6 修理された円
風の領の遺物管理局管理官であるチャコチャは肩甲骨を後ろにぐるりと回し、背筋を正した。ふう、と息を吐き目の前の屋敷を見上げる。
本日は領主との定例報告の日だ。チャコチャが領主ジルキドの元を訪れ、それは行われる。ジルキドの次男ヒュンケが亡くなってからは初めてのため、チャコチャは若干緊張していた。
ヒュンケの死には殺人の痕跡は無く、事件性はないと結論付けられているが、あのタイミングで突然の自然死など、考えられない。
私がもっとしっかり管理していれば。
チャコチャに下された沙汰は僅かな減給のみで、形ばかりの処分はチャコチャに責なしと判じているのと同義だった。しかしそれによりチャコチャは一層深く暗い自責の念に苛まれてしまった。
だが数日後、まるでチャコチャの心境を予想していたかのように、王宮から送られてきた書簡には「職務を全うせよ」と綴られていた。堅い文章には、思い遣りが滲んでいた。
そうだ、ここで溺れることは赦されない。私は私のやるべきことを。そう思い頬を叩き、日々を過ごしている。
だが息子を亡くしたジルキドはそうはいかないはずだ。領主という立場と父親という立場、板挟みで気持ちの整理もままならない状態かもしれない。仕事以外でも、何か力になれないだろうか。
友人という関係性ではないものの、チャコチャはジルキドという人物に好感を持っている。ただチャコチャは自分が堅物であるということを理解しており、己が人の心を癒したり和ませたり出来るような器用な人間でないこともまた知っていた。
私はなんて応用の利かない人間なのだろう。
屋敷の扉が開き、執事が一礼をする。礼を返したチャコチャは、ジルキドの執務室に先導されながら己の不甲斐なさに歯噛みしていた。
とんとん、と執務室の扉を叩く。どうぞ、と入室を許可する声が聞こえた。
「失礼します」
執務机で書類に目を通していたジルキドは顔をあげチャコチャをみとめ、時計に目をやる。
「すまない、もうこんな時間だったか」
「きりのよいところで問題ございません」
「いや、大丈夫だ」
立ち上がり、手でソファを示しながらジルキドは言った。チャコチャは軽く頭を下げ、ソファに座る。
「それではまずこちらをご覧ください」
鞄から書類を出し、ジルキドに差し出す。ふむ、と顎を撫でながらジルキドは紙を捲っていった。
**************
「本日は以上かと」
「ああ」
ジルキドは書類を閉じ、目を軽く揉んだ。
「…ご体調はいかがですか?」
ん?と手を目から離し、ジルキドはチャコチャを見る。
「まあ、相変わらずだ。徐々に倅に任せる分野を増やしていくつもりではあるから、引退までもうひと踏ん張りだな」
長男に跡を継がせることは元々予定されていたことなので、チャコチャはゆっくりと頷いた。
「奥様のご様子は…?」
ジルキドは不思議そうに首を傾げながら答えた。
「あれも特段変わりはない、が…噂をすればだ」
扉が優しく叩かれ、「大丈夫だ、入れ」とジルキドが声をかけた。
入って来たのはジルキドの妻、ママルーだった。
「チャコチャさん、お久しぶりです」
ふわりと笑う夫人に、チャコチャは立ち上がり一礼をする。
「お邪魔しております」
「ふふ、いいのよ」
執事が一礼をして去っていく。どうやら報告が一段落した頃を見計らって、息抜きのためのティーセットを用意してくれたようだ。
良かった、お元気そうだな。
チャコチャは少し気持ちが解けた。
「お口に合うといいのだけれど。今朝焼いてみたレモンの焼菓子なのよ」
ママルーは本来、持て成すのが好きな女性だ。菓子作りが出来るまで気持ちが落ち着いたのか。チャコチャは小さく笑い、早速いただきます、と返事をしひとつを口に入れる。
「甘さが控えめで、とても美味しいです」
良かった、とママルーは胸の前で手を合わせた。
「この人が甘い物そんなに、でしょう?作り甲斐がないったら。息子も大きくなっちゃうと、甘い物よりしょっぱい物の方が好きみたいで」
詰まらないのよ、と笑った。
チャコチャの脳裏を、昔の会話が過った。確かヒュンケが甘い物好きで、という会話の流れから次男が沢山食べるのが嬉しいらしくママルーが菓子を作りすぎて敵わん、とふと零したジルキドの愚痴だった。
違和感がチャコチャの脳内、低い位置を駆け抜ける。
何かから逃げるようにまたは追うように、草を掻き分けそれは警鐘を鳴らす。
「男はモサモサした物をそんなに食わんと何度言ったら分かるんだ」
あらいやねえ、とママルーは頬に手を当てる。
「なんだか作っちゃうのよね」
チャコチャは今しがた飲み込んだ焼菓子が、氷のように体内を凍らせていくのを感じた。震えだしそうな手を、拳を握ることで誤魔化す。
何と、問えばいいのだ?
気道が塞がれたように、言葉を音に変換出来ない。
恐る恐る、目の前の父親と母親の表情を見る。
それはとても日常の絵だった。
父と母と大人になった息子と。
完成された家族の円。
そこには、空席となった椅子など、何処にも存在していないようだった。




