card4:ホーリータウン
砂利をざくざくと踏みしめ、黙々と歩み進める二人の男女。
男の方は、女の身長より多少大きいだけでそんなに変わらない。
しかしこの男――実は“鳥族”とかいう民で、自分の身長程もある大きな翼がある。
何故飛べるのに地面を歩いているかというと、相手の女には“翼”が無い。
まさか自分一人だけぴゅーと飛んで街に帰る訳にも行かず、仕方なく歩いている訳だ。
――うーむ。
だが、女は“人間”。翼など持っていた方がおかしい訳で――……。
――う、うむ。
それに気付かない男――バルト・スカルファーザは大変頭を悩ませていた。
「なぁ、お前何族なんだよ」
女は目を伏せ、黙り込む。
さっきからずっとこの繰り返し。何を聞いても、黙り込み、目を合わせない。
初めはバルトへ何かとつっかかて来たのに、今ではすっかり大人しい。
――どうにもこういう空気は吸いなれねぇ……。
バルトは目を泳がせ、困ったようにポリポリと頭を掻く。
「じゃあどっから来たんだよ、空から落ちて来るなんて尋常じゃねぇだろ。両親とか……友達は近くにいないのか」
「う……うう」
気付けば、女は涙目。
鼻をすすりながら必死に溢れ出しそうになる感情に堪えていた。
この様子に、バルトは目玉が飛び出しそうになる。
「うわぁぁあッわわ分かったから泣くんじゃねぇ!俺が泣かしたみたいだろうが」
――まぁ俺が泣かしたんだけどさぁあ!
柄にもなくオロオロと戸惑うバルト。
両手を振り上げ、女の周りを回っている姿はなんとも怪しい。
――あぁ……やっぱ今年は厄年だぁ。
――つーか、泣きてぇのこっちだし。
何とか落ち着きを取り戻した女の背中を叩き、バルトは大きくため息を吐いた。
改めて女の外観を見ると、大人っぽさ漂う横顔からは十代後半の女性にしか見えない。
しかも風が吹く度に長い髪から漂う甘い香り。
思わずドキッとし、顔を反らした。
――何ときめいてんだ俺ッ
――相手は何を考えてるか分からない馬鹿女だぞ!
しかし、ここでバルトは気付いた。
“何を考えているのか分からない”
もし仮に、本人自身が“何も分かってない”としたら……。
――いや、そんな馬鹿な。
――でも……。
根拠ならある。
彼女は何族かも、何処から来たのかも、両親も、友人の事さえ教えてくれない。
しかも鳥族の翼を初めて見たような、あの反応。
この世界で“鳥族”を見た事が無いという人が居るとは考えられない。
――まさか、この女……。
バルトはごくりと唾を飲んだ。
――“記憶喪失”ッ!
全く事実と反しているが、ここまで思考を巡らせた彼に拍手を送ってやりたい。
だが、仮に記憶喪失だとしたら(バルトの勝手な思い込みだが)、今後どうしたら良いのか分からない。
現に何を覚えているのか、全く検討もつかないのだから。
――そういえば……。
バルトは、まだこの女の名前を知らない事に気付く。
面倒くさそうに頬を掻きながら、小柄な肩を掴んだ。
急に止められた女は、目をぱちぱちさせる。
「えーと……。お、お前名前は? そういやまだ聞いて無かったよな」
先ほどのアドバイス(?)通り、なるべくにこやかな顔を作ったつもりだった。
ぴくぴくと頬が引きつる。
女は黙って男の顔を見上げるが――……。
「……はぁ」
何故か吐き出されるため息。
――は?
硬直するバルトを追い越し、女は平然と歩き出す。
――な、何だ今のため息は……。
――ちょっと失礼だろ。俺頑張ったのにそれは無いだろう。
怒りを通り越して泣きたくなるバルトだが、気を取り直して再び女の肩を掴んだ。
「ちょっと待てよッ……だ、だって俺は嫌だぞ。なんつーか、女の子を『お前』とか呼ぶとか……偉そうだし」
「……自覚合ったなら呼ぶなよ」
「あぁ、すみません――ってテメェ今なんか言っただろッ」
やっぱり確信犯かッとバルトが拳を振り上げると、慣れた様子で女は素早くかわす。
そして、二歩先まで距離を置いて呟いた。
「菖蒲」
微かに女は笑っていた。
バルトが初めて見た、菖蒲の笑顔だった。
一瞬頭が真っ白になり、バルトは思わず硬直する。
「……アヤメ? お前アヤメって名前なのか」
女は――菖蒲は、何も答えずにただ歩いていく。
チェックのスカートが、風でひらりと揺れる。
――アヤメ……。
バルトは、ハッと我に帰った。
そして、彼女の正体に気付いた。
――分かったぞッ。
――アイツは、“花族”だ!
再び自分勝手な推理勃発。
――花族は何かと“花の名前”をつけたがる。
――花族ならば翼が無くても納得できるしな。
一人頷き、我ながら見事な推理力に酔いしれる。
しかし、全く事実の反している事に気付かない姿は何とも哀れだ。
すると菖蒲が街の入り口で立ち止まっている。
「――ねぇ」
それは、まさに不審者を見るような呆れた顔。
そして首を傾げながら、憎たらしい一言を吐き出す。
「一人でブツブツ言ってると怪しいよ、えーと……“ベルト”君?」
――“ベルト君”?
「……て、俺は“ベルト”じゃねぇッ“バルト”だぁ!」
バルトは怒鳴りながら、全力で菖蒲に駆けていく。
菖蒲は直ぐ様、街の中へ駆け込んだ。
「あれ? ベルトじゃ無かったけ」
「バルトだぁぁコラぁ!」
「あっ“タルト君”か」
「テメェ、ワザとだろう!」
バルトは怒りに身を任せ、足では菖蒲に追い付けないので翼を使った。
菖蒲が気付き反則だのと文句を言って来るがお互い様だ。
二人の怒声が、ぎゃあぎゃあと街中に響き渡る。
バルトはこの時気付かなかった。
色彩の街、『ホーリータウン』で。
祭りを控えた、『ホーリータウン』で
『出会い広がる、始まりの街』で――……。
皆の物語が一斉に動きだす事に――
△ ▼ △
「うわぁ……!」
街に入った菖蒲は、思わず目を輝かせた。
西洋風の建造物。
溢れるばかりの活気と、花の香り。
そして特に、菖蒲の目を奪ったのが――。
街の中心で弧を描く二段噴水。
その噴水の周りに縁取られた七色のチューリップ。
水しぶきが花びらにくっつき、雫がつるりと滑り落ちた。
これを美しいと言わずになんと言うだろう。
――キレイ……。
――加奈りんや神楽にも、見せてやりたかったなぁ。
呆然と噴水に見取れていると、いきなり肩を叩かれた。
「や、やっと追い付いた」
バルトだった。
ぜぇぜぇと息を切らしながら羽をたたむ。
飛んでいても疲れるんだなぁと、菖蒲はある意味感心した。
「ねぇ。この噴水って何?」
「ぁあ? これはホーリータウン観光名所『レインボーティア』だ」
『レインボーティア』――直訳すれば『虹の涙』。
どういう由来なのかバルトに尋ねようとした所、彼が先に答えてくれた。
「今から二十年以上前――『虹の使者』がこの国に現れて“邪”を取り除いてくれたんだ。その時に、二度と“邪”がホーリータウンに訪れぬよう自分の涙を噴水に変えた。以来、ホーリータウンは平和を維持してるっていうおとぎ話さ」
菖蒲は驚いたようにバルトを振り返る。
「おとぎ話なの?」
「だって俺は信じてねぇし。だいたい涙を噴水にするって、そいつ脱水症状で死ぬから」
――夢を壊すな夢を!
ふんっと鼻で笑う馬鹿鳥に、菖蒲は殺意さえ覚えた。
だいたい観光名所には、そういう言い伝えが無い方が珍しい。
まぁ菖蒲がバルトの立場だったら同じようにツッコミを入れるだろうが。
菖蒲は笑みを溢しつつ、悲しげにため息をもらした。
街に来たら何か分かるかと思ったが、見かける人は全て鳥族などの人間界には存在しないもの。
また落ち込みそうになるが、バルトにはこれ以上心配をかけてはいられない。
彼は彼なりに見知らぬ自分に気を使ってくれていたのを、菖蒲は気付いていたから。
「何だか元気ないねぇ」
図星を指すような一言。
「そんな事ない……」
「だって寂しそうだよ?」
「……寂しくなんかない」
「寂しく無かったら、そんな顔しないよ」
「バルトしつこい!」
涙を堪えながら、隣にいるバルトを睨む――が、バルトはきょとんとしていた。
「はぁ?何言ってんのアヤメ」
「な、何……って。今なんか――」
振り返ろうとして、頬に人差し指がむにゅっと刺さる。
「わぁいッ引っかかったぁ!」
同年代の男の子だろうか。
茶髪に赤い瞳。
前髪を真ん中で分けて、眼鏡をかけている。
そこまでは普通の子。
なのに――。
「バルトぉ。なぁに祭りの準備サボってデートしてんのさ」
彼の耳は、ウサギだった。
「う、ううウサ――」
「あ、どうもぉ。“ウサギ族”の『グリフ・カークランド』と申します」
グリフと名乗る少年は、くるりと手を前で回しながら華麗にお辞儀する。
隣のバルトはケッと唾を飛ばすが。
「……何でお前がいんだよ」
「あらら。ボクは君に“情報”を教えに来ただけさ。そしたら女の子とデート中で――……」
「デートじゃねぇよ! てか、訳ありでさ……」
がしっと、グリフの肩を組み道端に移動するバルト。
何やら密談らしい。
菖蒲は自分の事を言われていると気付き、困ったように目を反らした。
「実は空から落ちてきたんだよ」
「君がかい? だっせぇ」
「ちげぇよバカ。あの女だ」
ブツブツと密談が始まってから、約三十秒が経過。
するとグリフが振り返った。
ずんずんと歩みを進め、菖蒲の手を握る。
突然の事に驚き、身を退こうとするがグリフの手がそれを許さない。
菖蒲は、ピクピクと眉を痙攣させた。
「あ、あの……」
「アヤメちゃん。辛かったね」
ぐしっ。涙をすするグリフ。
「あぁ君は何も言わなくて良い。ボクはちゃんと分かってるから」
「あああの……」
「辛いと思う。バルトが呑気に昼寝をしている間、君は涙を流して助けを呼んでいたんだ」
「え、えーと」
「それなのに君は悲しみを忘れ、忘れた事さえ忘れている。でも決して弱音を吐かない君。ボクはそんな君を愛しています付き合って下さ――……ぐほぉッ」
そのままキスをされそうな勢いだったので、すかさずグリフの顔面に鉄拳を放つ。
初対面にして、こんな馬鹿げた告白なんて受けた事がない。
――あいつ……。
――何言ったんだよ。
反射的にバルトを睨むが、俺は知らないとばかりに首を振っていた。
「まぁグリフはお節介好きだけど、悪い奴じゃないから」
――でも、変わった人(?)だよね……。
菖蒲は、声ならぬ声でツッコむ。
グリフはハンカチで鼻血をふき取ると、再びバルトに向き直った。
「事情はだいたい分かったよバルト」
「おーそりゃ良かったな」
――いや、全然分かってない……。
「あ、そういえばバルトに伝える事があったんだよね」
いけないいけない。グリフはヘラヘラと笑みを零す。
同時に三人を覆う黒い影。
何やらばさばさと羽ばたきが聞こえてくる。
――何?
「君の親父さんがねぇ」
グリフが、満面の笑みで真上を指差した。
何やら声が聞こえる。
男の人で、何かを叫んでいる。
「ばぁるぅとぉぉ」
バルトは本能的に青ざめていた。
――何か、落ちて来てない?
嫌な予感がした菖蒲は真上を見上げる。
逆光で見えにくいが、翼の生えた男がこちらに急降下してくる。
銀髪の男が、今バルトの元に向かって落ちてくる――……。
バルトはがくがくと震えながら空を見上げた。
「バぁぁルぅぅト!」
鳥族必殺!
『スカイダイブハグ』。
「い、いゃ――ギニャァァァァッ!」
バルトが落下の衝撃をまともにに喰らい、砂埃に包まれる。
その風圧で菖蒲のスカートが、ぶわりと捲り上がる。
グリフは相変わらず笑っていた。
街の人々も何事かと、ざわざわと顔を出したり、見に来たり。
そして砂埃が晴れて来ると、顔を真っ青にしたバルトが――……。
「バルトォ。父さん心配したんだぞぉー全く困ったちゃんだなぁ」
鳥族親父に抱きしめられていた。
菖蒲はただ呆然とするしかない。
隣のウサギ男は、呑気に手を叩く。
「そうそう。君の親父さんが探してたんだよ!」
今更遅い“情報”を屍状態のバルトに提供。
どうやら落下して来た男は、バルトの父親らしく見ての通り親バカ。
意識を取り戻したバルトは、慌てて父親を突き離した。
「――テメェ、俺を殺す気か!」
「何を言うか。愛を確かめ合うにはアレぐらい過激な抱擁が――」
「息子を殺しはぐる抱擁のどこが愛なんだよコラァ!」
菖蒲もバルトに落ちて来た身なので、人の事は言えないが静かに頷く。
しかも、この親父さん。天然なんだが技となのか全く詠めない。
まぁ、こんな父親なら必然的に口うるさい息子に育っても周囲は文句も言えないはずだ。
「しかもねぇ。バルトの親父さんは、ホーリータウン町長でもあるんだよ」
グリフが欠伸をしながら呟いた。
菖蒲は思わず目を見開く。
「町長って……あのおじさんが?」
「うん。やっぱ見えないよね」
――見えないって言うか……。
――あんな人で良く街が潰れないなぁ。
さりげなく失礼な事を考えるが、それも事実だろう。
あの親バカっぷりに、何故誰も指摘しないのだろうか。
いい加減、指摘してやるのも優しさだと思うのだが。
「じゃ、ホラ。父さんと一緒に祭りの準備をしようじゃないか」
「ちょ……待てって」
手を引こうと伸ばしてくるが、バルトは直ぐ様身を引いた。
そして菖蒲とグリフの所に戻ってくる。
「俺はこれからコイツらと“百合”の所に行く」
百合とは誰なのかも分からないが、初耳な発言にグリフはギョッと目を見開く。
「え。そんな話聞いて――ぐはッ」
反論する前にバルトの肘がみぞに入る。
しかしバルトの父は、じっと三人を見つめていた。
「だから、俺とグリフは祭りの準備は出来ねぇのッ」
「な、何でボクまで……」
自信満々に菖蒲とグリフの肩を組むバルト。
するとバルトの父は、静かに歩みよる。
微かに顔をこわばらせながら、震えを堪えながら。
「―――え」
息子ではなく、菖蒲の元へ。
「君……名前は?」
菖蒲は、バルトの父のただならぬ様子に怯えながら、震えた声で答える。
「あ、菖蒲です」
「ア……ヤメ?」
バルトの父の表情が穏やかになる。
誰かと勘違いでもしていたのだろうか。
ため息を吐くと同時に、バルトが慌てて二人の間に入った。
「こ、この子は花族の子で。最近引っ越してきたらしくてさ……なぁグリフ!」
「そうそうッ」
グリフまでが、菖蒲をバルトの父から引き離す。
――なんか知らないけど。
――私、『花族の人』って事にされてる……。
まぁバルト達は菖蒲をフォローしてくれているのだから、自分は下手に話さない方が良いだろう。
バルトの父は、菖蒲に微笑み直した。
「私はこの街の町長、『ヘレン・スカルファーザ』。困った事があったらいつでも頼っておくれ」
ヘレンは手を差し出し、菖蒲に握手を求める。 菖蒲は何となく戸惑っていたが、ぎこちなく手を伸ばした。
ヘレンの温かく、大きな手。
うらやましいくらいの父親の手が、菖蒲の小さな手を包み込む。
「さぁて。私は仕事に戻らねばいけない」
握手を外し、ヘレンは苦笑いしながら、腕時計を眺める。
どうせ仕事を抜け出して来たんだろう。
「バルト、日が暮れるまでには噴水前に戻るんだぞ」
「分かってるって。祭りが始まる前には戻るさ」
では、よろしい。ヘレンは翼を広げる。
バルトよりも大きな翼だった。
そして、去り際に小さく呟く。
「アヤメちゃんを、ちゃんと守るんだぞ……」
バルトは良く聞こえなかったらしく、目を細めた。
「んぁ? なんだ聞こえねぇよ」
「聞こえなかったなら良いんだ。じゃあ祭りに遅れるなよッ」
いきなり現れて、好き放題やって、いきなり帰る。
まさに台風のような不思議な人。
バルトはそんな父親の背中を見上げ、首を傾げた。
なんだか、いつもと雰囲気が違っていたのだろうか。
――私には、分からないけど……。
でも、と思う。
ヘレンが近寄って来た時に。
あのこわばった表情が。
何か面影を探すような眼差しが。
ちょっぴり、怖かった――……
△ ▼ △
「……似ている」
大きな空の中、ヘレンの声がぽとりと落ちる。
彼の頭の中に蘇るのは、数十年前に現れた“友人の姿”。
顔も、声も、身長も、全てが似ている。
しかし彼女は、もうここにはいない。
居たとしても、自分と同年代だ。
四十歳は完全に過ぎている。
だから――。
「考え過ぎ、か」
ヘレンは微かに苦笑しながら、翼を少し傾けた。
模型のような小さな街は、再び大きくなっていく。
ヘレンが着地するのは、街の南にある町役場。
まだやっていない仕事が山ほどある。
風を受けながら、下降して行く。景色を受け流しながら下降していく。
しかし、何かがおかしい。
「なんだ……?」
役場が見えて来たと同時に、周囲を囲む“黒い塊”。
銀色の鎧兜を被った、謎の集団。
落下すればするほどに、赤い瞳まで見えてくる。
「まさか――」
そんな馬鹿な、奴らは“滅んだはず”。
目の前の現実が信じられず、背筋に気味の悪い寒気が走る。
二十年以上前の記憶が、再び悪夢となって蘇る。
だから気付かなかった。
迫り来る、“奴ら”に。
「なッ――」
宙に飛び上がった“鎧の使者”。
赤い瞳をぎらつかせ、今、目の前にいる。
ヘレンの、目の前にいる。
表情こそ分からないが、にたりと笑ったように見えた。
鋭い鋼の爪が、大きく振り上げられる。
避けきれない――ッ
シュッ―――
次の瞬間――。
青空に赤き羽がひらひらと舞い散った……。