12 それは哀れな劇のように
「誰、あんた」
カザンは静かに扉を閉めた女に向かって尋ねた。黒髪の女は言葉を発さない。ぎょろりと睨んだカザンはしかし、息を飲んだ。
「まてまてまて、……おいおいおいなんだあんた」
掴んでいたミレの顎を離す。途端、床に崩れ落ちたミレは激しく咳き込んだ。カザンはそんなミレには一瞥もくれず、嬉々として黒髪の女に向き直った。
「ヤバ…!」
高笑いと共に、カザンは両手を広げた。
「マジでどうかしてるぜ!間違いなく狂ってやがる!このく……いや、」
にやりと満ち足りたようにカザンは笑った。
「この島、か」
女は静かにカザンの足元を指差した。
その瞬間、カザンの足元がパキリと音を上げる。アトリエの床であるはずのその空間から、突如鋭い角が突き上げた。間一髪でそれを躱したカザンは一瞬前まで自分がいた位置から、角が生えた馬のような魔獣が躍り出る光景に目を瞠った。
「…嘘だろ」
呟きは小さく、しかし迅速にカザンは術を発動する。右手を開いたまま魔獣に向け伸ばし、ぐっと握りしめる。すると魔獣の肉体は押し潰されるように四散した。
血が、飛び散る。
先程の穴は既に閉じている。然し、女は続けてカザンの足元を指差した。
パキリ、パキリという音と共に穴から飛び出した魔獣が咆哮し、カザンを襲う。舌打ちをしながら、カザンは両手それぞれに術を乗せ、親指と人差し指を素早く擦る。左右の魔獣は真っ二つになった。
ミレは床にへたり込みながら、目の前の状況が分からずにいた。
一体何が起きてる?なんでここに魔獣が?何故この人たちはここに来た?
荒く浅い呼吸を繰り返し、喘ぐ。そのミレの顔に魔獣の血飛沫が飛び散った。
「あっ……あっ…、」
恐怖のあまり、喉が詰まる。息が出来ない。目の前が暗くなる。しかし、それは意識を手放しかけたからではなく、目の前に黒髪の女が立っているからだと気付く。
「え…?」
その女はミレを背に庇うように立ち、カザンと対峙していた。
数体の魔獣を既に屠ったカザンは、ふるふると右手を振っている。まるで準備運動でもしているようなその様子に、ミレは体内の血が凍りつくのを感じた。
「ねえ、穴あけるだけ?まさか攻撃は魔獣頼りだったりすんの?」
血がついた手で髪を掻き上げる。カザンを染める血は全て返り血で、彼自身には傷がないのは明らかだった。
「だったら俺が勝つな」
カザンは両手を広げ、不敵に笑った。
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ヨルシカは思い返す。シャイネとの会話を。
「こちらはサリュウ王妃の医療記録です」
「医療記録?」
示された資料は、該当の期間よりも随分前の日付だった。
「はい。ヨルシカ殿下を出産なさった際の記録です」
確かに、ヨルシカの誕生前後の記録だった。細かく医療術者が治療をしている。しかし、これが示すものが何なのか、ヨルシカは理解出来なかった。産前産後の経過を観察していたのではないのか?シャイネはその疑問を受け取ったかのように、回答を続けた。
「担当の術者は王宮専属ではありません。王宮には勿論、王妃の出産に備えた医療機関が備えられております。しかし、外の者を呼んでいる。しかも、囲い込むように、です」
「囲い込むように、とは?」
「この術者は以前は王宮外で従事していたようで名医として名が通っていました。しかしサリュウ王妃を担当して以降、再び市井での従事を行うことはありませんでした。恐らく口留めされたのではと」
「口留めとは何をだ?」
「この術者の専門は、内臓、特に子宮治療です」
ヨルシカは目を瞠った。
「恐らくヨルシカ殿下ご出産の際、サリュウ王妃は子宮に重篤な問題が発生していたと思われます。治療を並行して行い、何とか無事ヨルシカ殿下はお産まれになり、サリュウ王妃も一命を取り留めた。ですが恐らく、傷付いてしまった子宮は元には戻らなかった。そしてその秘密を抱えてしまった術者は、街には戻れなくなった、と」
シャイネは別の資料を持ち出した。
「こちらはその時期、王宮が仕入れた薬草の記録です。シーバック、カネなどは傷付いた体内を癒やす働きがあります。これらは希少なため、かなり高価なものです。しかし、王宮として表立った支出記録には記載されておりません。記載されているこちらの資料は、術者のものです。高額な治療を、隠れて行う。この意味は、国として哀しむべき出来事は公表しない、という選択を取ったと思われます」
つまり、とシャイネは続ける。
「サリュウ王妃は、再び子を授かれるお身体ではなかったはずなのです」
ヨルシカは両手の指先を顔の前で重ね合わせた。必死に空回りしそうになる脳を落ち着かせる。
「つまり、スゥハは母から産まれた訳では無い、と?」
しかし、再びシャイネは頭を振った。
「いいえ。サリュウ王妃は確かに身籠ったのです」
「意味が分からない!」
「再度、その術者の記録がございます。突如としてサリュウ王妃のお身体に異変、つまりご懐妊と見なされたのは」
シャイネはヨルシカをしっかりと見つめ、言葉を継いだ。
「スゥハ殿下がお生まれになる、たった一月前でした」
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スゥハとルクスは駆け寄ったミレのアトリエに異変が起きていることをすぐに察知した。そして次の瞬間、窓が一斉に砕け散った。
「入ります!」
ルクスは剣を抜き、先に中に飛び込む。
アトリエの中は嵐に見舞われたような有様だった。机は破壊され、天井には何かが貫通したように穴が空き、闇となった空が見える。
その中央にいたカザンはゆっくりと振り返った。そして、残念そうに肩を竦める。
「…あらら。ここまでか」
部屋の奥、恐らくカザンの攻撃を防いでいたのであろう、数枚の結界がカシャンと解かれる。その先には涙でぐちゃぐちゃになっているミレと、まるで彼女を守っていたかのような黒髪の女性がいた。
直ぐにでもミレの無事を確認するつもりだったルクスはしかし、その黒髪の女性に釘付けとなった。
「…セイシアだな?」
防御しきれなかった攻撃が幾つかあったのか、セイシアは傷付いていた。彼女は返事をすることなく、そっと目を伏せた。
「どういうつもりか、説明をしていただこう」
スゥハはカザンに言葉をかけた。その冷たい音に、カザンは全く怯まずにやりと笑った。
「説明とは…何について?」
「はぐらかすな」
「はぐらかしてなんかいないですよ。よく誤解されるけど、俺ほど正直な人間はいないと思うなあ」
「よく回る口だ」
「誤魔化してるのは貴方では?」
カザンは両手を広げ、指先を遊ばせた。
「何だと?」
「少なくともこの島に来てから俺は嘘をついてない」
ゆっくりとカザンは人差し指を立て、唇の前に持っていった。
「もしかして、誤魔化してるんじゃなくて、知らないんです?」
あああなんてことだ、とカザンは悲劇の中で道化を演じるように人差し指を回す。そしてそれはスゥハを指し示す位置で止まった。
「初めて出会った時、俺が貴方になんて言ったか覚えていますか?」
―ヨルシカは離れた王宮でひとり目を覆う。
―シャイネの言葉が、心臓を握り潰す。
―スゥハ殿下がお生まれになる、たった一月前でした。
――そして、人は一月で誕生できる生き物ではないのです。
スゥハを指し示しながら、カザンは笑った。
「人外、って言ったんですよ」




