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たかが世界の終わり  作者: 森大洋
森のなか
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2 行き場のない想い

ヨルシカは鏡に映る自分の姿を見つめた。

うっすらと隈が出てきてしまっている。上に立つ者として、疲れ切った姿を見せたくはない。何より、自分より過酷な運命に翻弄されている弟が前を向いているのだ。兄である自分が立ち竦んでいる訳にはいかなかった。

兄と弟。

血が繋がっていないとしても。人と、それ以外だとしても。

大切な大切な。弟、スゥハ。

そっと目を閉じる。瞼の奥で記憶の欠片たちが好き勝手に乱反射を起こす。

あの日。人外であることが分かり、閉じ籠もっていたスゥハとルクスが消えた夜。

本当に息が出来なかった。体の内部の構造が変動するかの如く全身が震え、バラバラと崩れてしまいそうだった。必死に鼓舞し、冷静に指示を重ねていたが頭の中は恐怖が吹き荒れていた。

そう、怖かった。

もう会えないのか、自分は見守ることすら出来ないのか。

しかしふたりは戻って来た。涙を隠すスゥハとそれを愛おしげに見つめるルクス。ふたりが、より強く結び合ったことは明らかだった。

その姿を見つめ、皆と共に笑いながらヨルシカは静かに胸に手を置いた。

良かった。ルクスはスゥハにとって代えるものなどある筈もない、唯一の存在だ。

俺ではきっと救えなかった。

出会った頃も、スゥハの心はルクスによって救われたように思う。

俺ではきっと救えなかった。


俺ではない。


ヨルシカは愕然とした。そう思っている自分にではない。その事実、それこそに。

これが何なのか分からない程愚かではない。それに名前をつける程浅ましくもない。

ただ、心の内を整理した。淡々と。

小部屋に入れ扉を閉め、代わりの名前を割り振って。

そうして純粋に幸せを願う。

たまに扉が開きそうになると、敢えて離れた小部屋の扉を開放しそちらについて考えるのだ。

そう、今考えるべきことは。

リラ。

昨日執務室に戻る途中、リラに呼び止められた。

「ほんの少しでいいのです。どうかお時間をいただけないかしら」

明らかに憔悴していたリラは、泣くのを堪えるかのように必死に言葉を紡いでいた。帰国を促されていながらもそれを跳ね除け続けているリラ。ヨルシカは逡巡し、溜息混じりに頷いた。

「承知しました。では執務室でよろしいでしょうか」

ありがとう、と目を伏せ、リラは静かに一歩後ろに下がった。



「それで、ご用件は?」

執務室のソファに座り、早速ヨルシカは本題に入った。正直時間は幾らあっても足りない。あまり駄々に付き合ってもいられないという思いがあった。

「カザンに会わせて欲しいのです」

「申し訳ございませんが出来かねます」

カザンは犯罪者という立ち位置にあることに加え結界内に閉じ込めている状況だ。そしてそれは現在バクザの管轄下にある。バクザとカザンが果たしてどのような会話をしているかは不明だが、もう事態はルロワナ=タルセイルやウォルダ国とは離れたところに進行しているのだ。こちら側としてはリラには事を荒立てずに出国してもらいたい。

「カザンのことはこちらで調査いたしますので、もうウォルダへお戻りいただく方が良いと思います」

あまり長く国を空けるのもよろしくないかと、とヨルシカは続けた。

しかしリラは唇を噛み締め、小さく震えていた。

「…大丈夫ですか?」

労わろうとしたヨルシカは、リラの表情を見て言葉に詰まってしまった。誇り高い彼女は目から涙を零さない。しかしまるでそんな誇りを投げ捨てるような、情けないほどに必死な表情をしていた。

「…カザン無しで帰国することは、私にとって自殺と等しいわ」

「…どういうことです?」

「この国で生まれたのなら分からないかもしれないけれど。王族は家族とは別の生き物よ。でも、もうそれならそれでいいの。だけど…」

ヨルシカは他国の式典に出席することもあるし、令嬢と挨拶を交わすことも少なくない。かなり見目麗しいこともありなんとか気を引こうとしてくる女性にはある程度耐性がついているつもりだった。だが、リラはそんな打算や上辺の装飾ではなく、本当に極限の状態にあるように見えた。自らが乗るその細い綱の上、しかしどうにか前を向こうと。

「カザンが、何を考えていたのかを知りたいの。ずっと一緒にいたのに、私は騙されていたのか。せめて、それを知って、自分の価値に納得してからじゃないと…」

「…」

ヨルシカは何も言えなかった。自分の価値?大国の王族が吐く言葉とは思えない。そして、まるで自分の価値に納得した後ならば死ぬことも許容するかのような口ぶりだ。

彼女が乗る綱は細く、長い。向こう岸が見えないほどに。そしてリラは辿り着く事を諦め、涎が糸をひきながら口を開けて待つ奈落に、墜ちる時期だけを考えているように見える。

「…私との約束、忘れちゃったのかな…」

気丈な第9王女は、重くなった仮面を外し孤独な少女となっていた。ヨルシカはその姿に同情と、何故か少し共感を覚えてしまった。

「…残念ですが、面会させるわけにはいきません」

少女の瞳は虚空となった。あとは足を踏み外し、真っ逆さまに墜ちるだけだ。

ですが、とヨルシカは続ける。

「ですが、私から確認することは可能かもしれません」

リラが顔を上げる。真っ直ぐにこちらを見つめるヨルシカの目。

男装の麗人をかなぐり捨てた少女は感情のまま、顔をぐちゃりと崩した。

顔を伏せ、か細くも歩んできた道の過酷さを感じる音をヨルシカに伝えた。

「ごめんなさい」

裏腹に音を立てず、リラの膝が一滴の雫で滲む。


「ありがとう」






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