3 傷を抱いて
乱拍子を繰り返す自分の呼吸。
殴られた頬と腹、そして切られた脚の痛みによって脳内がとめどなく回転している。
薄暗い森の中、無様に土の上に潰れている自分。
それを囲むように数人の男たちが会話をしている。
―どうする?一応殺しとくか?
―いや、どうせすぐ死ぬ。あんまり切創残すと後が面倒だし、放っておけば獣ちゃんが食ってくれるさ。
―食い荒らしてくれりゃあ、まあ安心だぁな。
―そゆことよ。
―しっかし可哀想にねえ。こんな子供、気にしなきゃいいのに。
―気になっちまうのがお偉いさん方ってもんよ。ま、今回はとりあえず殺しとけってくらいだろうけどな。
―ひでえもんだぜ。
―嘘つけよ、金としか思ってねえだろ。
―チャリンチャリンってか。
ゲハハ、と笑いながら男たちは去って行く。自分には一瞥もくれずに。
は、は、と呼吸をしながら、まるで水のようにさらさらと涙が流れていく。
痛い、痛い、悔しい、痛い。
次第に乱拍子には休符が差し込まれていく。
痛い、 いた い、
ゆる さ な い。
自分の荒い息が聴こえる。
それ以外は樹がざわめく音、虫の羽音。
もう足音は遠ざかったようだ。
痛い。
眼球だけ、動かす。
千切れかけた脚から溢れた血が、まるで自由を求めるように土に広がっていく。
嫌だ。
血は広がり続ける。
せめて土が吸ってくれればいいのに。この血にはその価値すらないのだろうか。
自分の生とは、何だったのだろう。
こんな、無意味な終わり方しかなかったのならば、何故生まれてくる必要があったのだろう。
みんな、壊れてしまえ。
次第に細くなる息で、音にならない呪いの言葉を吐く。それしか、もう出来ない。
みんな、消えてしまえ。
土に爪をたてることももう叶わない。
だんだんと静かになってきた自分の身体。保つものが減ったからなのか、不思議と離れた場所の足音が内部に響いた。血の匂いを嗅ぎつけた獣だろうか。喰い荒らされた自分の残骸を想像する力も残っていなかった。
そっと目を伏せる。
ただ、最期に思うのは。
消えてしまえ。
すべて。
しかし少女は意識を手放す前、心底嫌そうな声を聴いた、
気が、 し た。
「うわ、きたな…。なにこれ」
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飛び起きたリラは、一瞬ここが森の中のように感じてしまった。
違う、ここは客室、寝台の上。
額にはびっしりと汗が滲んでいる。
震える手で自らの脚を摩る。
大丈夫、大丈夫。
生きている。
呼吸を整え、のそのそと膝を抱えて蹲る。自分の皮膚を、骨を、生命を抱く。
ヨルシカはきっと優しい。自国では考えられないほど、他者を重んじる人間がここには多い。
この国に生まれていたら、自分は違った人生だったんだろうな。
同じ年頃の女の子とお洒落をして、恋をして。
大好きな人と結ばれて、子供を授かって、たまのご馳走を喜んで。
そんな、ありふれた毎日があったんだろうな。
もう自分には何もない。誰もいない。
せめて、決着を。
衣服の上から脚を触る。
そこにある印。
いつの間にかリラにとって約束の証のように感じていたそれは、カザンには無意味なものだったのだろう。
でも彼を恨みはしない。
ただ、本当の事を知りたいだけ。
知って、この不毛な存在を終わらせるだけだ。
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「失礼します」
バクザの執務室から退室したヨルシカは少し歩き、離れた位置で壁に寄りかかった。
ふう、と息を吐く。そして思考を切り替え、再び歩み出す。
以前カザンについて話そうとした時、バクザに遮られたことがあった。恐らくあれは白い子どもに聞かれるのを防いだと思われる。となると、バクザがカザンと協力関係にあるそれは、白い子どもには知られてはならない内容、ということだ。
カザンへの面会を求めるにおいて、リラの嘆願であることを表立って言わない方が吉と判断した。バクザが準備している何かを、万が一にも邪魔してしまうようなことは避けたい。その為、罪人であるカザンの調査を自分からも申し出る、という形で会話をした。
うまく伝わらないこともあるかと、筆談の可能性も鑑みていたがバクザはあっさりと了承した。
聡明なバクザである、ヨルシカの目的が調査ではないことは分かっている筈だ。ということはバクザとカザンの話し合いは、ある程度決着がついているということだろうか。
―私も、もうすぐ動くつもりだ。
バクザはそう言っていた。何をしようとしているのか。何年間、彼は耐えていたのだろうか。
ここ数日は自分の無力さを様々な角度から突き付けられるようで、惨めになる。
しかし無力だからと言って、逃げ出すつもりは毛頭なかった。
元々ヨルシカは自分に才覚があるとは思っていない。知力、武力、どれをとっても最善を尽くした上で優止まりだ。
その程度の、器。
だから何だというのか。俺が英雄になる必要はないのだから。
傑出した存在たちが才気縦横に疾れるよう、俺は切り拓くのみ。
それが俺に出来る、精一杯の強がりだ。
父との差に陰で苦しんだ青年は、自分なりの矜持で武装する。
それがどれ程尊いものか、理解をせずに。
ヨルシカは足を止め、扉を開いた。
「おや、お久しぶりですね」
振り向いた奇術師は首を傾けて、笑っていた。




