3・アメリカ宣戦布告
日本は1941(昭和16)年12月、海外から見ればまったく動きを見せなくなった。
それもそのはず、日本は地球の事など考えているどころではなかったのだから。
南雲艦隊が伊豆大島沖へと帰還を果たした後も、不安定ながらも奇妙な漆黒の渦は消える事が無かった。
その穴の向こうからやって来た奇妙な者たちの言う事も意味不明であったが、南雲艦隊の変容を見れば納得する以外になかったのである。
ドワーフ達、或いは南雲艦隊の面々は、地球に帰った途端に魔導機関がその機能を失う事も考慮していた。
それも当然だろう。
地球人に魔法使いなど居らず、これまでその様な現象すらなかったのだから。
だが、渦から出た艦隊は動きを止めることなく動き続ける事ができ、ドワーフやエルフたちも体に変調を来す事はなかった。
そして、やって来たエルフの調査によって、地球と彼らの世界の大気組成には何の違いもないという結果が出たのである。
あまりにも不思議な事であった。
ただ、分かった事もあった。
エルフの調査によつて、時折見つかる空飛ぶ光る物体は、実は結晶化した魔素なのだと。
つまり、太古からの超常現象を引き起こしていたのは、実は魔素であったことが解明され、その活用が俄かに注目を集める事になった。
なにせ、魔素は大気中に普遍に存在しており、それを触媒を介して反応させるだけで熱を発し、蒸気を発生させ、熱した空気によって飛行機を飛ばせるのである。その触媒の寿命は飛行機サイズで最低半年。艦船であれば5年近い寿命を持つと推定された。
もはや現代地球の常識で測れるモノではない。そう結論が出たのである。
注目どころではなくなった。
軍は是が非でもその実用化に取り組む事になり、魔導航空機開発は何を置いても最優先とされたほどであった。
それはそうだろう。燃料を必要とせず、理論上は数か月にわたって着陸の必要が無く、燃料搭載量に性能が左右されないのである。これほど夢の航空機があるだろうか?
そして、こうした奇跡の技術を手放す訳にはいかなかった。何よりも渦の維持が最優先事項となったのである。
こうして、1942(昭和17)年1月中頃には早くも誰でも往来が可能なほどに安定化し、更なるドワーフやエルフが地球を訪れ、日本に協力する事となった。
そしてもう一つ、南雲艦隊の助けによって神聖帝国を打倒したという事で、日本はその領土の一部をも、南雲艦隊への褒賞と言う形で手にする事になったのである。
その地は満州よりも豊かで気候に恵まれ、面積は変わらないほど広大であった。何より、周辺には邪魔をする強国のいない土地である。
その様な新天地があるのなら、もはやアメリカと対立する必要すらなくなった。
「我らは神に土地を与えられた」
その様なスローガンが1942(昭和17)年2月以降、波紋が広がる様に全国津々浦々に広がり、新聞は大陸からまるで物語の様な世界へと、話題を急速に変えていった。紙面に、スピーカーに、銀幕に大陸の話題が登らなくなったのである。西方での戦争など、誰も話題にしなくなった。
こうして、魔導飛行機が飛行したことに喜び、満州と違って関東並みに過ごしやすい気候の大平原が広がる大地への夢へと、国民の目が向けられていく。
そんな中、獣人の探鉱師によって本州から魔石鉱山が発見されると、もはや石油など不要とばかりに仏印からも撤兵した程である。このようにして、日本は地球への興味を失っていった。
ただし、海軍は対米戦を諦めていなかったし、陸軍は北進論へと回帰していった。
この様な日本の動きは英ソの多大な誤算となって響いて行く。
英国は米国を戦争に引きずり込むことに失敗し、ソ連は日本を警戒するためにウラジオストクに陸揚げした物資を対独戦線へ送れなくなった。それどころか、極東へも兵力をより厚く配置する二正面作戦を強いられることとなったのである。
ただ、対米戦を延期した日本がそれから平穏無事に過ごせたかと言えば、歴史が示す通り、そんなハッピーエンドにはならなかったのである。
日本が地球から退場する事を許さなかったのは、アメリカであった。
日本は仏印から撤兵したが、海軍力が無くなった訳ではない。仏印撤兵で利を受けるのは、インドへの脅威が大きく減退した英国ばかり、中国市場を我が物にしたいアメリカにとっては、何ら状況は好転していなかったのである。
その頃の日本にとって喫緊の課題は、手に入れた異世界の新天地を如何に開拓していくかであり、陸軍ですら、ソ連の脅威に対抗するため満州を手放す事は考えられなかったが、大陸においては盧溝橋事件以前の状態へ戻す事に何ら不満を抱かない程には、興味を失っていた。
そんな1943(昭和18)年1月8日、マニラ沖において一隻の哨戒艇が突如沈没する事件が発生した。
後にメアリーアン事件として有名となる沈没事件はアメリカによる自作自演であったが、当時は日本軍による奇襲攻撃であるとしてアメリカ大統領は日本への宣戦布告を行った。
ただちにフィリピンから爆撃機が飛び立ち台湾爆撃を敢行したが、日本軍にすぐさま捕捉され迎撃を受ける事になった。
それも、その多くが速度に優れた魔導戦闘機によってであり、自在な機動と燃料を搭載しないという軽快性によってことごとくが撃墜、撃退されるという憂き目を見る事になる。
ハワイからも戦艦8隻、空母2隻を要する大艦隊が出撃し日本を目指したのだが、出撃の4日後、予想外の襲撃を受ける事となった。
この時すでに日本は魔導潜水艦をハワイ沖へ警戒配置しており、水中を14ノットで疾走する伊19にずっと追尾されている事を、米艦隊はまるで察知できていなかった。
伊19には魔導機関だけでなく、魔導通話装置が搭載され、全く米国側が傍受できない魔導通信によって、その動向が逐一日本へと伝えられていたのである。そして、その情報をもとに燃料を気にする必要がない南雲機動部隊が米艦隊へと奇襲攻撃を掛けたのであった。
全く攻撃を予期できていなかった米側は為すすべなく6隻の戦艦を失い、2隻の空母を損傷して撤退する憂き目に遭ってしまうことになる。
だが、悲劇はそれでは終わらず、逃避する米艦隊が真珠湾へと逃げ込む前に、真珠湾もが攻撃されてしまったのであった。
普通に考えれば、日本は米側の諜報をまんまと欺き、造船能力を飛躍的に向上させ、全く知らない艦隊を保有している事になるのだが、もちろん、そんな魔法はない。燃料を全く心配しなくて良い南雲艦隊がそのままハワイ攻撃を敢行しただけであったが、これで米側は大いに混乱する。
すでに、米国は対日宣戦布告の翌日にはドイツに対しても宣戦を布告し、秘密裏に進めていた北アフリカ上陸作戦を発動しており、今以上の海軍を太平洋に回すような余裕は存在していなかった。
地球の常識で考えれば、もう日本側の初動はこれで終わりである。
が、魔導艦隊は米国の常識など通用しない相手であった。
1943(昭和18)年2月9日、突如としてサンディエゴへの空襲が行われたのである。そんな事態など予期していなかった米側の混乱は想像を絶するものであり、それからすぐ、西海岸全土に対して戒厳令が敷かれ、内陸へ避難しようとする市民と西海岸への配置を目指す陸軍の移動が重なり、西海岸各地で交通がマヒする中で、日本軍来襲の流言に端を発する暴動や誤射などが相次ぎ、多大な犠牲と混乱が巻き起こっていたのであった。
こうして米西海岸は半年ほどのあいだ内乱に近い混乱が生じ、完全に孤立したフィリピンへ日本軍が上陸し、為すすべなく陥落してしまったのである。
こうして、開戦半年ほどで米国は大敗と言って良いほどの状態を迎え、その状況から目を逸らすように、北アフリカにおける戦果を大々的に宣伝する事を試みるのであった。




