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2 水鏡

スゥハは浴槽の中、膝を抱えていた。

ぽたり、と髪から雫が落ち、湯に波紋が広がる。映っていた自分の顔が、歪む。

しかしそれは一時で、暫くすると自分の顔はまた元通りに映し出される。

あれから3日が経った。

シャイネが調べた情報も共有されたことにより、スゥハという存在は間違いなく人間ではないことが判明した。

衝撃の裏で、「ああそうだよな」と納得している自分に気付いていた。

そらみたことか。お前のような奇異な生き物が、普通の筈が無い。

小さい頃。自分の世界が部屋の中だけだった頃。たまに投げつけられる視線は畏怖が殆どだった。それ以外は少しの興味、情欲、嫌悪。そういった類の色の中で息をしていた。

部屋から出されたとて、自分は何も変わっていないのに。何故大丈夫だと思ってしまったのだろう。自分のような化け物が日々、笑って過ごしていた事実に吐き気がする。

世界を騙し、濁らせている感覚に襲われる。汚物のようなこの存在。自分が汚れている自覚を持たず、踊り狂い泥を撒き散らす。

自分が気色悪くて堪らなかった。

何故、自分は生まれてきてしまったのだろう。記憶を無くし所在も行き先も持たない、何処まで行っても無価値な怪物。

スゥハは自分の腕を握り締めた。皮膚が赤くなる様を見て、乾いた笑いを落とす。

人間ではないくせに、人間のような反応。紛い物め。

このまま消えてしまえたらいいのかもしれない。

所詮何も知らない自分が、これから役に立てるとは思えない。いない方がいいのではないか。

ずるり、と一段深く沈む。口元が水面の下に沈む。

でも。

自分に課せられた責を放棄するのか?何かを成し遂げなければいけないのではないか?

だって、それが分からない。いつまで経っても、掴めない。そんな存在、意味がないじゃないか。

だとしても。

離れられるのか?

ぼちゃん。

スゥハは頭まで沈んだ。

ゆっくり目を開く。浴槽の内側の世界は温かく揺らめいていて、とても小さかった。

ここは、狭い。

小さい頃、部屋の壁に触れたことを思い出す。

ここから出たらどうなるのだろう、と思いながら。あの時の壁はとても厚かった。それなのに。いつの間にか。


ざばり、と急に体を引き上げられ、スゥハは我に返った。

「スゥハ様!!」

焦りの滲んだルクスの声がした。頬を包まれ、顔を覗き込まれる。

「何してるんですか!」

「…ああ、考え事をしていた」

「沈んで?!」

「いや、…すまない」

スゥハを引き上げた事により、ルクスの袖は濡れていた。それに気付き、そっとスゥハは頬に触れるルクスの手を押しのけた。

「放せ。…汚れる」

スゥハは無意識の言葉だったが、ルクスは悲しそうに微笑んだ。

「濡れる、でしょ」

無言のスゥハに立ち上がりながらルクスは言葉をかけた。

「服着たら、外に出ましょう」

「いや、私は」

「話したい」

真剣なルクスの目からスゥハは逃げるように視線を外して答えた。

「分かった」



*****************



「流石に灯りは消えてますね」

ルクスは眠りについた街を見下ろしながら言った。

ふたりは孤児院の庭の奥を少し進んだ場所にある丘に座っている。

「ここからの景色はあんまり変わらないですね」

ああ、とスゥハは小さく答えた。

ここはふたりが初めて出会った場所だった。

ルクスはそっと地面を撫でる。夜ということもあり地表は冷んやりしているが、大地の寝息で仄かに奥が温かくも感じる。

それを見ながらスゥハはフードの襟元を寄せた。寒くはないが、心許ない。

「寒いです?」

覗きこもうとしたルクスを思わずスゥハは手で制してしまう。しまった、と思ったがもう遅い。

「…お前は、気持ち悪くないのか?」

消えそうなスゥハの問いに、ルクスは眉を下げて答える。

「ちっとも」

スゥハは下を向く。ルクスは前を向いて再び街を眺めた。

そして口を開く。

「俺ね、なんだかわかんないんですけど、どうやらモテるようなんです。よく格好いいって言われるんです、男からも女からも」

地面から離した手をルクスは自らの顔の前に持って行き、甲をじっと見つめる。

「鏡見ても実は正直よくわかんなくて。ほほう、そうなんだ?って感じで」

見つめていた手を回転させ、今度は掌をじっと眺める。

「でもたまに鍛錬を欠かさないのが凄い、とかあの時の言葉に救われた、とか言われると、嬉しくて。それは間違いなく俺が積み上げたものに対する評価だし、それを見てくれる人がいるんだって」

ルクスは両手を組み、膝に寄せる。

「ここで初めてスゥハ様に会ってから、ずっと貴方の隣にいました」

ルクスは真っ直ぐ前を見ていた。

「その白い髪も白い肌も赤い目も、笑った顔も凄く綺麗で。もっとたくさん見たい、って思いました。でも実際の貴方は甘い物ばっか食べるし、たまに寝癖ついてるし、悪戯ばっかするし、同じ所で躓くし、面倒になると話聞いてる振りするし、ちゃっかり人に押し付けてたりするし、」

その時の光景が簡単に思い出せる。スゥハは込み上げるものを押し留めるため、顔を歪めた。

「早く寝なさいって言ってんのに朝まで読書するし、自分ばっか大変な役割をしようとするし、くしゃみ我慢するの失敗して不細工な時あるし、優しすぎるし、甘い物ばっか食べるし、何回言っても髪乾かさないし、頑張りすぎるし、爆睡した時寝相酷くて俺肘鉄何度も喰らったし、」

「…おい」

滲んだスゥハの声に遮られることなく、ルクスは続ける。

「でも、俺はそんなはちゃめちゃなスゥハ様が、好きです」


閉ざされていた小さな部屋の、世界の、扉が開く。

光が差し込む。

手が差し伸べられる。


「好きだよ」

ルクスは笑った。

息が出来ない。なんでこいつは。どうしていつも。

「私は、人間じゃない」

ん、とルクスは返事をした。

「俺が好きなのは、俺が見てきたスゥハ様。悩んで笑って走って転んで、貴方の歩いてきた道。今の貴方」

そっとルクスはスゥハを抱き寄せる。

「共に、って言ったでしょ」

ああ、とスゥハは思う。魔獣の地から生還したルクスに縋りついたあの時。確かに、自分は彼に求めた。

駄目だ。頭ではどんなに割り切ろうと思っても、その方が彼の為と強がっても、きっと自分はルクスから離れることはできない。

だってこんなにも、溢れてくる。こんなにも強く、自分を包んでくれる。

「あ。確か俺スゥハ様に助けて貰った時、混ざったとかオーマ言ってましたよね。俺にもスゥハ様の力が入ってたり?」

「ああ。どうやったか教えてやろうか?」

ん?と小首を傾げたルクスの頬を包む。顔を近付ける。え、とルクスが固まるのが分かった。


お前ばっかりじゃないんだ。私だって。


静かな夜。風に靡く草の音。

触れた唇同士が、震えていた。



その後、伝言役として残したオーマの少々ズレた説明により、失踪したのではと焦り始めた関係者たちの混乱の中ふたりは帰宅することとなった。

半泣きのシャイネやゼンにぐちぐち文句を言われ、スゥハは溢しそうになった涙を隠すためにフードを深く被った。それに気付いたルクスが、隣で笑っていた。



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