7 程良い後日談、なんてもんじゃない
知らない天井。
目が覚めたタグリットは思考が起動するまで数秒を要してしまった。
そうだ、ここは城下町の宿屋だった。
激動すぎる昨日の出来事を反芻し、はァァ、と人生で一、二を争う深い溜息をついた。
あの後、風の領の警備隊が異様に早く到着し、テキパキと蛇の男たちを検挙していった。といっても大半が意識を手放している酷い有り様ではあったが。そしてタグリットは安全が確認されるまでは自宅には戻れない、と告げられ、しかも今回の事情説明も兼ねて王都へと招集をかけられてしまったのだ。何やら警備隊と話していた白達とは別の馬車に乗せられ、半ば有無を言わせない形で王都城下町の宿屋まで連行された、というわけだ。
確か、隊の人が昼前に迎えに来ると言っていたはず…。それまでに、朝食は腹に入れておかねば、流石に体力が続かない。
のそのそと寝台から降り、服を着替える。この服も、隊員が何故か用意してくれたものだ。失礼のないよう明日はこれを着用してください、と。どういう意味だろう。自分の服は失礼なのだろうか。確かに、この服より質は悪いかもだけど…。
「なんだかなあ…」
部屋を出て、食堂スペースのある一階に降りる。そこはこれから仕事にいく人や観光に行く人、それぞれの人生が交錯するような独特のエネルギーに満ち溢れていた。
空いている席に座り、注文したオムレツとパンをコーヒーで流し込む。空間の喧騒から自分一人が切り出されたような感覚。タグリットはこの感覚が嫌いでは無かった。
さて、考えをまとめよう。昨日の件の事情聴取なのだから、白達も呼ばれているはずだ。何故別の宿屋に分けられたのだろう?聴取前に落ち合うことは出来るだろうか。蛇の男のことはいくらでも話すが、自分の能力に関してはあまりおおっぴらにしたくはなかった。あの2人だから、何故か正直に話してしまったが、今までの人生で人に教えたことはほんの僅かだ。まあ、それでもきちんと説明をしたわけではないから、こちらが暈せばそれが事実として受け止められるだろう。ひとまず、クリア出来るとあたりをつけた。
違和感を感じているのは、何故態々王都まで招集されたのか、ということだ。聴取だけならば風の領でも出来るはずだし、1泊させてまでここに呼びつける理由が分からない。考えられることとしては、蛇の男が犯した罪が国家レベルの事案であり、扱う機関がだいぶ限定されること、だ。違法な遺物を所持していた可能性があるので、その存在如何によってはこの事態になってしまうことは、あり得る。
「めんど…」と、天を仰ごうとしたタグリットは丁度食堂に入ってきた男と目が合った。明らかに鍛え上げた、統率された筋肉で構成されている様子から、早くも迎えが来たのだな、と理解する。案の定男はこちらに向かって真っ直ぐ進んできた。
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馬車は粛々と王宮へと進んでいった。
生まれも育ちも郊外のタグリットは、窓から外の様子を眺めては自分の境遇に不思議な気持ちで向き合っていた。
この国の王宮とは、王族の居住区以外も国営に必要な各部署の建物が集結した形になっている。王政とはいえ、この国は絶対君主という仕組みではない。王とは象徴でこそあれ、権力が集中し過ぎないよう、バランスが整えられている。その仕組みを構築したのが他でもない王族なのだから、民からの信頼は篤い。そのような国の風土が現れているかのように、王宮は建物は立派ではあるが、決して豪華絢爛ではない。堅実で、不必要な華美さを避けたように感じる。とは言え、柱の一本、石の一つとってみても手入れがなされていて、威厳がある。こういった場所に興味がなかったので手持ちの前情報が空であるが、正直城のような建物かと思っていた。しかしこの土地は、恐らく各部署それぞれの建物となっており、互いが連携しやすく、且つ距離を保てるように設計されているようだ。非常に合理的。やはり、仕事の効率は空間の居心地の良さにある程度比例すると思う。きっと仕事の出来る人々ばかりなのだろう、緊張するなあ…。
そんなことを考えているうちに、一際大きな建物の前に出た。明らかにこの建物だけ、位が違っていた。
あれ…一番立派な建物って、この国一番のひとの建物なんじゃ…。
今から自分が会う相手が、もしかしたらとんでもない高位の人物なのではと思い、一気に血の気が引いていく。話が違う、というかそもそも話がないから違うかどうかも分からない。ああだから態々着替えなんか用意してくれたんだ、と頭を抱えたタグリットを乗せた馬車はしかし、その建物を飄々と通過していった。
「あ、あれ…」
よくわからないが、命拾いしたようだ。命拾いって、改めて考えると恐ろしい表現である。命を拾うってことは、命が落ちたってことなのだから、とんでもないことである。まあ折角拾えたのだから、埃をはたいて今度は落とさないよう胸にしっかり仕舞わねば。思考が浮遊し始めたところで、馬車が止まった。先程の大きな建物から、少し奥に入ったところに位置する建物は、他と比べるとどこかしら柔らかい印象だった。
恐る恐る馬車を降りると、目の前の建物の入り口に誰かが立っていた。その人物は手元の書類のようなものに目を走らせていたようたが、こちらに気付くと、大きく手を振った。
「どもっすー!こっちっすー!」
予想だにしなかった砕けように、思わずズルリとしてしまう。てくてくとこちらに歩いてきたのは、小柄な女性だった。大きな目、赤めの髪を無造作に後ろで束ね、白衣のようなものを羽織っている。
タグリットの目の前まできた女性は、大きな目で真っ直ぐ見つめてきた。タグリットよりも背が低いので下から見上げる形になるにも関わらず、何か弱さを微塵も感じさせない、当然のごとく対等であるかのように、堂々とした目だった。
「こんにちは。あたしはシャイネ。よろしくっす!えと、タグリットさんですよね?」
くい、と腕を伸ばしたシャイネと握手をする。
「は、はい、タグリットです」
「じゃま、どぞ!」
大きく腕を広げたシャイネが、建物の中へと誘う。まるでピクニックが楽しみで仕方がない子供のように、少し弾むように彼女は歩く。ただ表情は特に余分に浮ついたものではないため、恐らくこの歩き方が普通なのであろう。
「色々説明はまだだと思うんすけど、まあ百聞は一見に如かずだからとりあえず本丸から説明しようか、ってなことで」
「はあ…」
相変わらず良くわからない事態に変化はないが、最早行くところまで行くしかないのだな、と理解し説明の催促は諦めてしまった。
「ここっす」
いくつかの部屋を通り過ぎたシャイネは、一つの扉の前に止まる。遊びに誘うような気軽さで、トトトン、と扉をノックする。
「シャイネっす。お連れしました」
中から扉が開く。扉を開けたのは、初めて見る青年だった。部屋の中は中央に応接用のテーブルと両側にソファ。部屋の奥には執務机があり、その席には白が座り、傍らにルークが立っていた。白はタグリットと目が合うと、にこりと微笑んだ。
「こんにちは、タグリットさん。お越し下さりありがとうございます」
立ち上がりソファを示しながら、自らもソファに座る。てっきり白も自分と同じ境遇に見舞われていると思っていたので、この状況がますます謎である。しかしとりあえずこくり、と小さく頷き、白と向かいの側に腰をおろす。白の背後にルーク、扉を開けた青年、シャイネが立つ。
「先ずは、ご無事でなによりです。今日は昨日の件の聴取という訳ではございません」
「えっ」
「あの件はこちらで処理いたします。貴方についても、巻き込まれたという点以外に今後追求されることはありません」
少しの安堵と、新たに生まれた疑問で一進一退だ。早く終着点を教えてほしい。
「タグリットさんの家でお話した、力をお貸しいただきたいという件。正式に、お願いしたいのです」
白はそこで言葉を切った。
白、そして後ろの3人からじっと見つめられているこの状況で、タグリットは恐らくもう自分には断る、という選択権が掴めないかもしれない、となんとなく悟った。
なにからお話したものか、と小首を傾げた白は、
「この国には寿命があるのです」
と予想の範疇外、というかそのカテゴリーの存在すらなかったレベルの珍妙な言葉を発した。
「ご存知のとおり、我が国は島国です。他国と交易はありますが、文化や歴史はかなり異なっています。遺物、という存在に関しても。遺物の効果がこの国に限定されることは?」
「は、はい、なんとなくは。ええと、だから交易材料として他国には出せないし、他国もこの国限定の効果ならば侵略に使用される恐れもないのでそこまで問題視されていない、と理解していますが…」
「そのとおりです。そもそも、何故この国にだけ、遺物があるのか?この国の成り立ちは、不可思議なことが多いのです。私達は、何かを知らない。そしてそれはこの国の寿命に恐らく深く関係している」
「あ、あの…国の寿命とは…?他国から侵略される、という意味でしょうか?戦争が勃発する恐れがある、と?」
「違います。寿命とは、そのものの意味。この国は、過去2回、死にかけているのです。そしてそのたびに息を吹き返した。とある行為によって。そしてまた、緩やかに死に向かっているのです。タグリットさんにお願いをした、救いたい樹、とはこのことに関係しています。私達は数年の調査の結果、王都より南東に位置する、ユール大森林の中のひとつの樹が、この国の成り立ちと密接に関わっていると考えています。ただ、この樹、私達は世界樹と呼んでおりますが、世界樹が衰弱している。貴方の力を借りたいのは、この世界樹を守り、解析したいからです」
話が大き過ぎて、タグリットは噛み砕けないでいた。この国がやばい、やばい原因を探るには世界樹が手掛かり、でも衰弱しているから俺の力がいる、と…。むむ…。
「なるほど…、ですが、正直俄に信じられない部分も多くて…。皆さんは、その特命を受けて調査を…?」
「まあ、だいたいそんなところだな」
後ろから突然声がして、タグリットはびくりとしてしまった。いつの間にか一人の青年が扉の前に立っていた。恐らく気がついていなかったのはタグリットのみで、白達の表情に変化はなかった。振り返って目が合った青年は淡い金色の髪のこれまた美丈夫で、なんだかタグリットは美の世界基準が知らぬところで勝手に上昇し、自分はその波に乗れず指を咥えている気持ちになってしまった。
「君がタグリットだね。よろしく」
す、と握手を求められ、あ、どうも、と頭をさげながら手を握り返す。しかしながら、この青年の顔には見覚えがあった。どこだろ?
「私はヨルシカ。一応王太子だ」
イチオウオウタイシ。
ふむ。
一瞬の間の後、タグリットはガバリと顔を上げた。そうだそうだそうだ!!!新聞の挿絵や王太子の生誕祭があった時の装飾で見たことがある。あの頃よりも大人びてはいるが、この顔だ…!
「えああ!あの、大変ご無礼を…!!」
焦りまくったタグリットを見て、白が口を挟む。
「殿下。からかうのはおやめください」
「殿下なんて、つれないなあ。この部屋では無礼講って言っているじゃないか。いつもみたく兄さん、でいいよ」
悪戯ぽく、ぱちりと片目を瞑ってみせるヨルシカ。しかし、タグリットはそれどころではなかった。
「えっ、兄さん…?」
恐る恐る白を振り返ったタグリットは、困ったように肩を竦めた。
「ちゃんと説明するつもりだったんだよ。では改めて。私はスゥハ。そこにいるヨルシカ王太子の弟で、肩書はまあ第二王子、そしてここ特別第三研究所の所長を兼任している」
「ちなみに俺はルークじゃなくて、ルクスね」
にかっと、ルーク改めルクスが手をひらひらと振った。
胃がキュッとなる音を聞いた気がする。口の中にも何か酸っぱいものを突っ込まれたようだ。
全臓器が悲鳴を上げ、完全に思考回路が千切れたタグリットは大きく息を吸った。
「…粗茶出してすみません…」
天を仰ぎ、懺悔のように呟いたまま停止したタグリットをシャイネが不思議そうに見て呟いた。
「所長、タグリットさん召されちゃった」