4 興奮しちゃう
ゼンは生き生きとしている自分の上司を見つめていた。
シャイネが落ち込んでいた原因はスゥハの出生についてだったことは、少しの遅れをもって説明された。憧れの存在であるスゥハの事実にゼン自身、我が身をすり潰される思いだった。しかしスゥハと深く関わっていた人間ならば分かるだろう。彼が自分たちを騙していたのではなく、彼自身が知らなかった、ということを。ゼンは自分が苦しむ隙間はない、と感じた。誰よりも辛いのはスゥハであり、誰よりも恐怖しているのもまたスゥハであろう。彼が数日部屋に閉じ籠もっていた時は、世界が水没したかの如く、苦しかった。
そしてあの夜、部屋から忽然と姿を消したスゥハ。オーマの「スゥハはルクスと出ていった」という圧倒的に足らなすぎる説明から、一時自分たちは阿鼻叫喚寸前だった。
その後戻って来たスゥハは、何かが吹っ切れたようだった。その表情に安堵すると同時に我慢していた不安が決壊してしまい、心配したんですよ!と泣き喚くシャイネやゼンに、すまなかった、と顔を伏せながら謝罪するスゥハ。隣で笑うルクスにスゥハが肘鉄を喰らわせているのを見て、やっぱりこの2人はこうでなくちゃ、と内心嬉しく思っていた。
そしてスゥハ復帰に伴い、上司シャイネも完全復活を遂げたのだ、が…。
やや全開すぎやしないだろうか。
「おい待て待て、すげーじゃん。どういうことよこれ、まじやべーじゃん」
「そうっす!仕組みが全然分かんない!どうしてなんすかね?」
「いやこれもう術式じゃねーよこんなん。違うアレだな、これ。あのモジャとおんなじだが、こっちは原理が全く分からん!たまんねーな、ははは」
「楽しいっすね!何からどう調べたらいいのか見当つかない!あはは」
非常に語彙力の怪しい会話を展開している目の前の2人は、その実非常に高い知能を保有している、筈なのだが。残念ながら、未知の問題に遭遇して異様な興奮状態に陥ってしまったようだ。
「おい、ぴー!休憩だ、茶ぁ淹れてくれ」
「いやなんであんたの分まで…」
「ミレさんが疲れてるでしょーが!」
2人に囲まれ、半ば放心状態のミレを示して男が言った。渋々、ゼンは準備をする。
ここは第一研究所。術式を研究する機関である。
当初カザンがミレを襲った理由が分からず、ミレについて少々関わりのあったゼンは分かる範囲で彼女について報告をした。その際、小話程度の意味合いでドーイが話していたことを伝えたのだ。ドーイの小さい頃から抉れていて原型が分からなかった石像を、ミレは正しく修繕してみせたということを。ゼンとしては彼女の芸術家としての才を伝える意図だったのだが、それを聞いていたシャイネが「なにそれ!そんなの芸術家の範疇じゃないでしょ!」と突っ込んだことからこの祭りは始まってしまったのだ。
どうやら、ミレのそれは芸術の才というより何らかの能力によるものだったようだ。本人にその自覚は全くなく、親類にも術者はいないはず、とのことだったが、その能力の類を調べるために、ここ第一研究所にミレは呼ばれ、両端の人間にもみくちゃにされている、という状態だった。
両端のうち、一翼は言わずと知れたシャイネ。第三研究所が誇る、稀代の変人である。そしてもう一翼を担うのが、第一研究所の所長であり一番の自由人、ワイザードだ。彼はやる時はやるのだが、やらない時は本当にやらないという、組織の頭としてはどうかと思う人物である。しかし何故抜擢されたかというと、ぐうの音も出ないほどの実力者である、ということに尽きる。
「はいどうぞ」
ゼンは紅茶と、茶菓子を3人の前に並べる。そして机の上に広がった幾つかの実験材料を、そっと脇に動かした。
ミレは、物の在るべき姿が何故か少し分かるようだった。机の上には壊れた物や、破れた絵などがある。しかしそれ本来の姿を見るには中々に集中力が必要とされるようで、実験の海に放り込まれたミレは折角無事に保護されたというに魂が抜けかけていた。
「お!さんきゅーさんきゅー」
持ち手部分ではなく、カップをぐわしと掴みゴクゴクと飲むワイザード。その飲み方を知っているゼンは、彼の紅茶だけ少し冷ましている。
「ぴーのはうめーなあ」
俺んとこ来いよ、とワイザードは言う。
「やですよ、茶係なんて」
「ぴーちゃんはうちのこっす!」
シャイネがふうふうと紅茶に息を吹きかけながら言った。
「んじゃおめーもくりゃいいじゃん」
「やだ」
「んでだよ」
「あたしは所長のとこにいる」
けええ、とワイザードは鳥が絞められたような声を出して肩を竦めた。
「ま、気が向いたらな、嬢」
バンバンとシャイネの背中を叩く。それを見ながら、ゼンはほんの少しだけもやりとした。何だろう。体内の通りを良くするため、そっと息を吐く。
ワイザードは2つ一気に茶菓子を口に放り込み、もしゃもしゃしながら立ち上がった。手についた菓子のかけらを服で払う。
「おっさんは小便してくるわ」
「いちいち宣言しないでいいですよ…」
ゼンは溜息とともにその姿を見送った。
「あの…」
ミレが、ようやっと口を挟めるタイミングを見つけたかのように、か細く声をあげた。
「本当に申し訳ないんだけど、頭がくらくらしてて…少し、横になってもいいかな…」
ゼンはしまった、と思った。タグリットの時もそうだったが、この変人たちのペースについてこられる生き物は早々いないのだ。
「気を回せず失礼しました。あちらのソファでもよろしいですか?」
こくり、と頷いたミレはよろよろと進み、ぱたりと倒れこんだ。何か掛けるものを、と思い周囲を見回したゼンは、シャイネがミレをじっと見つめていることに気が付いた。
「シャイネさん?」
ゼンに視線を向けたシャイネ。その表情は、活力に満ちていた。
「ぴーちゃん」
こくり、と紅茶を飲み干したシャイネは力強く笑った。
「解き明かしてやろうね」
ゼンは名前の分からない想いが、体内に広がるのを感じた。
そして、同じくらい力強く、頷いた。




