捨て子の少年は冒険者を夢見る
「捨て子」という言葉を最後にぶつけられたのは、三日前だ。
それでも俺が今日を待ち望んでいたことは、変わらない。
十六歳。
冒険者登録ができる歳になった。
里の外れにある小さな家で目を開けると、焼きたてのパンの匂いがした。
台所には、育ての親ダインがいる。
白髪混じりの髪を雑に撫でつけた、でかい背中。
血は繋がっていないが、俺にとっては父親だ。
卓には、いつもより大きいパンと干し肉のスープが並んでいた。
「量、多くねえか」
「旅立ちの日に腹ァ空かせてどうする」
「半日歩くだけだぞ」
「半日歩くんだ。食え」
ぶっきらぼうな声のくせに、こういう日のダインは妙にそわそわしている。
俺もなんとなく落ち着かなくて、熱いスープを一気に飲んだ。
「なあ、レイン」
珍しく、ダインの方から口を開く。
「お前を拾った日も、こんな朝だった」
手が止まった。
「拾った日?」
「十六年前の嵐の翌朝だ。畑の外れに、妙な光が落ちた跡があった。白いような、黒いような、見たこともねえ光だ」
ダインは窓の外の麦畑を見たまま続ける。
「その真ん中に、お前がいた。布にくるまれて、泣きもせずにな」
胸の奥がざわついた。
「……初めて聞いた」
「今まで話す必要がなかった」
それ以上は話さないらしい。
ダインはマグを掴み、ぬるくなった茶を飲み干した。
何かを隠している気はした。
けど、今日は過去を掘る日じゃない。
食器を片付け、革鎧を締める。
腰には、ダインから譲られた安物の剣。
安物のくせに、刃だけはいつもよく研がれていた。
戸を開ける前、背中に声が飛ぶ。
「レイン」
「ん?」
「強くなれ。……死ぬな」
振り返らずに笑う。
「当たり前だろ」
戸を開けると、朝の風と一緒に怒鳴り声が飛び込んできた。
「遅い! あと十秒遅かったら蹴り込んでた!」
家の前に立っていたのは、幼馴染のリーナだ。
明るい栗色の髪を一つに結び、旅用のローブを羽織っている。
華奢に見えるのに姿勢がまっすぐで、怒ると眉間にきっちり皺が寄る。
そのくせ、俺が捨て子だって理由で周りが一歩引いていた頃から、こいつだけはずっと隣にいた。
今も怒った顔のまま、俺の肩紐が緩んでないかを先に見ている。
「十秒って短すぎるだろ」
「あんたがぐずぐずしてるのが悪いの」
「飯食ってただけだ」
「冒険者登録の初日に遅刻とか、最高にださいでしょ」
言いながら、リーナは家の中に顔を向けた。
「ダインさん、行ってきます!」
「おう。レインを頼む」
「任せて」
「勝手に頼むな!」
ダインの低い笑い声が背中で鳴った。
里を出る道は、見慣れた畑と低い柵ばかりだ。
すれ違う顔見知りの中には祝ってくれる者もいたが、目を逸らす者もいる。
俺が捨て子だということを、この里の人間はみんな知っている。
露骨に嫌われたことは少ない。
けれど、家族の輪の少し外に立たされる感じは、ずっと消えなかった。
そんな時でも、リーナだけは当たり前みたいに俺の隣へ来た。
だから冒険者になる。
里が決めた場所じゃなく、自分の力で居場所を作るために。
「また難しい顔」
隣を歩くリーナが覗き込んでくる。
左耳で、小さな銀のピアスが朝日に光った。
「してねえよ」
「してる。あんた、自分だけで何とかしようとする時、すぐ分かるんだから」
「……別に」
「別に、じゃない」
リーナは少しだけ唇を噛んで、それからわざと強い口調を作った。
「今日は一人で抱えない。無茶しない。これ、約束」
「初日から危ない依頼なんか受けねえよ」
「そういう話じゃないの」
そこで一度言葉を切る。
それから、ほんの少しだけ声を落とした。
「あんたが平気なふりしてる時が、一番やばいんだから」
思わず笑うと、リーナはむっとした顔で俺の腕を小突いた。
「笑いごとじゃない!」
でも、その怒鳴り声のせいで胸の奥の棘が少しだけ軽くなる。
こいつが隣にいると、ちゃんと前を向ける。
ルーンヘイムの街門が見えた時、俺は思わず足を止めた。
高い石壁。
荷車の列。
武装した冒険者たち。
里とは空気の速さが違う。
「田舎者みたいに突っ立たない」
「みたいじゃなくて田舎者だろ」
「じゃあ胸くらい張りなさい」
リーナが俺の袖を軽く引く。
置いていくんじゃなく、一緒に入るための力だった。
冒険者ギルド・ルーンヘイム支部は、街の中央広場に面した大きな建物だった。
扉を開けた途端、革と汗と安酒が混ざった匂いが押し寄せる。
朝から騒がしく、新人の列の向こうでは酒臭い男たちが笑っている。
「新規登録ですね。こちらへどうぞ」
受付にいたのは、俺たちとそう歳の変わらない若い受付嬢だった。
胸元のギルド章もまだ新しく、緊張した笑顔からして新米なのかもしれない。
紙に名前と出身を書き、水晶板に手を触れる。
「世界システムに冒険者認定を申請します。では、そちらの方からどうぞ」
受付嬢がリーナに水晶板を示した。
リーナが手を置くと、淡い光と共にウィンドウが浮かぶ。
```
名前: リーナ
種族: 人間
【技能】
剣技: ---
闘技: ---
火魔法: ---
水魔法: 9級
風魔法: ---
土魔法: ---
光魔法: ---
闇魔法: ---
【使用可能技】
アクアショット
```
「水魔法に適性ありですね。回復も補助も向いている万能属性です。いい冒険者になれますよ」
「よし」
リーナが小さく拳を握る。
一つだけを真っすぐ伸ばしてる感じが、妙にこいつらしい。
「次、お願いします」
俺が水晶板に手を触れると、同じように光が走った。
```
名前: レイン
種族: 人間
【技能】
剣技: 9級
闘技: ---
火魔法: 9級
水魔法: 9級
風魔法: 9級
土魔法: 9級
光魔法: 9級
闇魔法: ---
【使用可能技】
スラッシュ / フレイム / アクアショット / ウィンドカッター / ロックショット / ライトボール
```
受付嬢の手が止まった。
「火、水、風、土、光……魔法の全属性に適性が出ています。これは——かなり珍しいですね」
さっきリーナの時は水魔法一つで「いい冒険者になれる」と言っていた。
普通は一つか二つ。
それが五つ。
受付嬢が目を見開いたまま続ける。
「あ、闇魔法の『---』は気にしないでくださいね。光種族はみんなそうですから。闇魔法は闇種族にしか使えないので」
そんなことは里の子供でも知っている。
だが受付嬢は丁寧に説明してくれているだけだ。黙って頷いた。
後ろがざわついた。
「全属性?」
「すげえな」
「……でも全部9級かよ」
最後の一言で、空気がひっくり返る。
振り向くと、革鎧の新人らしい男が鼻で笑っていた。
その隣の赤毛の少女も、面白そうに俺を見る。
たぶん同じ登録組だ。
でも、わざわざ覚えるほどの相手でもない。
「珍しくても最低級じゃ意味ねえだろ。俺なんか剣技8級だぞ」
「あたしは火魔法8級。そっちは器用貧乏ってやつ?」
全部あるが、全部低い。
そう言われると、ぐうの音も出ない。
その時、横からリーナが一歩出た。
「登録初日に自慢とか、ずいぶん暇なんだね」
「は?」
「級が一つ上なだけで偉そうにしてる時点で、小物って感じ」
「お、おいリーナ」
「何よ。ムカついたんだけど」
リーナの指先は、ローブの袖を強く掴んでいた。
俺が平気な顔をした時ほど、こいつは勝手に怒る。
受付嬢が慌てて割って入った。
「け、喧嘩は禁止です! 適性が多いのは本当に珍しいんですよ」
俺はもう一度ウィンドウを見る。
剣技も魔法も、見事なくらい駆け出しの数字だ。
闘技の欄は沈黙したまま。
そのくせ、属性だけはやたら多い。
その下の、闇魔法の三本線だけが妙に目に残った。
当たり前の表示だ。人間なんだから、闇魔法が使えないのは当然。
なのに——なぜか、その三本線から目が離せなかった。
最初に受けた依頼は、南の森で薬草採取。
ついでに弱い魔物が出たら討伐していいという、駆け出し向けの仕事だ。
「文句ないでしょ」
「あるわけねえよ。初日から死にたくねえし」
「そこは『確実に稼ぐ』って言いなさいよ」
南の森に入ると、湿った土と青葉の匂いが鼻を突いた。
木漏れ日が多く、薬草も見つけやすい。
しゃがみ込んだリーナが、籠の中身を見せる。
「これで半分。あんた、ちゃんと見分けられてる?」
「五回は聞いた」
「じゃあ六回目も聞いとく?」
「聞くな」
その時、茂みの奥でがさりと音がした。
飛び出してきたのは、灰色の毛を逆立てた角兎だった。
小さいくせに突進が速い、初心者殺しの魔物。
「レイン!」
「分かってる!」
角兎が地面を蹴る。
速い。
だが、見えないほどじゃない。
半歩ずれて突進をかわし、横腹へ剣を振る。
浅い。
毛皮を掠めた手応えが柄を通じて手のひらに伝わった。
角兎はすぐに体勢を立て直す。
舌打ちした瞬間、背後からリーナの声が飛んだ。
「足、止める!」
リーナの手のひらに水の光が凝縮し、弾けた。
《アクアショット》
拳大の水球が角兎の足元に叩きつけられ、地面に水膜が広がる。
角兎の着地が滑った。
その一瞬で十分だった。
体が勝手に動く。
剣を横に構え、腰を落とす。
知っている。この構えを——俺の身体は知っている。
《スラッシュ》
刃が弧を描き、角兎の首筋を捉えた。
今度は重い手応え。短い悲鳴と一緒に、魔物が崩れ落ちる。
「……勝った」
初めて、自分の剣で魔物を倒した。
喉が熱くなる。
さっきの構え——世界システムが教えてくれた技だ。頭で考えるより先に、身体が動いた。
「あっぶな。初手で突っ込みすぎ」
「でも止めた」
「あたしが止めたの」
「……助かった」
そう言うと、リーナは得意そうに鼻を鳴らした。
「最初からそう言えばいいのよ」
その後も二体の角兎を仕留め、薬草も規定量集めきった。
リーナが止めて、俺が斬る。
単純だけど、妙にしっくりくる。
ギルドへ戻ると、受付嬢が依頼達成票に印を押した。
「薬草採取達成。角兎三体の追加報酬込みで、銅貨十五枚です」
革袋に落ちた硬貨が、からからと乾いた音を立てた。
「これ、俺たちが稼いだんだよな」
「他に誰がいるのよ」
リーナが笑う。
「冒険者、始まったね」
その一言で、胸の奥が熱くなった。
ああ、始まったんだ。
ここから、自分の足で進める。
帰り道、空が茜色に染まっていた。
風がぬるく、汗ばんだ肌を撫でていく。
「ねえ、レイン」
「ん?」
「今日のあんた、思ったより動けた」
「失礼だな」
「そうじゃなくて。初戦って、もっと足がすくむものでしょ」
俺も少し驚いていた。
親父にしごかれてきたからだ、と言えばそれまでだ。
けれど、あの動きは妙に身体に馴染みすぎている。
「親父に毎朝しごかれてたからな」
そう答えると、リーナは納得したような、していないような顔で俺を見た。
里の入口が見えた時、俺たちは同時に足を止めた。
広場に人が集まり、里長を囲んだ大人たちが険しい顔で話している。
笑い声はない。
空気が張りつめていた。
「何かあったの?」
リーナが近くの女の人に駆け寄る。
返ってきた声は小さかった。
「……境界付近で、闇種族の斥候らしき影が出たそうよ」
闇種族。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがざわりと波打った。
怖いんじゃない。
もっと気味が悪い。
身体の内側を知らない誰かに触られたみたいな感覚だった。
息が詰まる。
心臓が一拍だけ遅れる。
「レイン?」
振り向くと、リーナが青い顔で俺を見ていた。
指先が、いつの間にか俺の袖を掴んでいる。
自分でも分かるくらい、俺の顔色が悪いんだろう。
「大丈夫?」
「……平気だ」
嘘だった。
それでもリーナは、すぐには手を離さなかった。
里長が広場の中央で声を張る。
「今夜から見張りを増やす! 若い者は単独で外に出るな!」
ざわめきが広がる。
空気が急に冷えた気がした。
その夜、布団に入っても眠れなかった。
なんとなく、ステータスウィンドウを開く。
名前、種族、人間。
剣技9級。
火、水、風、土、光、全部9級。
そして最後の一行。
闇魔法: ---
変わっていない。
それなのに、昼よりずっとその三本線が気になった。
闇種族。
闇魔法。
関係あるわけがない。
そう言い聞かせた、その時だった。
闇魔法の三本線が、一瞬だけ滲んだ気がした。
「……は?」
外で、見張り台の鐘が一度だけ鳴る。
短く、鋭く。
胸の奥のざわつきが、今度は熱に変わった。
何かが始まる。
暗い天井を見上げたまま、俺はそれを確信していた。




