと黒い闇が渦を巻き、その人物を包んでいる。
ヴィーナが息を飲んだ。
ノートを持つ手が、微かに震えている。
淡い紫色の瞳が、壁画の中央を凝視していた。
「……古代種族」
声が掠れていた。
「伝説の……」
ヴィーナが振り返り、俺たちを見た。
いや——俺を見ていた。
俺だけを。
その瞳に、学者としての好奇心と、それとは別の何かが混じっている。
確信のような、畏怖のような。
胸の奥の疼きが、少しだけ強くなった。




