10 ちいさな繋がり
ポカポカとした長閑な日差し。
はてさて、一体私は何処で何をしているのだ。
ミレは空を見上げながらまるで昔話でも語るかのように独りごちた。
自分がどうやら思うように成果をあげられていないことは痛いほど感じている。そして、そんな自分に具体的には何を期待しているのか、敢えて説明をしていないことが思い遣りだということも何となく分かっている。恐らく必要以上に責を背負わせないよう、伏せているのだろう。
「参ったなあ…」
美術品の修繕の際「こうするべきだ」というのは感覚でしかなく、言語化も工程化も出来ない。そして色々試してはいるが、美術品以外はその感覚がこれといって湧いてこないのだ。美術品ですらそうホイホイと修繕できる訳でもないため芸術家のミレとしては当然の結果なのだが、周囲の空気に敏感な性格故申し訳なさが尋常でない。
ここ数日、言おうか言うまいか迷っていることがある。言ってしまうと、もう日常には戻れない予感がする。その天秤が片側に傾いてしまうことが恐ろしく、どちらにも錘を乗せられないでいた。
ミレは今第一研究所から少し歩いた場所にある、王宮敷地内の噴水に腰掛けている。丁寧に積み重ねられた石を指で撫で、石と石の接着面を迷路のように指で辿った。
右かな、左でもいいな。
進んだ道は残念ながら自らの太腿によってあっけなく封鎖された。しかしそこで終わりにするのが何故か悔しく、目で脚を辿り、爪先を出口と見立て、脱出成功宣言として靴先を揺らした。
茶色い革の靴。以前ドーイに直してもらった、この靴。あの時のドーイの顔には笑ってしまった。あんなに幸せそうな笑顔。
うん、喜んでもらえるのは、単純に嬉しい。
簡単に立ち竦んでしまう自分だが、少しずつ自分の脚で歩く勇気も育めている。例え途中で疲れたとしても、靴を直してもらい、美味しいご飯を食べ、よく眠ればまた歩けるようになる、という技を今の自分は会得している。
「よし」
立ち上がったミレは休憩の幕を閉じ、研究所へと歩を進めた。
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研究室にはワイザード、シャイネ、ゼン、タグリットというお馴染みの顔ぶれの他にスゥハとルクスがいた。
恐らく実験の進捗を確認しに来ていたのだろう。ミレに気付き、スゥハはにこりとした。
「丁度よかったです。相談したいことがあって…」
「なにか?」
こてんと頭を傾けたスゥハ。いつか絵にしてみたいほど完璧な美しさだ。しかし今は疼く右手を押さえ込み、先程決心したものが鈍る前に、伝えてしまおう。
「このままじゃ進展しない気がするんです。で、ちょっと試したいことがあって…」
シャイネが口を「ほお」という形に開け、興味津々な目でこちらを見ている。こっそり憧れ続けている彼女に見つめられると、まだ少し緊張してしまう。
「アトリエで襲われた時、あの男の人が言っていたんです。広げてみてもいい?って…。多分、力の出力を上げることを指しているんだと思って、それが出来るならしてみたいと」
「駄目だ」
ワイザードが遮った。
「それは、駄目だ。安全ではない」
「でも」
「力ってのは個人差がある。生来のものだけじゃなく、その人間がどう過ごしてきたかで力の育ち方は違って当然だ。走るのが遅い人間に突然脚が高速回転する力だけ与えてみろ。脚の筋繊維はブッチブチに切れ放題だ」
ようやく決心したのにも関わらず、ミレは反論が出来なかった。術式や能力のことは全くの門外漢の上、ワイザードの言っていることは尤もな理屈だ。
下を向き押し黙ったミレの姿を見て「あれ、おじさん言葉キツすぎたかな?これってアウトなやつ?」とワイザードは急に慌て出し「違うんだおじさん虐めた訳じゃねんだわ」と何故かゼンの袖を一生懸命引っ張りなが訴えていた。なんとも頼りないワイザードの為体に苦笑いをしつつ、スゥハはミレに言った。
「負担に感じさせてしまって申し訳ない。だがワイザードの言う通り、無理に回路を抉じ開けてしまうと心身を傷付ける可能性がある。そんな訳にはいかない」
そして、実際は他者の出力規模に干渉できる人間など滅多に居ない筈だった。カザンはそれが可能ということか。術者としての、異常なまでの強大さ。通常で考えたら国の最重要な位置に配置されていてもおかしくはない。それが王位継承権の低いリラの専属のような立場に収まっている。一体何故だ?
「…すみません」
ミレは頭を下げた。勇気を出して進言してみたが、突破口とはならなかった。
「いや、私達の方こそ無理をさせてしまっていた。寧ろずっと実験続きだったため少し休息の日を設けては、と先程まで話していたんだ」
「そう、ですか」
休んだとて残念ながら事態が好転する予感はしなかったが、正直休息日は有難かった。少なくとも頭を切り替えることはできる。
「あ、お休みをいただくなら御礼を言いに行きたくて」
「御礼?」
「はい、あの時助けてくださった方に御礼を言えてなくて。どちらにいらっしゃるか、聞いてもいいんですかね?」
スゥハとルクスは目を合わせた。当然ながらミレにはセイシアの存在を説明していない。そして、何故ミレを守ったのか沈黙するセイシアからは何も聞き出せていないでいた。ミレだから守ったのか、ミレの能力を守ったのか、ただカザンから民を守ったのか、カザンが誰かを傷つけるのを防いだのか。
結界内にいるセイシアなら、万が一何かあっても制圧することは可能だ。そして恐らく彼女にはこちらを攻撃する意志はないように思える。
何故ミレを守ったのか、謎のひとつに近づける可能性はある。2人は小さく頷いた。
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スゥハは扉を開けた。以前と同じ位置にセイシアは座っていた。
「少しお話をよろしいですか」
ふと目をあげたセイシアは、スゥハ、ルクスの間からひょいと顔を出したミレを見て、微かに驚きの色を浮かべた。
「こんにちは」
軽くミレは頭を下げた。丸められたお団子髪が、ほよんと揺れる。
「御礼を言うのが遅くなってしまってすみません、あの時は本当に助かりました」
セイシアはミレをじっと見つめていた。スゥハにはその表情が、不思議と懐かしいものを見つめているように見えた。
「あの…」
言葉を発さないセイシアにミレは戸惑い、その表情を窺う。
「…どこにも怪我は、ありませんか?」
セイシアがぽつりと声を出した。
「はい。貴方のお陰です、本当に」
セイシアは少し顔を下げた。その視線はミレの手に注がれているようだ。視線に気付き、ミレは両の掌をセイシアに見せた。そして恥ずかしそうに話し出す。
「実は、私は創作の仕事をしていて…。あの時、もし目とか手とか傷つけられてたらと思うと、今でも怖いです」
まるで無事です、と伝えるようにミレは両手を握り、そしてまた開いた。
「貴方のお陰で、作品を作り続けられます」
セイシアはミレの顔を見た。
「本当に、ありがとうございました」
微かに、セイシアの唇が歪んだ。
「あり、が、とう」
まるでひとつひとつ、そっと集めた宝物を並べるように、セイシアは呟いた。
あり、が、とう。
それは思い出の言葉。
何よりも、忘れられない言葉。
「私こそ、ありがとう」
セイシアはミレに言った。え?とミレはきょとんとする。
ありがとう。
セイシアは目を閉じ、もう一度言った。




