card3:出逢い
辺り一面に広がる色彩の絨毯。
花々の溢れる生命に輝く絨毯。
風が吹くたびにサラリと波打ち、緑色のなだらかな模様を打ち出す絨毯。
そして、大自然の花吹雪中で聞こえる“羽ばたき”。
――よしッ誰もいねぇぞ。
天使のような大きな羽を持った少年が、空から舞い降りて来る。
そう。“舞い降りる”と言うのも彼の背中に白く大きな翼が生えているのだ。
少年はばさりと羽をたたみ、自然の絨毯の上に着地する。
ここは少年の『秘密の場所』。
もちろん、自然は皆のものだ。一人じめにしようなんて思ってはいない。
しかし、“この場所”の空気、青空、季節で変わる景色が少年にとって何よりも好きだった。
だから初めの内は、一ヶ月に一回のペースで。
しかし年を重ねる度に、一人になる時間が欲しくなり、暇があれば来るようになっていた。
だから、今日もまたやって来る。
街は、お祭りの準備で色々と騒がしかったから。
――やっぱここが一番落ち着くなぁ……。
――ま、暫くここで昼寝していてもバレやしねぇだろう。
少年は一人頷くと、ごろんっと横になった。
同時に花びらが舞い、頬や服にくっついた。
風が音をたてて草花を揺らしていく。
大きく揺れたり、小さく揺れたり。その繰り返し。
少年は雲の流れを見ながら、花の歌声を聞いていた。
――いい天気だなぁ……。
このまま草花と同化出来たらどんなに心地よいだろう。
少年は大きな欠伸をし、瞳を閉じる。
今はまだ昼。祭りは夜に始まる。
自分一人いなくても準備はちゃんと出来る。
だから風に誘われるまま、眠りに落ちようとした――……。
……ゴォォォッ
少年は思わず眉をよせる。
――何だ?
――風の音がおかしい……。
まるで落下物が迫って来るような抵抗音。
しかし“同族”で空から落ちる馬鹿はいない。
どうせ子供が遊んでいるのだろうと寝返りをうつ。
……ァあああッ
だが、再び聞こえた“音”。
否――“声”。
少年は横を向きながら目を開く。
――おい。
……きゃあぁぁぁッ
これは明らかに悲鳴だ。
しかも声はだんだん大きく膨らみ……――
「きゃああぁぁぁッ」
完全に人の声と分かるぐらいまで接近。
これは近い。
何かが落ちてくる。
今、自分の上に落ちてくる。
――おいおいおいおいッ!
少年は回避しようと起き上がる。
しかし起き上がった時には、もう遅い。
「ぅあああああッ」
少年を覆う黒い影。
上を見上げれば目まで合ってしまった。
涙目で空から降って来る少女と。
これから全ての運命を握る少女と……――。
「ちょ、待っ――いぎゃああああ!」
べちゃ。
少女の身体で少年の顔面が潰される。
その衝撃で周囲の花びがひらりと舞った。
その衝撃で鼻がボキと嫌な音がした。
ついでに首もゴキと嫌な音がした。
――な、なんでこうなる。
ぴくぴくと震えていたが、やがて力尽きて動かなくなった。
口からは大量のあわ。
鼻からは大量の血。
『バルト・スカルファーザ』
“生涯一番の厄年”
△ ▼ △
「あたた……」
菖蒲は、頭を抱えながらゆっくりと起き上がった。
未だぼやける視界をこらし、周囲を見渡す。
――ここは……?
見渡す限りの草原――否、“花畑”と言った方がふさわしい。
爽やかな清風。
香り豊かな花々。
終わりの見えない青い空。
この風景に誰もが天国か夢だと思うだろう。
もちろん、菖蒲は夢であって欲しいと願った。
しかし、“あの時”爪のはげた指が今更になってズキズキと痛みだす。
つまり“痛い”と感じるという事は、残念ながら夢ではないという事だ。
――ゆ、夢じゃない。
――って、私はあれからどうなったんだろう。
確か『開かずの扉』が開き出し、菖蒲だけが扉の向こうへ落ちてしまった。
ひたすら光の中をさ迷い、気が付いたら菖蒲は青空を急降下していた。
本気で焦って、もがいて、無駄だろうが手を羽のようにばたつかせた。
しかしもう駄目だと諦めかけた瞬間、丁度何かがクッションになってくれて……。
「あ、あれ?」
不意に覚えた違和感。
――わ、私。何の上に着地して……。
ぬっ。スカートの下から現れた手。
その手は菖蒲の足を握る。
「――一つ。貴様は俺の昼寝を邪魔した」
足元から聞こえる若い男の声。
「――二つ。貴様は俺の顔にスカイダイブしてきた」
ガタガタと震え出す菖蒲。
不気味な寒気が、背中を這い上る。
「そして三つッ」
菖蒲の足がゆっくりと横にずらされた。
下を向けば、鼻血を大量に流す銀髪短髪頭が菖蒲を睨みつけている。
もはや菖蒲の恐怖は限界にまで膨れ上がっていた。
「気が付いてから一言も謝罪しねぇで、何を呑気に回想してやが――……」
「キャアァァッ痴漢!」
まさに秒殺。
バルトが言い終える前に加奈りん直伝のキックが顔面に食い込む。
いきなりの奇襲に、バルトは防御すら出来ずに――……。
「ぉぎゃあああすッ!」
声を上げて花畑を転がり、向かいの木に激突した。
菖蒲はガタガタと震え、目の前に転がる屍を見つめる。
本人的には立派な自己防衛だったらしい。
「――おいてめぇ待てこんにゃろ、さっきの蹴りいらねぇだろッしかも何が痴漢だ!」
「私のスカートの下で寝てたじゃないッ」
「馬鹿言うなッてめぇが俺を踏んでたから動けなかったんだよ!」
「鼻血出してたくせに!」
「それはてめぇが俺の顔にスカイダイブして来たからだぁぁあッッ」
にぎぎ。お互いが息を切らしながら、睨み合う。
傍らで聞いていれば何とも馬鹿らしい会話だが、今の彼らにはそんな事を気にしている場合ではない。
すると菖蒲は首を傾げつつ、ずびしっと指を差した。
――てか……。
「あんた誰!」
「そりゃ、こっちの台詞だボケぇッ」
バルトは呼吸を忘れるくらい大きな声で叫んだ。
命の恩人に向かって、つくづく失礼な女である。
しかし菖蒲は全く悪びる様子もなく、バルトの容姿を上から下まで眺める――まるで何かを吟味するように。
じっと見つめてくる少女に、バルトは思わず後退った。
「な、何だよッ」
「……目つき悪いなぁって」
……。
…………。
「い、今言う必要あるかぁッ!? お前無意識に敵作るタイプだろッ絶対そうだろ!」
「あのね。目つき悪い人は目をつぶって、いつもニコニコしていればそれなりに見えるって聞いた事が――」
「大きなお世話だッ!」
バルトはケッと唾を飛ばし、その場に座り込む。
「……」
一通り口論し、ぷっつり切れてしまった会話。
そのかわり二人の間に流れるのは気まずい沈黙。
無論、話すべき事はたくさんあるのだが散々罵倒し合った後ではどうにも会話を切り出せない。
時が過ぎる毎に気まずさは悪化し、冷や汗まで噴き出してきた。
――ど、どうしよ。
――聞きたい事は山ほどあるのに、話が……。
「お、おい」
最初に口を開いたのはバルトだった。
「お前、名前は?」
その問いに答えようと口を開くが、つい先日観たスパイ映画の話を思い出し口を閉ざした。
「……そ、そっちから名乗ってよ。私から情報を引き出すだけ引き出して『用済みだッ』とか言われていきなり殺されたらヤダし……」
「俺を何だと思ってんのッ言っておくけど俺は被害者だからな!」
せっかく話題を振ったのにと、バルトはチッと舌打ちをする。
そしてため息を吐きつつ、胸ポケットから銀の塊を取り出した。
片翼のバッチだ。
「……話が先に進まねぇからもう良い。俺は治安課所属の“バルト・スカルファーザ”。種族は“鳥”だ」
――治安課?
――種族……って何。
思わず頭にハテナを浮かべる菖蒲。
しかし直ぐにバルトの言っている事を理解する。
だって“それ”は、彼の背中に生えていた。
二人の間に突風が吹く。 花びらが舞う。
木の葉が舞う。
そして――
“白き羽”が、菖蒲の視界でひらひらと踊る。
――あぁ……ッ。
目の前で、ばさりと広がる白い翼。
バルトの背中から大きな翼が、風を受け、今にも飛び出しそうな程に羽ばたきだす。
――は、羽が……。
開いた口が塞がらないとはまさにこの事。
菖蒲は震える指でバルトの翼を指差す。
「何だお前。“鳥族”も知らねぇの?」
バルトは翼をばたつかせながら鼻で笑う。
しかし菖蒲には、ただ彼を指差す事しか出来ない。
「だだだって、はは羽が――」
「俺達“鳥族”は、“鳥の血”を継いだ者だ。なんつーか、人間でもないし、鳥でもない。勿論ハーフでもない」
人間でも、鳥でも、ハーフでもない存在。
「例えば『犬』が『犬』のように、『人間』が『人間』のように、俺達も『鳥族』が『鳥族』のように、元からの種族として生きている」
つまり、生物図鑑を開く。
“タ行”で探していく。
そして“ト”の蘭に、『鳥族』という項目があると言うことだ。
「勿論、鳥族の他にも“花族”、“魚族”、“猫族”とかたくさんいるけどな」
加えて、この一言。
菖蒲は目昧すら覚えた。
あまりに飛躍した話について行けない。
「――でも、今まで良く人間に見つからずに生活出来たね」
しかし、バルトは首を傾げるばかり。
「はぁ? 何言ってんだお前」
「だって、人間に見つかったらマスコミに騒がれるし、研究者だって出てくるかもしれないし……」
確かに一理ある。
人間に見つかれば、ただでは済まない。
マスコミは大きく取り上げ、研究者も我は我よとたかってくるだろう。
それはまさにハイエナの、素早く、しつこく、残酷に獲物を喰う様のように。
しかしバルトは呆然と菖蒲を見てきた。
「だから何言ってんだよ」
その視線はまさに常識のない奴を見るように……。
呆け始めた奴を見るように……。
しかもその口から発せられた言葉はあまりに衝撃的で。
『見つかるも何も……。人間なんてこの世界にいる訳ねぇだろ』
菖蒲は言葉を見失う。
頭が真っ白になる。
「は、ははは……」
もはや笑うしか心の逃げ道はない。
菖蒲は静かに首を横に振る。
「そ、そんなはずないっ。だだって、私が――」
――私は、“人間”だもの。
「でも俺、“人間”なんておとぎ話の中でしか聞いた事ないしぃ」
そう言いながら、バルトは首をすくめる。
まるで自分にあたられても困る、とでも言っているかのようだ。
――じ、じゃあ……。
――仮に人間がいないとしたら。
「“ここ”は、どこなの……」
菖蒲にとって今一番に重い問い。
しかしバルトにしたら、完全に馬鹿としか思えないだろう。
実際に菖蒲だって、日本で日本人が『此所ドコデスカ?』なんて聞いたら、頭のネジが一本抜けてないかと疑うに違いない。
「……お前、頭大丈夫かよ。」
現に、バルトにはそう見られている。
でも、バルトは付き合ってくれた。
ちゃんと、答えてくれた。
『ここは“不思議の国”。色彩の街“ホーリータウン”だ』
菖蒲には、とても残酷な真実だったが……――。
△ ▼ △
菖蒲達が立ち尽くす花畑の上。
そこから幾分も離れていない木の上に一人の少年が座っている。
赤毛で、頭には猫耳が付いており、お尻には長い尻尾まで。
「――とりあいず君をここに連れてくるのは成功したね」
少年は一人微笑む。
「まさか“ディスフィア”に邪魔されるとは予想外だったけど……」
少年は鳥族と話す菖蒲を遠目で見つめた。
やはり“似ている”。
もはや同一人物と言っても過言ではないように。
「……君には“アイリス”の名を継ぐ資格がある」
その目は、もう菖蒲を見ていない。
彼の意識は知らずと遠い昔の、昨日の事のような記憶の中に沈んでいく。
その中で“少女”の名を呼ぶと、いつも笑って答えてくれる。
『じゃあ貴方は“ノーティ”でどう?』
名のない自分に、名をくれた。
『“赤毛のノーティ”……悪戯好きな貴方にぴったり』
“少女”はまた笑った。
初めて見た、素直で素敵な笑顔。
その笑顔を守りたかったのに……。
ずっと傍にいて欲しかったのに――。
「僕は、もう戻れない」
ぎりっと、歯を噛み締め記憶を打ち消す。
今は過去にとらわれている場合じゃない。
前を見て、自分に出来る事をするだけ。
「さぁて、もう一押しするかなぁ」
木の上で、少年は大きく伸びた。
そして木から飛び降りようとするが、ぴたりと立ち止まる。
彼自身、いきなり菖蒲を一般から引き抜いて悪いとは思っている。
しかし菖蒲にしか出来ないのだ。
“アイリス”の名を継ぐ、菖蒲にしか――……。
「本当に……。僕一人じゃ、何も出来ないんだ」
少年は悲しみを振り払うかのように尻尾を振り上げ、そのまま地面に着地する。
そしてゆっくりと歩きだした。
その背中に全てを抱え歩みだす。
過去を背負いながら――
“名前”を背負いながら――
“アイリス”への想いを、隠しながら――……。
もう、振り返らないと決意を固めて――……。