4・アメリカ混乱
1943(昭和17)年はアメリカに大きな混乱が巻き起こった。
2月にサンディエゴが攻撃された事をきっかけとした戒厳令と日本軍上陸という流言によって、西海岸は尽くが混乱の坩堝へと突き落とされる。
真冬であったため、着の身着のままロッキー山脈へと逃れようとした人々は物資もなく凍死や飢餓に苦しみ、東から向かう軍へと救援を求める人々の中には混乱から襲い掛かる者が現れ、銃撃戦に発展すらした。
また、シアトルなど直接日本軍の攻撃を受けなかった地域ですら、火事を日本軍による攻撃と錯覚して騒乱が巻き起ったりもした。
こうした事から先ずは州兵が出動したが、これが事態をさらに混乱へと突き落とす。
住民の中には州兵と日本軍の見分けすらつかない混乱した者たちも居たので、銃撃戦に発展する事件が各地で起こり、中にはミリシアを組織して村や町を半ば独立状態とする所すら現れたほどであった。
そんな西海岸の混乱から目を逸らすため、米国では盛んに順調な北アフリカでの作戦が宣伝されたが、この事が東西対立を生み出す事へと繋がってしまう。
西海岸の混乱は8月には概ね収まるのだが、それまでの半年近い混乱による凍死、飢餓、誤射、騒乱によって数十万人が犠牲になったとも云われている。
その間、東部や五大湖周辺では北アフリカ戦線の戦勝報道が盛んに報じられていたのだから、西部の人々にとっては良い印象など無い。
政府や軍が助けなかった訳では無い。助ける努力はしたし、実際に多数が助けられている。
しかし、全てを助けられた訳では無い。
この混乱は現在にまで陰を落としており、この混乱以後、ロッキー山脈西側では一度も民主党議員、大統領への得票が優越した事がない。
それどころか、第三の政党が躍進する場所へと変貌したのも、この事件がきっかけとなっている。
西海岸の混乱によって、日本は難なくフィリピンを陥落させたが、それ以上何もしなかった。
日本にとって、太平洋から米軍さえ居なくなればあとはどうでも良く、関心は渦の向こうに広がる新天地や他国に頼らずエネルギーを得られる魔導へ向けられていたのだから。
それは陸軍の作戦に如実に現れ、彼らは対ソ防衛を本命とし、もはや南方作戦は放棄し、南方へ向けるはずであった兵力を、新天地の領土確定に振り向けていたほどである。
海軍はというと、サンディエゴ攻撃が成功し、しばらく米艦隊が太平洋へ現れないことで目的を失っていた。
そもそも対米戦争など、いつの間にやら魔導機関換装の方便と化し、主力艦の換装が現実となったことで、理由すら喪失していたのである。
何より、陸軍が南方へ出ないと言うのでは、海軍だけ艦隊を駆けずり回した所で戦争にならない。
動きたくても身動きが取れなかったのも事実であった。
こうした日本の消極姿勢がアメリカの疑心暗鬼を拡げ、国内での政争に力を傾ける余裕を与える事にも繋がっていた。
アメリカ政府は日独伊を敵と名指しし、三国の消滅まで戦争を続ける意思を固めていたが、国内情勢はそれを許さなかった。
何より対日戦争を続けるという事は、さらなる西海岸の混乱を発生しかねないが、西海岸の人々はそれを望んではいなかった。
これから秋を迎え、次の冬も寒さに凍えながら隣人を警戒しながら過ごすなど御免だった。
もし、本当に日本軍がやってきていたなら、感情論からの厭戦機運は生じなかったかも知れない。
しかし、彼らは内乱による被害しか受けていなかったのである。
敵は西からやってくるのではなく、東海岸に居る。そう認識するほどに不信感が渦巻いていた。
そんな最中に拡がった噂が、自作自演による開戦疑惑であった。
翌年に大統領選を控えた大統領は盛んに火消しを行うが、西海岸の人々は事の真偽よりも、東海岸への不信感から、その噂を信じる様になった。
それは日本がまるで攻撃して来ない事でより信憑性を増し、噂は東へとジワリと拡がりを見せていく。
盛んに日本の非道性を訴えるプロパガンダが展開されたが、それで噂を打ち消す事は出来なかった。
この頃、アメリカは地中海での作戦が順調に推移していたので、海軍の太平洋展開を画策した。
日本に対して勝利すれば噂を払拭出来ると考えたのである。
こうして1943(昭和18)年11月、パナマから太平洋へと、新たな艦隊が姿を現す。
この頃、あまりの混乱からサンディエゴ攻撃は過小評価され、攻撃の被害はあまりなく、実は潜水艦搭載機による爆撃に過剰反応した事で被害が拡大したとする調査報告すら行われていた。
もちろん、事実とはあまりにも隔絶した虚偽であったが、それほどまでに混乱と身内への不信感が高まっていたのだった。
新たに太平洋へと進出した艦隊は、当然の様にサンディエゴを目指した。
11月21日朝、サンディエゴ沖に到着した戦艦ワシントンに艦橋を超える高さの水柱が立ち昇り、さらにサウスダコタにも立て続けに水柱が立ち上がる。
サウスダコタは艦中央部に直撃した魚雷の爆発によって缶室が破壊され、水蒸気爆発を起こして瞬く間に沈み、ワシントンは一番砲塔付近に被雷し、艦首をもぎ取られてしましった。
その大きな爆発音はあたりに響き渡り、街が目覚め、皆が海へ視線を向けた頃、ワシントンへとさらなる攻撃があり、その沈む様の目撃者となった。
大きな軍艦がみるみる沈む姿は衝撃であり、海軍も隠しようがなく、戦艦沈没のニュースが全米を駆け巡る事になる。
これではもはや大統領選どころではない。
海軍は敵潜水艦を撃沈したと発表したが、信じる者などいなかった。
なにせ、沈没から一時間以上救助もせず、当たり一面に爆雷を投じ続けた醜態の何処に、戦果など信じる要素があるだろうか。
この攻撃を行ったのは、伊68であった。
機関を魔導タービンへと換装し、水中でも機関を動かし続ける事が出来ただけでなく、魔導探信儀を備え、アメリカ側に一切感知されずに攻撃を行っていたのである。
魔導探信儀は大気中や海水中の魔素を共鳴させる事で周囲を探る装置である。魔法使いに対してはライトを照らし、大声で誰何する様な行為であるが、地球においては誰もそれを知覚するすべを持っていないため、どれほど大出力で使おうと、まったく問題が起きなかったのである。
そんな、アメリカ軍からすれば常識外の方法で位置を知られ、成す術なく戦艦2隻が沈められてしまった。
これで恐慌状態にならない方がどうかしている。
大統領はこの事態を受けても対日戦争の継続を訴え続けたが、西海岸の混乱で支持は低落し、さらに戦艦2隻が市民の目の前で沈む衝撃的な光景を見せられてなお、一体誰が支持するであろうか。
それでも東海岸での支持は未だ盤石なものがあった。
だが、年を越した頃、西海岸の混乱によって航路が半ば閉ざされ孤立状態に近かったハワイやアラスカが音を上げた。
「このまま戦争が続けば明日の食料すらなくなる」
大統領はその悲鳴を一度退けてしまった。
彼からすれば、もうすぐ大艦隊を太平洋へと進出させられるという確たる自信があった。
確かにそれは事実なのだが、もはや大統領も海軍も信頼を失っていた。
西海岸では、「どうせまた沈められてしまう」という悲観論者に溢れている状態だった。
そうした空気を察した共和党は、これまで控えていたメアリーアン事件を議会の場で問う挙に出たのである。
こうして1944(昭和19)年3月12日、アメリカ初の大統領弾劾決議が成立する事になった。




