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たかが世界の終わり  作者: 森大洋
紐を解く
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1 愛おしい錆

部屋の中に居るのはスゥハ、ルクス、セイシアの3人。

セイシアは音も無く椅子から立ち上がり、スゥハに歩み寄った。

「少し、よろしいですか」

言いながら手を伸ばす。ルクスはほんの一瞬、制止しようと身体に力を入れたが、直ぐに思い直す。何故だか分からないが、恐らく重要なことなのだろう、と判断をした。

伸ばされたセイシアの指先はスゥハの頬に触れ、やがて両掌でそっと包む。スゥハは抗わず、ただセイシアを見つめていた。セイシアは微かに顔を動かしながらスゥハの顔を丁寧に眺めていった。時折目を細めながら、頭を傾けながら、大切なものの無事を確かめるかのように、ゆっくりと。そして彼女の目はスゥハのそれと交わった。

「不思議です。そんな筈はないと知りながら、何故か重なります」

何と?頭に生まれた問いを、しかし今は言葉にせず触られるまま、スゥハは沈黙を続けた。

「貴方は、塗り潰されない」

ぽつりと呟き、セイシアはルクスを見た。

思い浮かべるはひとりの女性。


―お願いっていうか、私の祈りに近いんだけどね。


本当に、不思議だ。長い長い時間の中で、自分はきっとどこか錆びてしまったのかもしれない。

セイシアはスゥハから手を離し、一歩後ろに下がった。

そして、変わらない声色で、宣言をした。

「お知りになりたいことを、お話します」



****************



結界の張られた部屋の中、向かい合ったソファの片側にヨルシカ、スゥハ、ルクスが座り、その後ろにミハクが立つ。対面にワイザード、シャイネ、後ろにゼンが立っていた。そして椅子にはセイシアが座っている。

バクザはいない。既に知っている内容、ということなのだろう。スゥハは隣にいるヨルシカをちらりと見た。先日から少し様子に違和感を感じてはいるが、確認はしていない。今もその表情に疲労の陰はあるものの、何かがあれば伝えてくれる筈、と信じている。

背筋を伸ばして椅子に座っているセイシアは、凪のように話し始めた。

「長い話になると思います。何からお話しましょう」

「ちょっといいか」

ワイザードが軽く手を挙げた。

「俺はまだあんたを信用していない。それはそれは長ーい時間口を閉ざしていたのに、何故今突然話し出す?そこが釈然としない」

「分かりました」

目の前で皮肉をまぶしてみせたワイザードに少しも動じることなく、セイシアは頷いた。正確に対応をするその様は「人ではない」という事実に真実味を加えている気がする。

「では先ずそこから。理由は2つあります。ひとつは、ミレさん、と言えるかもしれません」

淀みなく語るセイシアだが、ミレという名前は不思議とちいさく力が入っているように感じた。何故だ?スゥハは内心首を傾げた。

「私は人とは別の存在です。人の常識からは恐らく外れた、長い時間を生きています。ただ、人では無いため理解出来ない感情や理屈が、沢山あります」

セイシアは間をおいた。記憶を紐解いているのだろうか。

「私はセイシアとして存在する際は孤児院に身を置いていました。様々な人と関わりました。もうかなり昔のこと、ひとりの男性からある物をいただきました」

彼女の指先が何かの感触を思い出すかのように、動いている。

え、なにもしかしてこれ恋バナ?とワイザードはシャイネを振り返って言う。ゼンは後ろからワイザードとシャイネの間に手刀を入れ遮った。ただ悲しいことにシャイネは微塵もワイザードを視界に入れていなかったが。

「その方は芸術家だったようで、子を抱いた石像を作り、私にくださいました。贈り物を貰ったら御礼を伝える、という作法は知っていましたから、そのようにいたしました。その方は笑っていました」

スゥハはその場面に想いを馳せてみた。

芸術家が自分の作品を贈ることは、単純な行為以上の意味を持つことだと思う。そして、孤児院に勤める女性に子を抱く像を作るなど、モデルは貴女と言っているようなものだ。下世話な想像かもしれないが、その男性はセイシアに恋慕の情を抱いていたのだろう。機械的なセイシアだが、そんなところも芸術家という変わった視点を持つ人物にとっては興味を惹く部分だったのかもしれない。だが単調な感謝の言葉に、自分の想いは受け取ってもらえなかったと解釈した、別れの微笑みだったのではないだろうか。

「不思議と、その時のその方の表情をよく思い出しました。私は何か間違ったのだろうか、と。それからもセイシアとして存在し続け、かなり時間が経った頃」

セイシアは両の指先をそっと重ねる。

「院の子どものひとりが、引き取り手が見つかり出ていくことになりました。その子どもが思い出にその石像が欲しい、と」

部屋にいる全員が静かに話を聞いている。臆することなく、セイシアは話を続ける。

「私は差し上げました。その子どもは、ありがとう、忘れない、と言っていました」

あの時自分が返した感謝の言葉と、その子どもが自分に捧げたありがとうという言葉。何かが違うことは分かった。だが、何が違うのか分からなかった。

「オーマと同じく、私は他にも姿を変えられます。私は鳥になり、その子どもの成長を何度か見に行きました」

セイシアは鳥になっている時を思い出しているのか、少しだけ上を向いた。

「その子どもがやがて大人になり、結婚をし、子が生まれ、時が幾度と進む中、あの像は壊れていました」

恐らく聴き入っている全員が、もう話の結び目は分かっている。だが、話を遮る気持ちにはならなかった。それは気の遠くなるほどに永い、セイシアの物語。

「何故でしょう、なのに私はそっと眺め続けました。そして時が経ち、ある日その像は元の姿に戻っていました」

セイシアは目を軽く伏せた。

「それからは像を蘇らせてくれたミレさんを、偶に見つめるようになりました。そして危険が及んでいることを知り、あの日何故か…」

スゥハはちいさく頷いた。

「ミレさんからありがとう、と言われました。私は喜び、というものを理解しておりません。ですが、像をいただいた時の私の感謝の言葉は、足りていなかった。私は、またあの像に会えて、きっと嬉しかった。長い時間存在する私は、存在していないと同じなのに。何故か、見つけてもらったような気がするのです。叶うなら、もう一度感謝を伝えたかった。でもそれは出来ません。人の生は短い。短い時間の中で強く願うものがあるなら、私がそれを繋ぐことが出来るとしたら。そう、初めて考えたのです」

スゥハはミレと対面した際のセイシアを思い出していた。

あり、が、とう。

もしかしたらそれは形式として伝えただけの、自身の拙い感謝の言葉だったのだろうか。それとも旅立ちの日に泣きじゃくる子どもの言葉だったのだろうか。分からない。しかしセイシアの琴線に触れ、動かない筈のものがちいさなものたちの積み重ねによって、傾きを変えているのは確かだ。

「私の役割は継続です。それ以外のことを、知りません。手を出してはならない筈なのに。…恐らく、私は壊れてきているのでしょう」

「そうとは限らないと思います」

スゥハはそっと想いを伝えた。

セイシアは悲愴感を漂わせることなく、変わらず背筋を伸ばし、スゥハを見つめた。

静かな海面を連想させる表情。だが穏やかな表面を1枚捲ると、深い深い未知の世界が広がっている。

「お話をする、ふたつめの理由は」

凪のような彼女は、そのまま波立たせることなく告げた。

「サリュウです」



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