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card1:いつもの日常



――あれ。

――さっきのは、夢……?



 カーテンから溢れる温かい光。

 しかし眠気を帯びた瞳は固く閉じられ、“朝”という現実から逃避する。

 そして再び夢の中へ戻ろうとするが、秒差で目覚まし時計がビリリッとやかましく鳴り響いた。

 5分置きのスヌーズ設定にしていたのをすっかり忘れていた。

 これには少女もうめかずにはいられない。


――あぁぁ。

――うるさい……。


 腰ほどまで伸びた髪をばさつかせ手当り次第に頭上を叩く。

 布団。クマのぬいぐるみ。ベッドのふち。そして目覚まし時計のボタン。

 カチッという軽い音と共に騒音が途切れ、ほっと息を吐いたまま枕に顔を埋めた。


――やっぱスヌーズは便利だけど二度寝の邪魔だね。

――今度から5分遅くに目覚まし設定しよっと。


 “スヌーズ機能”とは二度寝をしてしまった時などの予備鈴。全く機能を理解していない彼女は、気にする事なく渋々と起き上がった。

 少女の名は『宮原みやはら 菖蒲あやめ

 高校一年生で今は祖母の家で暮らしている。

 両親は共に行方不明。そういうのも15年前――真冬の寒い時期に祖母の家の前に菖蒲が置きざりにされていたそうだ。

 ただ一言。


『ごめんなさい』と書かれた手紙と共に。


 それ以来、二人の行方を知る者はいない。

 それに菖蒲本人も両親を憎くんだ事はない――否、顔も知らない相手を憎みようがなかった。

 祖母だって愛情持ってここまで育ててくれたのに、その子供達を憎むなんてあまりにも可哀想だった。

 菖蒲はベッドに座り込み、ぼぉっと木張りの床を眺める。

 大体四畳半ぐらいの部屋。決して広くないが、一人部屋には十分。窓辺にも、桃色のベッドにも、クマやらウサギのぬいぐるみが飾られている。

 その中でぐったりとうなだれる菖蒲は、どうにかすれば働き疲れたくるみ割り人形のようにも見えた。


――あの夢は何だったんだろう。


 つかの間の夢。

 声が聞こえた。遠い夢の中、誰かが何かを話していた。

 しかし夢ほど曖昧な物はない。

 目覚めた瞬間は覚えているのに、たった数秒で記憶の花は散って行く。


――でも何となく覚えてる。

――私に、何を伝えたかったんだろ。


 その者が自分の名を名乗っていたが今となっては思い出せない。

 “扉”がどうのこうのと言っていたが全く思い出せない。

 しかし菖蒲は別に気にしなかった。


――だって。

――私には関係ない。


 そんな事を言われても何も出来ないのだから。

 菖蒲は呑気に大きな欠伸をした。

 だが欠伸を出しきる前に、老婆のしがわれた声が足下から昇りつめて来る。

 祖母だった。



『菖蒲ぇ、まだ寝てるのかいッ学校に遅れてしまうよ!』


 下の階から叫んでいるので時より声がかすれている。

 だがそんな事はどうでも良い。


「えっ今何時?」


 菖蒲は慌てて目覚まし時計を手に取る。

 現在の時刻、七時三十分。

 ちなみに七時四十五分からは先輩の“加奈りん”が迎えに来る事になっている。

 それなのに未だパジャマ姿。

 更に寝癖でバサバサの長い髪。


――や、ヤバい。


 血の気が引いていく。

 “加奈りん”は怒ると怖い。待たせたりしたら空は快晴なのに、菖蒲の頭上だけ血の雨が降りだすだろう。

 もはや夢の事なんて考える余地も価値も残っていなかった。


――急がねば殺られるッッ


 菖蒲はすぐ様下の階へ駆け出した。

 自分の命がかかっているならば走らずにはいられなかった。

 とりあえず時間がない。


「おばあちゃあんッ学校の用意手伝ってぇぇ!」



 そう。

 本当の意味でも、世界的にも……



『残された時間は少ない』




 △ ▼ △




 ぷすぷすぅ……。

 菖蒲の長く整えた髪から、正しく言えば頭から煙が出ている。

 結局朝は間に合わず、何十分と待たされた加奈りんに思い切り殴られたのだ。なのに加奈りんは驚異の速さでギリギリ登校し、遅刻したのは菖蒲だけ。

 殴られて気絶し、道端で放置された菖蒲だけ。

 そしてやっとの思いで1―А組のクラスまで昇って来たのだ。

 もはや1時間目が終わり、十分休憩に入ってしまっていたが。


――うぅ……。

――どれもこれもあの変な夢のせいだッ。


 机に頭を伏せ、巨大なたんこぶを抑える。

 たんこぶも痛いが、今まで皆勤賞だったのにあんな夢のせいで崩れた事が、何より悔しかった。


「菖蒲……大丈夫?」


 頭上から声が降りかかり、顔を上げた。

 そこにはクラスメイトの女子。髪を下の方で二つに束ねた“神楽かぐら”がいた。


「かぁぐぅらぁぁ!」


「あっもうどうしたのよ」


 困惑する神楽の小さな身体に抱きつき、状況を説明していく。


「変な夢見て、加奈りんに殴られて、皆勤賞剥奪されて……」


「夢の中で殴られたのッてか皆勤賞まで剥奪ぅぅ? でも夢の中だったならいいじゃない」


 明らかに説明不足である。

 しかし完全に信じきった神楽は困ったように頬を掻いている。

 真面目な子なので自分なりに解決策を考えているのだろう。

 すると何か思いついたのか、神楽はポンッと手を叩いた。


「菖蒲、そういう時こそポジティブにいかなきゃッ」


 ぐっと拳に力を入れる神楽。


「私も落ち込んでいた時、お兄様に教わったの」


「えっ何を?」


「“人間は必ず失敗をし、その失敗を後悔して文明を広げていく”って!」


――慰めがディープ過ぎて重ッ!


 思わずツッコミを入れたくなるが、神楽は真面目さに加えてブラコン。

 あんまり言うと泣き出してしまうかもしれないので、何とかツッコミは押さえた。


「なぁに、あたしは仲間外れかい?」


 不意に聞こえた足音。

 本日の菖蒲へ血の雨をもたらした張本人が、にたにた笑いながらこちらへ向かって来る。


「加奈りんッ」


 茶髪頭の加奈りんが、菖蒲の机にどかっと座り込んだ。


――いや。

――何で3年生の加奈りんがわざわざここに来る?


「よぉ菖蒲。今日は気絶してから一時間七分十三秒のお目覚めか最高記録おめでとう」


 ケラケラと笑いながら加奈りんは菖蒲のたんこぶを摩った。

 ちなみに旧最高記録というのは、四十九分五十九秒。何故殴られたかと言うと加奈りんが菖蒲にコンビニで『菓子パン買って来て』と言ったら……。


『“ガスパン”買って来て』


――と勘違いし、本当にホームセンターまで行って買って来たのが原因だった。


「おめでたくないッて。加奈りんが殴るから私の皆勤賞崩れちゃったじゃんか!」


「やかましい。あたしなんか毎年謹慎きんしんになっちゃうから皆勤取った事ねぇしハハハハハハ――」


「ある意味笑い事ジャナイアルヨ」


「あ、なんなら担任脅して遅刻を取り消してもらおっか」


「駄目に決まってるでしょ!」


 菖蒲は加奈りんが本当に職員室へ殴り込みに行きそうだったので慌てて押さえこんだ。

 傍らで見守る神楽は呑気に口元を隠して笑っている。

 笑ってる暇があるなら手伝えと言いたかったが、口を開いた瞬間――手の中にいた加奈りんの感触が消えた。


「あっそうだ!」


 両脇に腕を通すように加奈りんを確保していたが、しゅるりと身をかわされた。

 油断しきっていた菖蒲は突然の事にバランスを崩し、鼻から床に激突。知らずと涙が視界を歪ませる。

 加奈りんは詫びる様子もなく、しゅっと指を振り上げた。


「あたし、神楽と菖蒲に頼み事があったんだ!」


「なに加奈ちゃん?」


「な、なに。加奈りん?」


 首を傾げる二人に対し怪しく微笑む加奈りん。この時ばかりは加奈りんは無邪気な子供のように瞳を輝かせる。

 でも、何となく嫌な予感がした。



『おう。実は旧校舎にあるという“開かずの扉”を開けて見ようと思ってなッ』



「………」


「………」


 暫しの沈黙。

 あまりにも唐突で、あまりにも馬鹿らしくて、あまりにもメリットを感じられない提案。

 これには隣に立つ神楽もひくひくと頬を引きつらせる。

 菖蒲も硬直していたがわなわなと手を震わせた。


――そんなくだらない事……。


「勝手に一人でやってろぉぉぉッッ!」


「うおッ。菖蒲が怒鳴った!」


「あああ菖蒲落ち着いてッ」


 頭から煙を出して怒り狂う菖蒲。まぁ当然の反応だろう。

 神楽は暴れる菖蒲にしがみつきながら問題児に尋ねた。


「でも、なんでまた旧校舎なんて……」


 正式名称・“清城高等学校旧校舎”。現在は老朽化の為使用されていないが『幽霊が出る』と、もっぱらの噂である。

 しかし加奈りんは気にする様子もなく、満面の笑みを浮かべた。


「良くぞ聞いてくれました! 昨日、ゲーセン仲間と遊んでたら話題なってよぉ。旧校舎の第二音楽室に“隠し扉”があんだって」


――ますます私らに関係ないじゃん。


 菖蒲は大きくため息を吐きうなだれた。


「正式には第二音楽室を横断した楽器庫の中にあるらしいけど、それがまたどんなに引っ張っても押しても開かないそうだ」


「でもなんで加奈ちゃんがその扉を開けたいと……」


「あたしの勇気と力こぶを周囲に自慢してやるのさ!」


 えっへん、と胸を張る加奈りんに再びため息。

 昔から知ってたが、加奈りんの探求心と自慢癖は相変わらず変わっていない。

 無論、神楽も分かっているので不安そうに目線を泳がせている。


「で、でもお兄様も七瀬君も言ってたよ。そういうお化けが出る所や七不思議みたいな所は行かない方が良いって」


「甘いぜ神楽ッコーヒーに砂糖30杯入れた位甘いぜ!」


――いや。

――それはすでに『コーヒー味の砂糖』だよ。



「そいつらは遠回しに“夢を壊すな”って言いたいのさ」


――嘘つけぇぇッ。

――明らかに危険だからって忠告してるじゃんか!


「あ、そうか」


「神楽あんた何納得してんのよぉぉ!」


 バシッと神楽の頭を勢い良く叩く。

 加奈りんのペースに呑み込まれ、ついついツッコミが表に出てしまう。

 叩かれた神楽は、ぐるぐると目を回して倒れ込んでしまった。

 もはや一対一の対決。


「さぁ菖蒲、神楽も納得したみたいだし今日の夜行くぞ」


「私はイヤッ」


「強情だな。もう多数決で決まったんだから」


「イヤッたらイヤ!」


 菖蒲は頬を膨らませながらぷいっと横を向いた。


――そんな所に行ったら面倒な事になるに決まってる。


 しかし加奈りんはにたにた笑っていた。


「帰りにアイス買ってあげるからさぁ」


「まだ冷凍庫にあります」


「じゃあ今度コンビニでジャムパン買って来るからぁぁ」


「私ジャムパン嫌い」


「……もしかして『怖い』の?」


 その一言に菖蒲は再び加奈りんを見た。


「図星?」


 楽しむようにこちらを見て来る加奈りん。

 確かに幽霊が出るという噂もある。怖くないと言えば嘘になる。

 でも『怖い』と認めたくなかった。

 怒りや恥ずかしさのせいか顔がかぁっと熱くなる。



「怖くなんかないもんッただ――……」


「じゃあ決定ッッ!」


 待ってましたっと言わんばかりに加奈りんが大げさに手を叩く。

 迂濶だった。


「ちょっと加奈り……」


――キーンコーン――


 菖蒲の言葉をさえぎる授業開始のチャイム。

 さっきまで話していた生徒達も急いで席に着き始めた。

 今や教室一杯に響くのは椅子を引くガタガタと言う音のみ。

 その中で加奈りんは、小さく舌をだしながらウィンクした。


「じゃあ今日の夜待ってんぞ」


「待って。私まだ行くなんて――……」


「後カメラ忘れんなよォあたしが扉を開けている証拠写真撮んだから!」


 一方的に用件だけ告げると、加奈りんは教室を出ていく。毎度の事ながらの授業放棄、恐らく保健室へ向かったのだろう。

 だが残された菖蒲は呆然とするしかない。


――私には、関係ないのに……。


 そうだ関係ない

 『扉』なんて関係ない。

 『扉』なんか――……


――と、びら。


 今朝の夢を思い出し、不思議と寒気が立った。

 菖蒲は思わず自分の二の腕を握りしめる。


 何かがおかしい。

 偶然過ぎやしないか。


 今日の夢と言い、加奈りんの誘いと言い、“扉”の話題がずっとつながっている。


 まるで“扉”を目印に、菖蒲の歩く道を新しく建設されたような。

 誰かが人生の地図を変えてしまったような。


 菖蒲の人生が大きく狂って行くような。


――気のせい、だよね。


 菖蒲は不安を隠すかのようにぎゅっと手を握る。



 “大丈夫、大丈夫”。

 そんな言葉をお守りにして――……。




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