7 零れる一滴、馴染む一滴
また新しい街を歩いている。
不自然にならない程度に先導するカザンの背を見つめる。口元には余裕の笑みを貼り付け、彼が行こうとする方向を察する。
気軽に護衛に話を振りながらも、しかしリラは腕組みを外さない。きゅ、と己の胸の前に二本の腕を絡め、武装をする。この形で彼女は世界との均衡を保つ。
少し前まで隣にいた男を想う。この腕を解き、絡ませる先として望んだ男。ルクスとは、今朝目が合った。馬車に向かう最中、少し離れた位置でスゥハ王子と歩いている彼を見かけた。短いその時間だけでも彼がスゥハ王子を大切に思っていることが分かった。それは逆も然りで、何故だろう、目線からか、距離からか、空気からか。お互いを思い遣っていることは確実だった。つ、とルクスの目線がこちらに広がった。2人の視線は交わり、しかし直ぐにリラは顔を背けた。彼が何かを伝えたそうな表情をし、それに気付いた自分をリラは無視したのを思い出す。
笑い、護衛に質問を投げる。特に気にもならないことを。その中に存在出来ている、と感じられていたのに世界は再び彼女を零して進む。
なるものか。
口の中で、流れてもいない血の味が広がる。
しかしそこで、カザンがひとつの店を見ていることに気が付いた。
「ねえ、ここに入ってもいいかしら?」
奔放な我儘として、流れを作る。
そこは変哲も無い店だった。
革製品を取り扱っているようで、壁には鞄や靴、様々なものが飾られている。だがそれらは売り物というよりも見本のようで、どうやら修理工房がメインの店のようだった。
「こぢんまりとした感じのよい店ね」
適当なことを言いながら、カザンの様子を確認する。彼は焦点を合わせることなく、何かを探っているようだった。
「いらっしゃい。なにかお困りですか?」
奥から大男が出てきた。どっしりとした体格だが、温かみのある声。この店に違和感なく根を張ったようなその存在から、間違いなく店主だろうと判断する。
その店主は明らかに上流階級の雰囲気を纏いつつも男装をしているリラ、そして数名の護衛達に少し驚いたようだったが、謙ることなく笑いかけた。
「いえ、面白そうだと思い、少々覗かせていただいてますわ」
リラも笑顔で返す。カザンはじっと店主を見つめたが、やがてふと視線を外した。ゆっくりと店内を見回すが、ふいと外を見やる。もういい、という合図なのだろう。
「お仕事中に邪魔をしましたね。それでは」
首を傾け、リラは店を後にした。そして小声でカザンに話しかける。
「何かあったの?」
く、とカザンの眼球が横に動き、リラを見る。口元は小さく笑っていた。
「まあね」
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遠ざかる来訪者達の後ろ姿を見送り、店の店主、ドーイはぽりぽりと頭を掻きながら工房に戻っていった。すると、工房の裏口の扉が開く。
「ただいま。納品してきたよ」
髪を無造作に頭の上で丸めた女性が入ってきた。工房の助手のひとりが怪我をしてしまったため、助っ人として手伝いに来てくれている彼女にドーイは笑いかけた。
「おっ、すまんすまん。助かった」
「どうかした?」
様子を気遣うような彼女の言葉に、ドーイは温かな気持ちになる。少し前までは何処かしら張り詰めた薄皮で包まれていたような彼女だったが、こうして心を開いてくれているのを感じると、親熊としては嬉しいのだ。
「いや、さっき店に来た客がなんか変わっててな。ありゃどっかの国の貴族さんかなあ」
へえ、と女性は答える。
「観光かね。こんな修理工房に」
「こんなとは何だ」
ドーイはがははと笑いながら言った。そして時計を見て、思い出す。
「今日はすまなかったな、制作の時間を貰っちまって。とりあえずもう大丈夫だ」
「いいよ、このくらい。きっとまだ動けないでしょ、明日も手伝うよ」
「すまんな、ありがとう」
ドーイに軽く手を振り、女性はまた裏口から出ていった。
店の扉の前、ぐい、と空を見上げながら伸びをして彼女、ミレは軽い足取りで歩き出す。
創り始めた作品に思いを馳せながら。




