義理堅きドワーフ
翌朝、集落の復旧を手伝った。
崩れた石壁を積み直し、焼けた木材を撤去する。
避難していた住人たちが戻り始めていた。
老人や子供が多い。若い者は少ない。
ガルドは左肩に包帯を巻いたまま、黙々と石を運んでいた。
「ガルドさん、怪我してるんだから休んでください」
リーナが言ったが、ガルドは聞こえないかのように石を持ち上げた。
「……この集落は俺の家だ。俺が直す」
それだけ言って、作業を続ける。
言葉は少ないが、運ぶ石の量は俺たちの三倍あった。
杖をついた老人が近づいてきた。
住人たちの中で一番の年かさに見える。背は曲がっているが、目だけは鋭い。
老人がガルドの背に声をかけた。
「ガルド。またお前が守ったのか」
「……ああ」
「何度目だい」
ガルドは答えなかった。
老人も、それ以上は聞かなかった。
何度目か数えるのをやめるほど、この男はこの集落を守ってきたのだ。
フィルがガルドの横を通り過ぎる時、首を思い切り上に傾けた。
「おっさんでかいな」
ガルドが無言でフィルの頭を掴んだ。
「いでで! 離せ!」
「……小僧。おっさんはやめろ」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ!」
「ガルドでいい」
手を離した。
フィルが頭をさすりながら離れていく。
ベルが横で笑いを噛み殺していた。
「いいコンビだね、あの二人」
「コンビじゃない!」
フィルの抗議が響いたが、誰も聞いていなかった。
俺はガルドと並んで崩れた壁の石を運んだ。
石は重い。一つ持ち上げるたびに腕が軋む。
けれどガルドは、同じ石を片手で掴んで積み上げていく。
桁違いの腕力だ。
しばらく無言で作業を続けた。
不思議と、気まずさはなかった。
汗と土の匂い。石を積む音。ガルドの規則正しい呼吸。
「……お前、力仕事は慣れてるな」
不意に、ガルドが言った。
「里で育ちました。薪割りとか、畑仕事とか」
「……そうか」
それだけだった。
けれど、その後の石の渡し方が少しだけ変わった。
俺が持ちやすい角度で差し出してくる。
言葉にしない気遣いが、この男のやり方なのだろう。
* * *
昼過ぎ、ガルドが鍛冶場の焼け跡を片づけ始めた。
屋根は潰れていたが、炉と金床は無事だった。
ガルドが炉に火を入れると、赤い炎がゆらりと立ち上がった。
「……よし。まだ使える」
ガルドの声に、初めて安堵の色が混じった。
この男にとって、鍛冶場は家よりも大切な場所なのだろう。
炉の火を確かめた後、ガルドが俺の方を向いた。
「……剣を見せろ」
「え?」
「お前の剣だ。さっきの戦いで見た。いい腕だが、剣が追いついてない」
言われて剣を抜いた。
ダークドワーフとの戦闘で刃こぼれが増えている。研ぎ直したばかりの安物の剣は、限界が近かった。
ガルドが剣を受け取り、刃を指で撫でた。
火傷だらけの太い指が、意外なほど繊細に刃の状態を確かめていく。
「……悪くない鋼だ。だがお前の力に追いついてない」
「直せますか」
「直すんじゃない。鍛え直す」
ガルドが炉の前に座った。
剣を炎に差し入れ、鉄が赤く染まるのを待つ。
その間、ガルドの目は炉の中の炎だけを見ていた。
鍛冶をしている時だけ、この男の空気が変わる。
寡黙なのは同じだが、纏う気配が柔らかくなった。
かすかに——鼻歌が聞こえた。
低く、静かな旋律。
ドワーフの歌だろうか。炉の火が揺れるたびに、旋律も揺れる。
「あのおっさん、鼻歌歌ってる……」
フィルが小声で囁いた。
「見つかったら怒られるぞ。黙って見てろ」
ガルドが剣を炉から引き抜き、金床の上に置いた。
ハンマーが振り下ろされる。
甲高い金属音が、崩れた集落に響いた。
一撃。二撃。三撃。
正確な間隔で、同じ力で、同じ場所を打つ。
無駄が一切ない。
見ているだけで、この男が一流の鍛冶師だとわかった。
ベルが腕を組んで見物していた。
「いい腕だね。これでソロの鍛冶師だってんだから、世の中広いよ」
ベルがガルドの横に歩み寄り、何か話しかけていた。
声は聞こえなかったが、しばらくしてベルが戻ってきた。
「鍛冶台に名前が刻んであった」
ベルの声が低い。
「……名前?」
「イーラ。女の名前だ。訊いてみたら——」
ベルが言葉を切った。
琥珀色の目が、鍛冶場の炎を映している。
「——妻だってさ。闇にやられた、とだけ」
誰も何も言えなかった。
鍛冶場に響くハンマーの音。
あの鼻歌は——誰のための旋律だったのか。
ガルドの手が止まることはなかった。
ハンマーを振り続ける。正確に。静かに。
この男は、亡き妻の名が刻まれた鍛冶台で、毎日ハンマーを振っていたのだ。
何年も。一人で。
リーナが俺の隣で、小さく息を呑んだ。
ガルドが炉の火を見つめた。
赤い炎が、鉄灰色の瞳を染めている。
「……この炉は親父が作った。親父から俺が継いだ」
ぽつりと。
誰に聞かせるでもなく。
「俺の後は——」
言葉が途切れた。
炎が揺れる音だけが、鍛冶場に満ちている。
継ぐ者はいない。
家族を闇に奪われたこの男には、もう。
「……まあ、鉄は待ってくれん」
ガルドが剣を炉に差し戻した。
それ以上は何も語らなかった。
* * *
日が傾く頃、ガルドが剣を差し出した。
「……できた」
受け取った。
軽い。
いや、重さは変わっていないはずだ。けれど手に馴染む感覚が段違いに良くなっている。
刃は鏡のように光り、刃こぼれの跡は完全に消えていた。
試しに素振りをした。
風を切る音が、以前より鋭い。
「すごい……全然違う」
「大したことはしてない。焼き入れを直して、刃の角度を少し変えただけだ」
大したことじゃないわけがない。
同じ剣とは思えないほど、切れ味と扱いやすさが変わっている。
「ありがとうございます、ガルドさん」
「……礼はいらん」
* * *
夕暮れ。
リーナが集落の住人から分けてもらった食材で夕食を作っている間、俺とガルドは崩れた壁の上に座っていた。
眼下に、焼け跡が広がっている。
夕陽がすべてを赤く染め、崩れた石壁の影が長く伸びていた。
「ガルドさん」
「……なんだ」
「昨日の戦い、助かりました。一人で三体を相手に——すごかった」
ガルドは答えなかった。
しばらくして、低い声が返ってきた。
「お前もだ」
「俺?」
「……あの時、お前は仲間が危ねえと見たら、身体が先に動いてた。考える前に」
フィルを庇った時のことだろうか。
それとも、ダークドワーフの追撃からリーナを守った時か。
「それが……なんです?」
ガルドの鉄灰色の目が、焼け跡を見つめていた。
夕陽に照らされて、いつもより少しだけ柔らかい。
「……俺の弟も、そういう奴だった」
声が低くなった。
聞き逃しそうなほど小さく——けれど確かに、重い言葉だった。
「弟……」
「馬鹿な奴だった。俺より弱えのに、いつも前に出た」
それ以上は語らなかった。
語る必要もなかった。
弟もまた——闇に奪われたのだ。
妻と同じように。
風が焼け跡を渡った。
煙の匂いはもう薄い。焦げた木と石の匂いだけが残っている。
「……俺は、守りたい人がいるから冒険者になりました」
自然と、口が動いていた。
「まだ全然弱いけど——いつか、仲間を守れるだけの力が欲しいんです」
長い沈黙が落ちた。
ガルドが顎髭を撫でた。
鉄灰色の目が、俺をじっと見ている。
「……いい理由だ」
それだけだった。
たった一言。
けれどその一言が、どこまでも重かった。
* * *
夜。
五人で焚き火を囲んだ。
リーナの作った根菜の煮込みを食べ、フィルが二杯目を要求し、ベルが星を見上げて酒を飲んでいる。
ガルドは黙って食べていた。
量は多い。鍋の四分の一はこの男の胃に消えた。
「ガルドさん、すごい食べますね」
「……鍛冶をすると腹が減る」
「お代わりありますよ。遠慮しないで」
リーナが鍋を差し出すと、ガルドが一瞬だけ手を止めた。
「……すまん」
小さな声だった。
礼を言い慣れていないのだろう。ぎこちなくて、けれど確かな感謝だった。
フィルが焚き火の向こうで欠伸をしている。
ベルがドライフルーツを齧りながら、夜の山を見ていた。
静かな夜だ。
昨夜の戦いが嘘のように。
ふと——ガルドの視線が、鍛冶場の方を向いていることに気づいた。
焼けた屋根。煤だらけの壁。
月明かりに照らされた鍛冶場は、昼とは違う影を落としている。
ガルドの鉄灰色の目に、何かが揺れていた。
決断しかけている男の顔だと、思った。
けれど俺には何も言えなかった。
この男が何を選ぶかは、この男自身が決めることだ。
焚き火が爆ぜた。
火の粉が夜空に舞い上がり、星に混じって消えていく。
明日——きっと、何かが変わる。
そんな予感だけが、胸の奥にあった。




