5 舞台の袖で
その青年はやや早足で街中を進んでいた。
街の人々は賑やかに会話をし、穏やかな表情で歩く。
笑い声が遠い。行き交う人々の動きが紙芝居のように途切れ途切れで繋がらない。
暖かい場所に、馴染むことは許されない。
何故なら、自分には償うべき罪があるから。
ずっと、抗い続ける人がいるから。
俺も、諦めない。
そっと胸に手を置く。
首飾りに通した指輪が、指先に硬い感触を伝える。
責はここにある。
ゆっくりと手を下に下げていく。
まだ大丈夫。まだ、大丈夫。
自分に言い聞かせ、勇気を絞り出す。
こんな弱虫の自分に笑いかけてくれた、傷だらけの顔を思い出す。
もう会えない友人を、思い出す。
ごめん。
巻き込んで、ごめん。
必ず、やり遂げてみせるから。
あの人が拘束されたことにより、事態は何らかの展開があるはずだ。
200年。
ここでもう、終わりにする。
青年は通り過ぎる一瞬、視線を横にずらした。
広場の噴水。
心の中で呟く。決して、声にはならないように。
ヒュンケ。
どうかこんな俺を、見ていてくれ。
*************
リラはきり、と唇を噛んだ。
廊下を歩きながら、バクザとの会話を思い出す。
自分の部下であるカザンに会わせて欲しい。
リラのその願いはあっさりと却下されてしまった。それだけでなく、穏やかに帰国を提案されてしまう為体だった。
そんなの駄目よ。私だけ戻されるなんて。
しかしカザンと引き離された今、どう動くのが正解なのかが分からない。
私は、まだ無力なのか。
悠然と歩みながら、必死に思考を巡らす。しかし、解決策が見出せないうちに目的地に到着してしまった。
男が扉を開け「お入りください」とリラに声をかける。確かスゥハ王子の補佐、ミハクと言ったか。リラはそれに応じ、部屋の中へと進む。
そこはルロワナ=タルセイルが収容されている部屋だった。リラを帰国させる第一歩として、表向きの目的であるルロワナ=タルセイルと面会させられている、というわけだ。
リラの後ろにはミハクが立っている。恐らくここで何も変化がなければ、この国に逗まる理由はないと判じられ、半ば強制送還のような形でウォルダに戻ることになるのだろう。しかし彼は依然として一言も発さないのだ。
何か。何かないのか。
問題となる、何か。
目の前に座りながらも、リラの意識はルロワナ=タルセイルに見向きもしなかった。だから彼がほんの少し身動ぎをし、袖が捲れた際も動いたものを無意識に目が追っただけで、特に意味はなかった。
それが目に入ったのは、偶然だった。
ルロワナ=タルセイルの手首の少し上辺りに、入墨があった。
見慣れた、印。
「待って」
息が出来ない。過去が、急速に形を変えていく。
天が地に、真が嘘に、世界が反転していく。
偶々利用出来る事件があったから、この国に来れた筈だ。しかし、目の前のこの男の腕は、それを否定していた。
仕組んでいたの?
初めから?
役に立てたと思っていたのに。
既に台本は完成していて、自分は配役されていないにも関わらず、意気揚々と舞台に躍り出ていたということか?
なんて滑稽で、惨めな。
リラの震える手は、自身の身体にそっと触れる。
まるで裏切り者を引き留めるように。
それを眺めていたルロワナ=タルセイルは、目を三日月の形にして笑った。
それはお互いの傷を腐らせ合うかのような、下卑た笑みだった。




