2 開始
鏡に映る、自分の姿。
白い髪、白い肌、そして赤い眼。
鏡に、窓に、水面に、この姿が映る度、胸の奥が恐怖で軋んでいた。
ひとり異質なこの姿。何故か備わっている異様な力。
何故、と。
事実自分は人ではなかった。
だと言うのに。
自分はなんて、臆病だったのだろう。
救おうとしてくれていたサリュウ。
守る術を探り続けてくれていたバクザ。
そして、変わらず傍にいてくれる仲間。
なんて。
なんて、優しいのか。
差し伸べられた手を、掴む勇気を捨てていた。
振り解かれることを前提として、避けていた。
信じることを怖がり、傷付く準備を整えていたに過ぎない。
変えてやる。
自分を。
世界を。
「…よし」
スゥハは鏡の中の自分を真っ直ぐ見つめ、呟く。
その時、扉を叩く音と同時にルクスが入ってきた。
「スゥハ様、準備出来ました?」
「ん」
ルクスはスゥハの表情を確かめ、ちいさく笑った。
「よし、ではでは最後の仕上げです」
ふわり、とルクスの腕が背中に回される。優しく、しかし強い抱擁。スゥハも躊躇うことなく、ルクスを抱き締め返した。
引き締まったルクスの身体。スゥハよりも体温が高めの、ルクスの身体。
ああ。
ここは、何処よりもあたたかい。
スゥハは顔を傾け、頬をつけた。それに応えるように、ルクスはスゥハの髪に顔を埋める。
ふふ、とスゥハは笑みを零した。
「お前、さては緊張してるな?」
「あれ、ばれました?」
当然だろう。ナキの森は、ルクスの何かと繋がっている可能性が高い。そして結界が張られた部屋ではなく、外界だ。何がどう転ぶか分からない、これは大きな賭けとなる。
「大丈夫だ」
スゥハはルクスの頬に手を伸ばした。
「お前は私が守る」
ルクスは目を細めて笑った。
ゆっくりとふたりの額が重なり、鼻が触れ合う。
「先言われちゃった」
そっと戯けたルクスの言葉に、ふたりは笑い合った。
**************
ペペロイカの視線の先にはワイザードがいた。
昨日まで主張が激しかった無精髭は綺麗に剃られている。普段はだるんとした服装が殆どだが、今日は真新しい白い服に身を包んでいた。
俺は形から入るんだよ、と以前ワイザードは言っていたが、ペペロイカは理解している。
彼が術式というものに敬意を払っていることを。
破天荒で基本だらしないこの男が、最善を尽くす為に手を抜かないことを。
はあ、と胸に手を当てたペペロイカは溜息をついた。
「あ?何だお前、寝不足か?」
溜息に気付いたワイザードがペペロイカに声をかける。ああ違うわよ、とペペロイカは手を振った。
「今日のワイちゃん一段と素敵だと思って」
ワイザードは顔を顰めた。
「そりゃどーも。冗談はほどほどにしろよ」
あっさりとワイザードは視線を空に戻した。
冗談じゃないから、困ってんのよ。
胸の内で反論をしたペペロイカだったが、こちらもパキリと思考を切り替え、一本の樹を見上げた。
シャイネが先日見つけたこの樹。
痕跡が残るこの樹が、恐らく鍵だ。
うまく行けばそれは大きな一歩となる。
そして、その歩の行き着く先は、予想するに2択。
気付いているものはワイザード、ペペロイカ、シャイネ、そしてきっと、バクザ。
何としても、掴み取る。
空を突き上げるように伸びた樹は、さわさわと揺れていた。
「方向は6のままでいいか?」
ワイザードはカザンに話しかけた。
「6分割で構わない」
肩を竦めたカザンに、ワイザードはよし、と頷く。
「いいか?無理はするな。お前に責任を負わせようなんて思っちゃいねえから」
ぐいとカザンの目を覗き込みながら言ったワイザードは、しかしすぐに「あでも頑張ってくれたら助かる」と情けなく付け足しぽんぽんと肩を叩き去って行った。叩かれたカザンは顔を顰め、徐に肩を払った。
「始めるか」
バクザの声が響く。
頷いたワイザードが、樹の根元から数歩離れた地面に跪いた。
地面に触れるか触れないかの位置を人差し指で指し示し、紋様を描いていく。ワイザードの指先が通った道筋が、微かに光っている。
ワイザードという男が第1研究所の所長に抜擢された理由は、頭脳だけではない。
ワイザードは付与術式を扱える術者だった。付与術式とは、主に対象の能力を強化することが可能な術式である。通常、僅かに威力を上げることが出来る止まりであり、且つ対象の能力の構造を理解していないと共鳴することが出来ない。術式は個人の体質に依るところが大きく、扱えるものは限られているのが大前提だ。その為、誰でも扱える程度の基本的な術式能力を、ほんの少し向上させるだけの、言ってしまえばかなり地味なところに付与術式は分類されている。
しかしこのワイザードという男は、本来自身では扱えない範疇の能力をその頭脳で以て理解し、付与する。おまけに付与の大きさが尋常ではなかった。
ミレは自身の能力について理解出来ていない上、術式の回路が発達していないため共鳴することが不可能だった。
だが、凄まじい容量の力を保有し、それを自在に操るカザンなら、ワイザードの付与術式に耐えうる。
そしてワイザードはカザンの「見える」という感覚を、既に理解していた。
ワイザードの指先が止まる。付与術式を描き終わったようだ。
「5重…」
ゼンが息を飲む。ワイザードが描いた紋様は5つの円から構成されていた。
ワイザードがカザンに目をやる。表情を変えることのないまま、カザンはその円の中心に立った。
左右に頭を振った後、空を睨みつけ、そして目を閉じた。
「いくぞ」
ワイザードは紋様の一部を、まるで水面に触れるようにちいさく弾いた。
一瞬のうちに淡い光が描かれた線を走り、カザンの身を包む。
ゆっくりと開いたカザンの目は、不思議な色を湛えつつ空を射貫くように見つめていた。




