10 来訪者
ゼンは腕組みをしていた。
このままじゃ駄目だ、と思う。
シャイネは相変わらず、塞ぎ込んでいた。先程まで何かを調べていたが、その様子は正直見ていて痛ましい程だった。いつもの彼女ならば、嬉々としてまたは無心で答えに猛進していくのだが、此度は辿り着きたくないかのように、答えが遠のいていくことを祈るかのように見えた。しかし、彼女は望まない答えに到達してしまったのかもしれない。両手で目を押さえたまま、彼女の研究室で蹲っている。
ゼンはつかつかと彼女に歩み寄った。
「シャイネさん」
反応は返って来ない。ゼンは負けてなるものか、ともう一度呼びかけた。
「シャイネさん」
微動だにしない彼女に対し、ゼンは力を振るうことにした。目を覆っているシャイネの腕を引っ剥がし、無理矢理自分を彼女の視界にねじ込む。すう、と息を吸う。そして。
「止まるな!」
びくり、とシャイネが震えた。ゼンは構わず想いをぶち撒けた。
「俺はあんたより賢くない。てか、あんたより頭のいい人間なんていないと思うけど!あんたが何に迷っているか、俺は知らない。これっぽっちもね!でも!あんたはどうせ、進むんだ。進まずにはいられないんだから!だったら、止まるなよ!」
ぐしゃ、とシャイネの顔が歪んだ。あっけらかんとした顔や興奮した顔、そんな表情ばかり見てきた彼女の、初めての泣き顔だった。
「でも、これは嫌だよ…」
「だったらその答えはどうするんです?」
ゼンはシャイネの顔を覗き込んだ。
「気に入らない答えは知らない振りするんですか?それとも好きな答えに書き換える?」
シャイネは揺れる瞳でゼンを見た。
「違う。俺は知ってる、あんたはそんなことしない。あんたは全てに平等だ」
「でもこれは…」
「俺が尊敬するあんたは、答えの先を読み解くの!」
シャイネは涙で濡れる目をぱちりと開いた。その目に、ゼンは苛立ちを覚えた。
そうだ、俺は腹を立てているんだ。いつも災害を振り撒くくせに、本当に辛い部分はひとりで抱えるこの上司に。そして、そんな彼女に頼られない自分に。
「あんたは、絶対に黒を白と言わない。でもその黒の意味を、意図を、由来を、解き明かすんだ。黒が黒である理由を!そうでしょ?!」
必死になって話すゼンは、自分も涙ぐんでいることに気付いていない。シャイネが竦むくらいだ、恐らくとんでもない問題なのだろう。でも、それが重要であることは間違いない。どんな答えだろうと、解明すべきだ。その上で、その答えの粒を検討するべきなのだ。怖くとも、ピースを並べる手を止めてはならない。全ては断片で、まだ完成図は分からないのだから。どす黒い欠片が、美しい羽根の一部なのかもしれないのだから。必死に訴える彼を、シャイネはじっと見つめた。
「答えはひとつの扉だ、奥の、奥にはまだ扉がある。気に食わなかったら進んでくたさいよ、突き当たりまで!俺も付き合うから!」
ゼンは最早シャイネに言っているのか、自分に言っているのかよく分からなくなってきていた。だが、もう自棄だ、全部吐き出してしまえ!
「諦めるな!」
一際大きな声が響き、部屋はしんとなった。
シャイネの涙は止まっていた。頭の片隅で、ああよかった涙が止まった、と思ったゼンの脳は急激に冷静になった。
「以上。……ご清聴有難うございます」
猛烈に恥ずかしくなったゼンの語尾は、それはそれはか細いものとなった。おずおずと握りっぱなしだったシャイネの手を離し、顔を肩で隠すようにしながらそっと後ろに下がる。
あ、お茶でも用意しましょかね、喉は大切ですしね、と墓穴でしかないような呟きをこれ見よがしに零し、部屋を出ようとしたゼンにシャイネは声をかけた。
「ぴーちゃん」
ゼンはぎくりと止まり、ギギギと軋む音がしそうなほどぎこちなく振り返った。
しかし、シャイネはひらりと手を振り、既に机に向かい直っていた。
「ありがとね」
その背中は、彼が憧れる上司のものだった。
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ミレは自分のアトリエに居た。
彼女は実家ではなく、昔譲り受けたこのアトリエでずっと一人暮らしをしている。
街から少し離れて木々に囲まれているため、しんとした環境がとても気に入っていた。やはり、制作には集中できる環境が必須である。
絵筆が走る音と、ミレの体重で軋む椅子の音。
静寂。
凪のような時間。
暫くして、ミレはほうと息を吐き出す。
心地良い疲労。
それは充足感からくるものだ。
ん、と伸びをする。
その時、扉が叩かれる音がした。
今日は誰も訪ねてくる予定はない筈だけどな。
不思議に思いつつ、ミレは扉に向かった。
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少し時は戻り、日下がりの時間。
ヨルシカの執務室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
書類から顔をあげることなく、彼は返事をする。
「失礼します」
予想外の声に、おやとヨルシカは手を止めた。
訪ねてきたのはシャイネだった。手には幾つかの書類を抱えている。
「珍しい来訪者だ」
言いながら、ヨルシカはソファを手で示した。書類を持参するということは、立ち話でする内容ではないのだろう。軽く頭を下げたシャイネは、示された通りにソファに座る。
「私もシャイネと話したいことがあって、丁度良かったよ」
執務机からソファに移動しながらヨルシカは言った。そして彼女の向かいに腰掛けた。
「それで?」
シャイネは真っ直ぐに王太子ヨルシカを見つめ返した。
「殿下にお尋ねいたします」
間をひとつ空け、シャイネは口を開いた。
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「あれ、あなた…」
扉を開けたミレは、思っていた以上に外が暗くなっていたことと、立っていた人物がこれまた予想外だったことに思わず動きが止まってしまった。
アトリエの扉を叩いたのは、先日道案内をした男だった。
「どうしてここへ…?」
ミレは事態がよく分からなかった。そんな彼女の顔を見て、猫背の男、カザンは口の端で笑った。
途端ミレは背が粟立つのを感じた。急いで扉を閉めようとしたが、カザンが足でそれを防ぐ。そして、ミレの身体をアトリエに押し込むようにして、自らも室内に入り後ろ手で扉を閉めた。
「何の用?」
カザンと距離を取りながらミレは聞いた。先日の迷子の旅行者、といった雰囲気とは全く違う。カザンは悠然とミレに近付いてきた。髪を掻き上げ、猫のような目が露わになる。
「ねえ、ちょっとよく見せてよ」
言うなり、カザンはミレの顎を掴み、顔を近づけた。覗き込む、鋭い目。ミレは自分の目玉がくり抜かれるような恐怖を感じた。必死に腕を剥がそうと試みる。が、力が強いようにはとても見えないこの男の腕はぴくりとも動かなかった。
「んー……なにこれよっわ…」
顔を赤くしながら、ミレはもがく。顎を掴む力が強く、呼吸もうまく出来なかった。
「ね、ちょっと広げてみてもいい?」
暴れるミレとは裏腹に、カザンはのんびりと許可を求めた。しかし、承諾されようが拒否されようが、彼には関係がない。
「もし壊れたらごめんねー」
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
声が出ないミレは、混乱と恐怖と絶望にあっという間に塗り潰され、涙を零した。その様子を愉快そうに見つめるカザンは、空いていた左手をミレに翳そうとする。
その時、
静かにアトリエの扉が開いた。
振り返ったカザンの視線の先に。
黒い髪の細身の女性が立っていた。




