10 白い檻
スゥハの静かな声が部屋に響いた。
「お疲れではないですか?」
「問題ありません」
セイシアの変わらない平坦な返答に、スゥハは頷いた。
今日はヨルシカ、ミハクがいない。ヨルシカはバクザに同席を求めたが、断られたと言っていた。そして彼自身も調べたいことがあるようで、別行動となっている。頼んだよ、と唇だけで笑っていた。ミハクは状態観察の体で世界樹の元に向かわせた。セイシアと接触している間、世界樹である白い子どもが耳を澄ましているのであれば、何かが起きないとも限らない。『耳を澄ます』という行為の規模、危険度が分からないこともスゥハたちには問題だった。
セイシアは変わらず椅子に座り、ソファの片側にスゥハとルクス、そしてスゥハの肩にオーマ。対面にはワイザードとシャイネ、ゼンが座っていた。ゼンは立っているつもりだったようだが、「ぴーちゃんだけ立ってんの意味分かんない、てか後に立たれんのやなんだけど」というシャイネの率直な意見により、無理矢理着席させられていた。
「早速質問いいっすか?」
シャイネが言葉を発した。スゥハは視線で了承の意を表す。
セイシアはこちらの疑問を先回りしてはくれない。人ではない存在だからか、こちらが先ず何を必要とし何が理解出来ないのか、掴むことが出来ないのだろう。そして疑問ひとつに答えたとしても、それが回答として満ちているかどうか、判断が難しい。意図していなくとも決定的に不足していることがあり得るのだ。
ここは探窟家のように掘り下げ、自由に方向転換出来るシャイネに舵をとらせるのが最善と思えた。
「大事なこと。白い子どもは、何を聴いているんすか?」
「…この島の声です」
「人々の会話ってことですか?」
「そうですね」
「全部?」
「全部…ではないと思います。耳に届いた声を、ではないかと」
「何のために?」
ここでセイシアは少し首を傾げた。まるで今までお喋りをしていた相手から、あなたはだあれ?と突然聞かれたかのように答え方が分からないようだった。
「何のために…?」
「白い子どもは世界の浄化が役割なんすよね。世界樹になって、浄化を発動したんだから役割としては軌道に乗ってる。何の必要があって、島の会話を聴いているんですか?」
「…」
「浄化が正しく機能しているか、ですかね。でも世界が汚染される原因は下の世界の侵食っすよね。あたしたちがどうこう出来るもんじゃない。そして汚染具合なんて、白い子どもが一番分かる筈。ってことは浄化とは別の目的かと思うんす」
シャイネは大きな目でセイシアを見つめた。決して試すような挑戦的な色ではなく、ただただ真っ直ぐに。
「人間を監視しているのでは?」
セイシアは動かなかった。静かに止まったまま、シャイネを見つめ返している。
「いや、ちょっと待て。この島を浄化した存在なんだろ?ただ行く末を見ている、見守っているということだってあり得る」
ワイザードが言った。しかしそれは擁護が目的ではなく、敢えて違う角度の意見を表に出したに過ぎない。検証を深くするべく、投げた棄て石だ。それをシャイネも分かっており、頷いて受け止める。
「勿論その可能性もあります。そこで気になるのが、白い子どもは果たして耳を澄ましているだけなのか?という点」
先程チャコチャから聞いた話を胸に置きながら、スゥハはセイシアを観察する。
表情は動かない。
「何か、他の干渉をしていませんか?」
恐らくセイシアは揺れている。人間のことを完全に理解することは出来ない、しかし今こうしてスゥハたちと関わりを持っているということは少なくとも不和を感じ始めている筈だ。その対象が、空の世界なのか白い子どもなのかは分からない。
「…調整が必要と判断した際は、恐らく」
セイシアは答えた。
「それは例えば白い子どもを否定するような存在を排斥したり、でしょうか?」
「はい」
「つまり、死に至らしめる?」
「時には」
「…堪んねぇな」
ワイザードが溜息をついた。
スゥハはヒュンケの死を思い返していた。
不自然なほどに、万全な死。
あれは白い子どもによる、調整という名の排斥だったのだろうか。だとしたら、ヒュンケは白い子どもの存在、世界の成り立ちを知っていた?何故だ?
ジルキドは間違いなく知らない筈だ。そして島を荒らした張本人のルロワナ=タルセイルが調整を免れているのは、国外の者だからか?それとも彼は白い子どものことは知らなかったため、対象とはならなかった?
スゥハは息を吸い、正しく吐いた。
そして、質問をする。
「調整とは、人の記憶にも干渉しますか?」
「もしかしたら可能かもしれません」
そうですか、と呟く。
シャイネが再び口を開いた。
「人間を監視している、という考え方に対してもうひとつ裏付けがあると思っています」
ここで、んー、とシャイネは腕を組み、しかし淀みなく話し続けた。
「あんまり気持ちがよいものではないっすけど。えー、誰かが亡くなったら弔いますよね?この世界、ほぼ共通の行為として。よっぽどの非常事態でなければ、大体が遺体を棺に入れて埋葬する。残された人々は黒い衣服に身を包み、それを見送る。この黒は悲しみであったり沈黙であったり、そういったものを表現していると言われています。ですがこの国だけ、真逆です。遺体は白い布でくるむのみで棺には入れない。参列者は白い衣服に身を包む。昔っから何でかなーと疑問ではあったんすけど、これは島の人間が白い子どもに対して、意思表示をする風習なのではって思ってるんです」
「意思表示…?」
ゼンが聞く。
「そう。白い子ども様、私たちは貴方に逆らいません、っていう隷属の表明。200年前、白い子どもを強制的に犠牲にしたことで逆に人間たちは恐れたんじゃないかって思うんす。いつ何時、裁きが下るか分からない。ならば諂うしかない、と。胸糞悪いっすけどね。そうなると棺にも入れない遺体は、剥き出しの捧げ物ってことかと」
シャイネの話を、セイシアは表情を変えずに聞いていた。
「この国が興る前の歴史が殆ど残されていないことの、有力な推測がこれっす。人間は過去自分たちが犯した罪を、まさに島ぐるみで隠蔽したんです。まああくまで仮説ですけどね。んで、これがもし合ってるとすると、です」
シャイネは人差し指を立てた。
「そんな人間を、世界を、白い子どもが大切に想うとは考えにくい。白い子どもは、今も裏切りがないか耳を澄ましているんじゃないすかね」
シャイネは人差し指以外の指も立て、まるで何かを掴むようにやや丸めて下に向けた。
「そう、白い子どもという生贄自体が、檻となって世界を閉じ込めているんです」




